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小説『生物失格』 4章、学校人形惨劇。(Episode 2)

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目次

Episode 2:バックステージへの侵食。

 翌朝。今日は終業式前日――明日が終われば夏休みだ。
 いつもの通り、朝の弱いカナの眠気を吹き飛ばすため、叩き起こさず抱き起こした。そのせいで今、頬に朱色の残滓を浮かべたまま朝ごはんを食べている。もう同棲してからというもの、幾度となく抱き起こしているのに全く慣れないらしい。可愛い。どうかそのままの君でいてくれ。
 朝食の内容は、トーストとジャム、ハムエッグとサラダ。いつもと変わらない食事だが、最近は少し物価が上がっているせいで幾分か惨めに見える。多分、「こんなに高い金を払って買ったのに、今まで同じものしか食べられないのか」と勝手に絶望し、勝手に惨めになるからだと思っている。別に人間サマが高い金で買ったところで、食料がそれに見合って品質を上げてくれる訳がないというのに。
 つくづく、人間は自分勝手な生き物だと思う。
 本当に、自分勝手だ。
 自分だって――ほとんど怪物に片足を突っ込んでいる自分だって、例外ではない。
 ――前に下道かどうからの襲撃を受けた後、危険なことに首を突っ込まないでとカナからは言われている。自分にはまだ死んでもらいたくないのだろう。
 であれば、大人しくカナの言葉に従い、夢果の力を借りて正体を隠しつつ、平々凡々とした日常を過ごすのが良いに決まっている。
 自分だってそうしたい。『死城』だからという理由だけで、平凡な生活を奪われては堪ったものじゃない。
 だが、世間はそれを許してはくれない。『死城』に恨みを抱くヤツは残念ながら存在し、そしてヤツらは自分に牙を向けてくる。それは、夢果がダークウェブで発見してくれた、あの声明文からも明白だ。
 そしてそれは、自分の隣にいるカナにも危害が及ぶ可能性があることを意味する。カナが自分の巻き添えを喰らわずに平穏無事にいられる程、現実というのは都合良くできていない。
 だから自分は力を振るい、或いは知恵を振り絞って、ヤツらを振り払わなくてはならない――それこそ、危険なことに首を突っ込んででも。
 実際、この前のサーカス『ノービハインド』では自ら危険なことに首を突っ込んだ。まあ、アレはカナからのたっての希望でサーカスに行った上、そこにたまたま死城に恨みを持つヤツがいたから、首を突っ込まざるを得なかった、というのが正しいのだろうけど。
 突っ込まなければならない時は、突っ込む。
 そして今や、そういうフェーズに来ていることを、自分は理解していた。
 あのダークウェブの声明文。
 サーカスから逃げた、糸弦操という殺人鬼。
 そして正体不明の男――偽警察官、鎌川鐡牢。
 平穏に日常を暮らすには、あまりにも目に見える敵が多すぎる。
 だから、対処しなければならない――首を、突っ込まねばならない。
 それも、カナには内密に。
 何故なら、カナを守りたいから。そして、悲しませたくないから。
 ……これを自分勝手と呼ばず、何と呼ぶのだろう。
 もしかしたら、阿呆と呼ぶのかもしれないが、もし言われたとて反論はできそうにない――

「……えーた?」
「ん?」
 半目のカナの呼びかけに答える。皿は既に半分程空になっていた。
「また何か考えごと?」
「うん、ちょっとね」
「悩みごとなら、相談に乗るからね〜」
 寝起きでふにゃりとしたカナの笑顔に、思わず心が綻んだ。
「遠慮なくそうさせてもらうよ」
 悩み事、か。打ち明ける日なんて恐らく来ないな。
 遠慮なく思う。深慮する必要さえない。
 カナに、『死城』を中心とした怪物的な世界に踏み込ませはしない。

その身に『死城・・の呪いを受けし・・・・・・・人間共・・・。完膚なきまでの復讐の時だ。心当たる者の連絡を待つ。

 ダークウェブに掲載された、あの一文が脳の中を巡航していた。
 さて、本当にどう片付けるか――考えながらハムをフォークで刺して口に運び、咀嚼する。塩辛い筈の肉の味が、いつもより薄味に感じられた。

***

「もう〜ひ〜とつ寝〜る〜と〜、なーつーやーすーみ〜♪」
 季節感真逆な歌詞に替えて『お正月』のメロディを口遊むカナと、雲の多い空の下を歩く。最近は肥え太った雲も多くなってきて、夏が到来したことを予感させる。
 ……。
 最近、自分に妙な変化が起きている事は自覚している。昔はこんな風景描写は不要と思っていたのに、今や頭の中にスラスラと出て来るようになってしまった。
 これは成長か、ただの変化か。
 いずれにせよ、経験が積まれた自分の中で、何かが起きている事だけは気づいている。が、何故かが理解できない。
 怪物性が少し薄れているのだろうか。怪物には風景は要らないからな。何処にいようと周りに何があろうと、怪物の成す事は変わらない。
 無論、それは喜ばしい。自分は人間のままでいたいから。一度怪物に堕ちてしまえば、人間に這い戻ることは難しい。
 だが、人間ではあの数々の敵には対処し切れない。人間らしい心を殺して――体同様、痛覚を鈍らせて、怪物として対峙しなければならない。そんなことも思っている。
「えーた! 楽しみだねっ!」
「ああ」
 すっかり夏の装いになったカナは、膝辺りの長さしかないスカートを可憐に揺らしながら振り向く。雲の背後に太陽が隠れていても、カナの笑顔は変わらずまばゆく見えた。
 可愛らしい。可愛らしくて、やかましくなってきた蝉の声も耳に届かない。
「ね、ね! えーたはさ、何したいかとか、決めたりした?」
「カナといれば、それだけで楽しいんだけどな」
「……も、もー!」
 カナは、はにかんでいるのか怒っているのかよく分からない表情をした。しかしこればかりは本心だから仕方ない。
 ……。
 本心、か。
 カナには本心を語り、他の人間には世渡りの為に嘘の仮面を被る。人生は演劇の舞台で当の本人はその役者、という言葉があった気がするが、言い得て妙だ。自分にとっては世間全てが演劇の舞台で、カナのいる場所だけが憩いの場バックステージ
 その筈が、最近そのバックステージにまで演劇舞台が侵食してきている――本心の全てを、語れなくなってきている。まるで週刊誌の記者に怯えているかの様に。自身の本心の一部を取り上げられ弾劾されてしまうのでは、と恐れ慄く様に。
 自分が、怪物と弾劾されることを恐れるように。
 こればかりは、自分に原因がある。本心を語らず悟らせないと決めたのは自分だ――あの廃屋の幽霊擬きのせいでも、下道法無羅のせいでも、してや殺人サーカスのせいでもない。
 ただ、思うのだ。
 将来――それも近い将来、カナに本心がバレるか暴かれたとする。そうしたら、カナはどう反応するのだろうか。
 怒るだろうか。そこまでは良い。怒るのは人間然るべきことだ。
 だが、もしも。
 恐怖でも不審でも何でも良い。そのせいで、カナが自分から距離を取ってしまったら、どうだろうか。
 そうなる可能性は低い。しかし可能性が低いことは、可能性が零であることとイコールではない。
 そうなることに、自分は恐怖している。
 好きなカナを守ることもできず、それどころが近づくことさえできなくなることに。
 だから本心を隠す。何も本心を語るだけが愛ではない。嘘も方便という言葉もある。真実や正論、ドス黒い本性は、時に人を傷付ける。
 カナ以外の人間・・だって、そうしているじゃないか。これは何も、怪物ではなく、至極人間的なことではないのだろうか。

 バックステージの侵食する音が、また聞こえる。同時、仮面の厚さが増す感覚もする。カナには本心を語っている、という虚飾に満ちた仮面の厚さが。まるで、舞台に立っている自分の方が、真実の自分であるかのように錯覚する。

 ……考え過ぎだろうか。もう分からなくなってきた。

「……えーた?」

 ハッ、と思考の渦から抜け出すと、目の前に不安げな表情をしたカナがいた。彼女の心を穏やかにする為に頭を撫でてやった。女の子らしい香りがふわりと漂う。
「いや、何したいか悩んでてさ――やりたい事が多くて」
「え、例えば例えば? どんな事考えてるのっ!?」
 カナの顔に笑顔が瞬時に戻る。いつもの笑顔だ。恋人に向ける屈託の無い笑顔という仮面を、カナは今被っている。
 ――自分を刺し殺そうとした事実に後ろ髪を引かれている、という本心を隠すように。

 その後は何事も無いかの様に、やりたい事を幾つか話し合ったり、他愛の無い話をしながら登校する。
 陽炎に揺れる校門が、いやに遠くに見える。


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