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アンケで後半が変わる短編小説『珈琲』

あなたの精子が欲しいです、と涼子に言われたのは、池袋の喫茶店だった。

涼子は学生時代の恋人で、もう十年も会っていなかった。たまたま、当時の友人グループの中で結婚するカップルがいるとかで、LINEのグループが作られた中に涼子もいて、それで連絡先を知ったくらいだ。

涼子の首筋はとても細く、薄い桜色のセーターからは鎖骨が透けて見える。うつむきながら差し出した通帳には、八桁後半の数字が記されていた。そんなにいい大学だったわけでもない。身なりから、羽振りのよい生活をしているようにも感じない。つつましく細々と生きてきた、涼子の十年の結晶なのだろう。

「結婚するつもりはないの。ただ、子どもは欲しくて」

淡々と話す涼子。とびきりの美人と言うわけでもないが、近寄ってくる男性は、俺以外にもたくさんいただろう。しかし、それをはねのけて、一人で生きてきたのだろうと感じる、強い意志を瞳の奥に感じた。

違う、そういうことを考えている場合ではない。珈琲が運ばれてくるなり発せられた涼子の言葉に、つい現実逃避をしてしまった。どうやら冗談ではないらしい。十年前の元恋人との再開、とくれば、昔話に花でも咲かせ、近況報告程度の雑談で終わるものと思い込んでいた。いや、あわよくばヨリを戻そうとか、きらめく期待もしていた。しかし、涼子は俺の予想のはるか斜め上から、核爆弾を落とした。

「何で、俺なの?」

やっと絞り出したと同時に、エスプレッソを一気に飲み干す。珈琲ってこんなに味がしないものだっただろうか。そもそも、この質問でよかっただろうか。

「つきあってたとき、子どもが出来たら、犬を飼いたいって言ってたでしょ。あれを聞いたときに、なんかいいなぁって思って。忘れられなくて」

たしかに言った気がする。子どもと同い年の犬を飼うことが、子どもの人生にとってとてもいい、と親戚の独身のおじさんが正月に言っていたからだ。何歳のときに何がどうとかダラダラ続けてしゃべった気がするが、全部受け売りだ。

とりあえず俺は、大きく質問を間違えたことを自覚した。また、店も大きく間違えた。食事ならとりあえず食べておいしいとか言って流すことも出来たが、俺の目の前には空っぽのエスプレッソカップ、涼子の前にはまだ口をつけていないアイスコーヒー。逃げ場がない。だって、こんなことを言われるなんて思ってもいなかったんだ!だからデートでよく来た、少し暗い喫茶店の、階段下のいつもの席に収まってしまった。五分前の自分に、いますぐ騒がしいハンバーガーショップかなんかへ切り替えろと電波を送りたい。

静寂の中、涼子が続ける。

「体外受精って聞いたことあるでしょ?不妊治療の一種なんだけど、何回か一緒にお医者さん行ってもらって、それで採取させてもらえればって思って。精子バンクも考えたんだけど、やっぱり知ってる人のがいいなって。それで、優太のこと、思い出したの」

採取。文系の俺にとって、小学校のアサガオの種をとった以来に対面した言葉だ。ああそうか、種といえば、種か。

「ふつうに結婚すればいいじゃん。俺じゃなくても、誰かいい人いるだろ」

こんな無責任な言葉ってあるか、と喋りながら思ったがもう手遅れだった。涼子が眉をひそめる。

「結婚はいいの。うちの両親も仲悪かったし。貯金もこれだけあればしばらく暮らせるし、優太に迷惑はかけないから」

「ひとりで育てるの?」

「うん。仕事も家で出来るし、母は多分助けてくれるし、大丈夫よ」

「何の仕事してるの?」

「IT系」

「へー、文系でも出来るんだ」

「関係ないわよ」

ここで、涼子がようやくアイスコーヒーのストローに手を伸ばしてくれた。黒い液体がぬるっとストローの中をのぼって、涼子の口へ吸い込まれていく。そうだ、俺は涼子のこの、飲み物を飲むときのすぼめた口の感じが好きだった。

飲みながら涼子がこちらを向き、目があった。

俺の全身の血液も一気に飲み干されたような気がした。

「ね、絶対迷惑かけないから。優太まだ、独身でしょ?」

「うん」

「彼女とかいるの?」

「いや…」

「よかった」

ああ、ここでいるとでも言っておけば言い訳が出来たのか。と気づいたときには、涼子はもうアイスコーヒーを飲み干していた。

「変わった選択だっていうのは、わかってるの。でも、私は優太の精子で子どもが生みたい」

涼子はまっすぐに俺を見ながら言う。

「おねがいします」

下げられた涼子の頭が、机につきそうだった。

・・・

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