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大切なもののために、故郷で再出発することにした。

前回の更新からだいぶ間が空いてしまった…
この間色々あったけど、転職することにした。
幸運にも大学生活を送った第二の故郷で、再出発することができそうだ。
現職はまだ続いているが、今月中にはその意思を伝えて、それが通れば夏ごろから新しい、懐かしい生活が始まる予定である。
今回はこの決断に至った経緯と、大事なものについてじっくり考えたことをつらつらと書いていきたい。

昨年秋ごろから、仲良くしていた上司の様子が変わった。
いや、もともとそういう感じもあったが、嫌な部分が出てくる時間が圧倒的に多くなった。
それでも、この人には色々教えてもらったしいい思い出もあるからと、今日だけかもしれない、私が悪かったのかもしれないと思うようにして、何とかうまくやっていけないか試行錯誤した。
でも、無理だった。
あんまり人のことを「悪い人だ、嫌いだ」と、決めつけたくなかったこともあり、「無理」に到達するまでは結構な時間を要した。
しかしとうとう、自分の中で、「この人とこれ以上話したら、嫌いになってしまう」という閾値に達してしまった。
せめて現状よりも嫌いにならないように、必要以上にその上司と話さないことにした。
完全な閉鎖空間で、私ができることはそれしかなかった。
私が話さなくなっても、上司は構わずに話しかけてきた。
途中からは不思議そうな顔をしていた。
たくさん、嫌味を言われた。
時には、脅しのようなことも言われた。
余計に、私から話すことはなくなった。
原因が自分だということを、わからない、あるいは、わかっていてもプライドが高すぎて、しかるべき態度をとることができないようだった。
とっても仲が良かったのに、それが台無しになってしまうほど、そんな上司のことが怖かったし、なんというか、凶悪犯罪を見たときのような、そんなことをする神経を疑うという類の気持ち悪さを抱いていた。

結局、その1か月後くらいに上司と衝突し、心身に支障をきたしてしまった。
職場で嘔吐してしまったり、不正出血が起こったりした。
寝つきが悪くなり、人に対する不信感がずっと付きまとっていた。
そんな自分のことを好きになれるはずもなく、部屋も生活もめちゃくちゃであったが、とにかく何もなかったように必死で職場に行った。
職場の人に不信感を抱いたのも、相談を持ち掛けても、ほとんどがその話題をかわそうとしてきたことが理由としてある。
後述するが、この職場の人の違和感は何なのか、のちに判明することになる。

うちの職場のトップには、散々な目にあわされた。
とにかく、私のことが、めんどくさくて、邪魔で、目障りだったのだと思う。
何があったか言うな、と言われた。
言われたその場に職場のナンバー2もいた。

でも、助けてくれなかった。

それどころか、私と父親との関係について、
「まあ僕は、あなたからの歩み寄りが必要だと思いますけどね」
と言われた。

信じてたのにな。話さなければよかったな。
なんかもう本当に、人のことを信じれなくなった。
自分のことをわかってくれる人、弱さに寄り添ってくれる人は、この職場にほぼいないとわかった。
でも、転職が決まった今なら思う。
職場にそういうことを求めてはいけない。
自分のことも話しすぎない方が良いし、つかず離れずでやっていった方が良い。
ただ、それができる職場かと言えば…
田舎だし、仕方ないことだったのかもしれない。

心身の不調のこともあり、明確な異動ではないものの上司と別の場所に出勤することが許された。
でも、上司のことを言わないか上に見張られている気がしたし、前述のように相談を持ち掛けても皆に避けられ、結果的にストレスは増加していった。

正直かなり限界であった。
信頼している人がいないわけではなかったが、絶対に言うなと言われた手前、何か話してしまったらその人も悪く言われてしまう気がして、本当に何も言えなくなった。

そんな時に先月末、組合の勧誘があった。
何となく理由がなかった、お金もかかるし時間も取られるし、というので組合には入っていなかったが、入っていない私でもわかるほどのがちがちメンツで焼き肉に連れて行ってもらった。皮肉を込めて圧迫面接と呼ぶことにする。

圧迫面接はメンツこそがちがちであるが、正直職場の中でもしっかりしている人たちであったし、私も信頼のおける人たちだった。
年度末の忙しい時期に、うちの職場でも定評のある人ばかりが時間を割いて勧誘とはいえ集まってくれた。

これは聞いてはいけないかもしれないけど、個人的には絶対聞きたいと思って思い切って聞いてみた。

「もし私が初めから加入していたら、今回の一件はどのような感じで処理というか、進んでたんでしょうか」

一瞬の沈黙があった。
正直かなり、話しにくそうな雰囲気があった。
でも、今日私はこれを聞かなきゃ気が済まない。
焼肉とは思えないほどの重い空気感の中、メンバーの一人が話してくださった。

「もし組合に入ってたら…ろこんさんが上司ともめた初めの段階で、僕らは動いてる。職場のトップにも事実を話してもらうし、ろこんさんの立ち位置も、今みたいにどこにも属していない感じにはなっていなかったと思う。」

だから絶対にこんなことにまではなってないよ。と。
きっと話してくれた人は、本当に勇気をもって話してくれたに違いない。
でも、それを聞いた私は、なんかもう、腹がくくられた気がした。

私が大変なことを知っていて、
でも入会していないという理由だけで、
私よりも一回りも二回りも大きい大人が、
手を差し伸べてくれなかったんだって。
…何だろうな。

先述の違和感はこれである。
相談をかわそうとしていたのは、何となく避けてたからじゃない。
確実にわかっている明確な線があり、それを超えてこないように避けてかわしていたんだ。
なんだよ、それ…

腹をくくられたというのは、自分で決断したというニュアンスではなく、
この職場の闇に対して抱かざるを得なかった、抱かされた覚悟であったという意味が含まれている。

このままこの職場にいるのなら、組合に入るというのが賢明な判断だろう。
それか、休職。しばらく、ここから離れたい。
または、転職。

圧迫面接から得たものは、この選択肢を明確にしてくれるということだった。


4月に入り、転機が訪れた。
異動が多い職場なので、私の直接的な不調の原因となる人たちはいなくなった。
見知った人もある程度いる新しい環境で、心機一転頑張ろうと思っていた矢先、大学時代の友人から連絡が来た。

私が大学時代を過ごした土地で、学芸員の公募が出ているということであった。

学芸員や公園管理の職員と言うのは募集自体が極めて少なく、加えて専攻などでかなり絞られる。
私も何度かチャレンジしたが、やはり全部だめであった。

今回紹介してくれた公募は全部が私にばっちり合っていて、正直受けたら通るんじゃないかと思っていた。
ただ、自治体に問い合わせてみたところ年齢の条件がどうしても合わず、受験資格がないということで断られた。
それでもダメもとで履歴書だけでも出してみようと思ったが、何となく、本当に何となくではあるが、この件はきっぱり諦めてみようと思った。
自分でもびっくりするくらいショックを受けた。
その時、ああ、自分はこんなにもこれがしたかったんだな。熱意があったんだなと思った。

仕事を、変えたいのかもしれない。
前々からそう思っていたが、こんなにもはっきりと決意として現れたのは初めてであった。

そんな気持ちを抱えて、何とか過去のことにしてしまおうとしていた時、友人の公募の連絡から、たった数日過ぎた時のことであった。

それもたまたま、大学時代からお世話になっている方に会ったときに、公募がだめだった話をぽろっとしてしまったのだ。

その人には前々から会うたびに職場の愚痴も聞いてもらっていたので、色々な事情はすでに把握していたのだが、
一瞬考えた後、自分の知り合いが働いている公園管理の仕事に欠員が出ていることを教えてくれた。

「もし興味あるなら紹介しようか?」

その人(知り合い)にいい人がいたら紹介してくださいって頼まれてるんだ、本当はろこんちゃんにいい人いないか聞こうと思ってたけど、本人が良いなら…と。

まさかこんな急展開を想像していなかったので唖然としてしまったが、ぜひ!と思いっきり乗っかった。

夜だったのにもかかわらずその場で電話してくださり、私が滞在している間にその人も一緒に話をしに行く段取りを決めてくださった。

数日後の話し合いは、きれいに整えられた部屋でまるで世間話をするみたいに行われた。
紹介してくださった方のプレゼンもあり、ぜひ来て下さいと言うことで話が決まった。

現在も進行中であるが、紹介してくださった方には本当に頭が上がらない。
転職して近くに住むようになったら、いっぱい交流したい。楽しい時間を、あなたが紹介してくれた職場で起こった楽しいできごとを共有したい。もし何かあったら、真っ先に助けたい。これから時間をかけて、たくさん恩返しさせてください。

それに、このスピード感で話に乗っかれたのは、公募がだめだったことで自分の中に知らず知らずのうちに覚悟が決まってからではないかと思う。
それを教えてくれた友人にも心から感謝したい。本当にありがとう!

たくさんの人の力を借りて、また新しい場所で、しかも自分が慣れ親しんだ場所で、安心できる頼れる人がたくさんいる場所で、もう一度スタートを切れる。
私は本当に恵まれていると思う。

私を歓迎してくれる場所で、精一杯頑張れる。
もう誰が誰の事をどう思ってるとか、ネガティブなことを考えなくてもいいんだ。

そう思うと、本当に涙が出るほどうれしい。
掴んだチャンスを無駄にしないように、お世話になった人に恩返しできるように、前に進んでいこう。


一つの記事にあんまりいろんなことを書きすぎない方が良いとは思う。
言いたいことがぼやけてしまうからである。
でも、あえて私はここにこれを書きたい。

彼女とのこと。

やっぱり、人生を考えるという意味では、私の中でこれを外すことはできなかった。

正直今、がけっぷち…なのである。

言い訳に聞こえるかもしれないけれど、こうなったのは私があまりにも元気がなくなってしまって、彼女が私のことを心配しすぎたことが原因である。

彼女をよく知る信頼している人に話を聞いてもらって、「大丈夫だよ、絶対そんなんじゃないよ。」と言ってもらって、どうにか精神を保てている。

私も、そう思っている。
信じてる。信じてるよ、あなたのこと。
大好きだよ。
心の底から愛しているよ。

転職は、何のためにするのか。
いっぱいいっぱい考えた。

行きつく先は紛れもなく「大事な人のため」だった。

私は、私のことをもっと大事に想ってくれる人の近くにいたい。
恩返しをしたい。
私が美しい、素敵だなと思う世界で生きていたい。
そんな世界を作ってくれている人と、気持ちを共有したい。
楽しいことや嬉しいことを伝えたい。
そしてそれを素直に喜んでくれる人を大事にしたい。

そう考えたときに、残りの少ない力を振り絞って最後にできることは、自分が元気になることだった。
それが転職だった。

近くに来ることがあったら一緒にご飯食べよう、とたくさんの人が誘ってくれた。
でも、あんなにおしゃべり大好きな私が、しゃべりたいと思うことがほとんどなかった。
直感的に、職場が楽しくなかったのだと思う。
せっかく誘ってくれたのに、ともっと申し訳ない気持ちになるけれど、どうすればいいのかわからなかった。
自分が楽しい!と思えることが、この職場にいてこれから起こるのか…
すでに答えは明確だったと思う。

私の彼女がこれを読んでいることはないと思うけど、彼女に謝りたい。
本当にごめんね。
あと、希望も欲しい…とか言ったら欲張りかな?

ここ半年間の私の変化だけを見て、これから先のあなたとの関係が終わってしまうということだけは避けたい。
転職も、もうしばらくかかりそうだけど、あなたとの思い出があふれる故郷で、あなたと共に出会ったあたたかい人たちのもとで、精一杯頑張って、時には甘えさせてもらったりして、また元気になって、
本来の私をもう一度取り戻したい。
そうしたら、また、好きとか愛してるって言ってくれるかな。
抱きしめてくれるかな。
一緒にぐっすり、眠れるかな。

何となく、今は無理やり特定のセリフを言わそうとしない方が良いのではないかと思って、転職の進捗や楽しかった出来事をたくさん話すようにしている。
いまは、信じるしかない。
彼女のことも、自分のことも。
信じて、新しい職場で前に進むしかないんだ。
そこに、私が望む結果があると信じている。


ねえ、今度さ、私の新しいおうちに来たら、私の作った料理一緒に食べてほしいな。
オムライス作ろう!あなたは絵が上手だから、ケチャップをかけるのは任せるね。
ケーキも作ろうか!あなたの一番好きないちご、たくさんのせよう。
からあげも!マーボー麺も!ティラミスも!
あなたが好きなもの、いっぱいいっぱい全部作って食べよう。
あなたと一緒に過ごした、あの小さい机、持っていくから。
ぎゅうぎゅうになって食べよう。
いっぱい、お話ししたい。
それであなたの話もたくさん聞かせてほしい。

その時には、元気になれるようにがんばるから。
あなたとのこの関係が、過去のものになってしまわないように。
これからも続いていくものであるように。

大好きなあなたに愛されていることが、私の人生にとってもっとも大きなことだって気づいたよ。
結婚したいのか、子どもが欲しいのか、たくさん考えたけどどれもあてはまらなかった。
たった一つ、あなたに愛されていること、これが、私の人生に必要なことだったんだよ。
それで、十分なんだよ。

愛してる。愛しているよ。

あなたがもう一度、心の底からこの言葉を言ってくれるその時が来ることを信じて、
私は、もう一度立ち上がる。

元気になってみせるよ。

それまでもうすこしだけ、待っていて。




最後に、自分の人生における美徳とは何か、書いておきたい。

とはいっても、美徳って難しいね。

コトバンクで調べたら、
「美しい徳性。道徳にかなった立派な行い。また、よい心。」
と書かれてあった。

意訳になるかもしれないが、ものすごくざっくり言うと、
「自分の良いと思う精神、行いとは何なのか。どんな自分でありたいのか。どういう自分を目指すのか。」
ということが書きたいのである…
温かい目で見てほしい。

うまいかヘタかは別として、私は自分の思ったことや感じたことを表現することが好きである。
そう言う意味では器用な方であると思う。
何かを描いたり、文章を書いたり、モノを作ったり、歌ったり、踊ったり…
それは自分を表現するための手段であり、あまりそこに境目を感じたことはない。
しかも今までできなかった表現方法ができるようになると、それにすごく喜びを感じることができる。
表現している最中も、それを極めている時も、完成したときも、私は心から充実した気持ちになる。

けれど、それを実行するには、自分が家庭環境などから抱いてきたコンプレックスを払拭する存在.…
容姿批判や人格否定、そのほか無茶苦茶なことが日常茶飯事だった私にとって、私自身を無条件に愛してくれる人の存在が必要なのである。
その存在があることで安心感に満たされ、自分でもびっくりするくらい力を発揮することができる。

恋愛にかんする様々な作品で、
恋人と死別するシチュエーションがある。
不憫と言う意味ではなく、私はその時の恋人に対する変わりようのないほどの大きな愛と覚悟が見える瞬間が好きである。
単純に、かっこいいと思う。

その相手に愛されたただ一人の人、あるいは自分が愛したただ一人の人。
それはお互いだけが知っていて、他の人は知ることができない。
本当に二人の記憶と想像の中にだけある、清らかだが熱情的な世界。
決して他になびかれることなく、その思い出を抱いて信じて、自分の糧にして、ただ一人のことを想いながら必死に生き抜き、死んでいく。
それってかっこいいなとか、思ったりする。

あと、自己肯定感がどうしても低いので、助けてくれる人には絶対に恩返しをしたい。
お金があったらプレゼントをあげるけれど、せめて私といて恥ずかしいとか思われたくないし、あなたといてよかったって、思われるような人になりたい。
そのためには、相手に誠実に接すること。
しっかりと自分を磨くこと。
元気でいること。
元気が出ない時の方が多いけど、そういう時は、自分でも努力しながら、頼れる人に甘えてみようかな。
noteを書きに来てもいい。

つまり私の中で、たとえ給料が良くても、今の職場のように邪魔に思われながら楽しくないことをそう思わないようにとずっと思いながら生きていくというのは、自分の美徳にかすりもしていないのだ。
これじゃ精神が不健康になるのは当たり前のことである。

私の人生の美徳は、
自分のコンプレックスを払拭してくれるような人に愛されること。
その安心感の元で、その人に恩返しができるように自分も精一杯頑張り、人には誠実に接すること。
できれば頑張る先は、自分の気持ちを表現できるようなものがいいこと。
この循環を、止めないよう努力すること。

27歳にしては、まとまった気がしないでもない。

私は、私らしく、生きていきたい。
きっと、そういう生き方しかできない。

自分にあったスケールで、
精一杯自分を発揮しよう。

私はひとりじゃない。
大切なものを、しっかりとこの目に焼き付けて、大事に抱えて、生きていける。

その想いを絶やさずに、つないでいくことができる。




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