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極寒の地、シネマ2作から

日々の報道で話題の、
ロシアによるウクライナ侵攻危機。 
米国との間で緊張感が高まっています。
一方で、北京五輪のフィギュアスケートで
渦中の人となってしまった
15歳のロシア人女性選手がいます。
よりによって神聖なるスポーツの祭典で、
国や組織、大人の常識が
問われる事態になっています。

僕は2つの映画を思い出しました。
シルベスター・スタローンの
「ロッキー4」と
ショーン・コネリー主演の
「ロシアハウス」です。

まずは、「ロッキー4」。
ボクシング世界ヘビー級タイトルマッチが
ソ連で開かれます。
チャンピオンのロッキー(米国)に
ドラゴ(ソ連)が挑むのです。

ドラゴは国の威信にかけて
アメリカ(選手)に勝つことを
政府から命じられます。
トレーニングでは殆どマシーン使用。
まるでサイボーグのように
人工的に作られた筋肉とパワーが漲ります。

片やロッキーは、 
親友アポロを死に追いやった
宿敵ドラゴとの戦いに向け、
雪山に籠もり、
山頂を駆け巡り、大木などを使って
心身を鍛え抜くのでした。

ロッキーにとっては敵地ソ連での試合。
しかも親友アポロの敵討ち。
試合は序盤、超合金のようなドラゴが
強烈なパンチで圧倒的に優勢なるも、
ロッキーは打たれても打たれても
倒れません。

ソ連側のマネージャーや関係者は
ロッキーを倒せないドラゴに苛立ち、
国のメンツを潰すのかと責め立てます。

ドラゴは反論します
「俺は自分のために戦い、勝つのだ」

それでも、今風に言えば
AIに人間が勝つかのように
ロッキーが勝利します。
懸命にフェアに戦ったロッキーに
ソ連人の観客が共鳴し
大きな拍手をおくるのでした。

国というより自分のために戦うドラゴと、
友のために立ち向かうロッキー。

中国の台頭で冷戦時代は今は遠いですが
ウクライナ情勢に鑑みるに
未だ歴史の亡霊は潜んでいるようです。

そして僕はドラゴに思いを馳せます。
「俺は俺だ、国のためではない」と。
自分の存在意義のために
戦わなければ、きっと後悔するし
そうしなければいつの日か、
全てを国のせいにして
きっと国を恨むようになります。 

15歳のワリエワ選手の、
果てしない孤独、葛藤を思います。
彼女はひとりの血の通った人間。
ロボットではありません。

もう一作「ロシアハウス」。
英米とロシアの国防に関わる
諜報(スパイ)映画であり
恋愛ものでもあります。

英国諜報部の命を受けたスパイ、
バーリー(ショーン・コネリー)と、
そのターゲットとなるロシア人女性、
カーチャ(ミシェル・ファイファー)の
燃え上がる愛。
愛する人のために国を裏切るバーリー。
それを知り情愛を深めるカーチャ。

この映画はストーリーが入り組んでいて
理解に苦しむという声もありますが、
僕はジューリー・ゴールドスミスの
甘美で哀愁ある名曲と、
ショーン・コネリーとM・ファイファーの
ツーショットを観ているだけで大満足。

特に、ラストシーン。
リスボンでひとり暮らすバーリーが、
花束を抱え、港に到着した旅客船へと
意気軒昂と歩いてきます。
船上にはカーチャとその子どもたち、
彼女の叔父が降船の支度をしており、
バーリーに気付きます。

バーリーとカーチャの目が合います。
走り出すふたり。
カメラはスローモーションで
到着した女性と迎える男性を
交互に追いかけます。

そして再会の瞬間、
熱くぎゅっと抱擁するふたり。

もう絶対に、離れまいと。

ジューリー・ゴールドスミスの
美しくロマンチックなメロディが
ふたりを包み込みます。

このシーンを観ているだけで
もう全てが解決なのです。

このふたりはこれから
どんな試練が待ち受けていようと
どんな屈辱に晒されようと
ふたりで生きていく決意をしたのだと
この抱擁で僕は感じるのです。
互いに「この人がいれば生きていける」と。

愛や友情、スポーツや文化は
国境を超え、共感や共鳴は世界共通です。

そして、失意の淵、絶望のどん底にいても、
深く強い絆で抱きしめ合える人がきっと現れます。
そこからまた始まる次の人生。

極寒の国でも、世界中どこでも
人は巡り、ときは巡ります。

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