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明瞭な嫌と不明瞭な好

かれこれ半年ほど、何かを探しているような気がする。

正体が分かりそうになるたびに、その答えが気の遠くなりそうなほど先にあることに絶望する。

それでも前に歩を進めるしか選択肢はないのである。


とりわけ学校というものは、私に様々な影響を与えた。

家族以外の人間が存在するという事実。

多様性と偏見。

組織と理不尽。

権力と自由。

先生と言う名の悪魔。

友達と言う名の檻。

個性と言う名の差別。


素直で無垢な子どもであったように思う。

正解がある家庭で育ったことで、たいそう正義感が強かった。

その正義感は今になって、私を苦しめている。


うちの家庭では、父の機嫌が良くなるように振舞うことが、間違いなく正解であった。

20年間、刷り込まれてきた。

家族を守るため。自分を守るため。

その役割を、全うしてきた。


その副作用が今なら少し、わかるのである。

嫌なことは、すごく明確にわかる。

そして鍛錬の甲斐があり、その対処法も身に着けている。

対処法はもっぱら自己犠牲である。

気づけば自分の身を呈して得る家族の平和や笑顔に喜びを感じる体になっていた。


好きなことが明確にわかるまで、時間がかかった。

今もまだ、輪郭がぼやけている。

好きなことは、自発的に生じるものである。

私もその感覚を感じたことがある。

言葉で言い表すことのできない、酔ったような、指先まで冴えわたるような感覚。

生きている。確かに、今生きているんだと満たされた気持ちになる。


しかし、正解ではない場合もたくさんあったのだ。


ことごとく、ぐしゃりと、音が鮮明に聞こえるくらい潰された。


もう、潰されたくなかった。


涙があふれて、嫌だと言っても、その選択をした自分をすべて否定される。


こんな思い、もうしたくない。


正解に従う、忠実で素直な子どもに徹するために、好きなものを自発的に手に取ることをやめた。

その報酬として、私は、十分な衣食住と教育と、金銭的な援助と信頼を得ることができた。

平和に暮らしていた。


嫌なことがはっきりわかる一方で好きなことが分からないのは問題ではないと思っていたが、違っていたようだ。


大学に入ると私は好きなものを選択し、嫌なものをはっきり嫌と言う多数の人間と出会うことになる。

カルチャーショックであった。

裏の側面から物事に触れてこなかった人間がいたのである。
自分の意見を聞き入れてくれる環境で育った人間がいたのである。

疎ましく感じた。

辛かった。

でも、私にも友人にも、罪はないのである。

その事実が余計に私を苦しめた。



私は料理を作るのが好きである。

こうやって文章を書くことも、

今日あったことを話すのも、

誰かを褒めるのも、

音楽を聴くことも、

車の中で大声で歌うことも、

思いのまま踊ることも、


そして、私の言ったことで笑ったり、喜んでくれることも、大好きなのである。


血がつながっていなくても、今の私を好いてくれている人はいる。

守ってくれる人がいるのである。

ありがとう。ありがとう。

本当にありがとう。


道の先にひときわ大きな光が見えた。

近づくほどに、燃えるような熱さが体を蝕んだ。

焼けてしまいそうで思わず後ろを振り返ると、

私の歩いてきた道に、すでに命が芽吹いているのに気が付いた。

その場にしゃがんで地のぬくもりを感じていると、

そのいとおしさに、迫りくる背後の熱気に、

一筋の涙が頬を伝った。


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