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入院前夜

明日から入院です。
明後日に手術です。
退院日はわかりません。
術後の経過次第です。

手術中に検査をして、
その結果で追加手術をするか決まるそうです。
思ったより酷かったら、
より大きな手術になるそうです。
つまり私がどうなるかは
現時点で誰もわかりません。

これほど自分の人生を見つめ直したことは
ありませんでした。

身一つで生きていけるつもりでした。
自立して一人で生活できることを目標に
生きてきました。
実家と折り合いが悪いせいもあり、
『自分の生活が成立すること』が至上命題でした。

その、頼りにしていた我が身が、欠ける。

自分の一部が無くなる可能性がある期間を、
正気で過ごすためには、
かなりの哲学の立て直しが必要でした。

そういえば、認知症になれば、私は私を見失う。
とすれば、どこまでが私と呼べるのか。

実はこの病気を告げられた当日、
人狼番組で悪女陣営で勝利したりしてました。

何も知らない番組や共演者の皆様に
勝手に救われていました

私のやりたいこととは。
私がしていて楽しいこととは。
私が一緒にいたい人とは。

もしかしたらもう、
私は私でなくなるかもしれない、と思い
私は私と最後になるかもしれない
旅行をしたいと思いたち、
直感的に行きたかった広島・宮島に行きました。
狙ってなかったけど、G7よりひと足先に。

映像学科出身の癖に、写真の下手さが悲しい

宮島は雨で冷たく、
おかげで人はそこまで多くなく、
島全体が聖域のようなこの島で
ゆっくりと過ごしました。

雨でまわるところもあまりなかったとはいえ、
結局カフェや商店街を巡ったあと
気づいたらホテルで天鳳してました。

私がやりたいこととは。
私がやりたくないこととは。

気づいたのは、
私は私をもてなし、元気づけ、
気分よく一生を送れるように全力をそそぐことしか
やるべきことはない、ということでした。

なぜなら、それを出来るのは
私しかいないからです。

私と同じ環境にいて、
私と常に離れず、
私の感じたことを一番理解できるのは、私。
そりゃあ本人なんだからそうだよ、と言われそうですが
今まで35年以上生きてきて、私はやっと、
このことに気づいて実感をもてたのです。

私以上に私を大切にできる人はいない。

孤独な女と引かれそうですが、
その事実を、きちんと受け入れて、
その責務を、きちんと全うしようと思いました。
これからは。生きている限り。

私の大好きな筋肉少女帯の詩に
『おまけの一日』というものがあります。

ルチャドールになるために
猛練習を積んでいた少年が
トベデレバルサの失敗で
短いその命を落としました
憐れに思った神様は
少年におまけの一日をお与えになりました
おまけの一日 さりとて するべき事も無く
なんとなく陽はくれて その夕陽を見ながら少年
「あ~ 僕の一生こそ おまけのようなものだったな」
と思いました

https://j-lyric.net/artist/a002b56/l00b75d.html

花の女子高生時代にこんな歌ばかり聞いていたら
孤独な女になっても自業自得です。

そして今日、
まさにそのおまけのような一日を味わいました。

今日を特別な日にしようと思えば、
何だって出来ました。
私は私のごきげんをとることに躊躇をなくしたので
なんでも買ってあげられるし、
何処へでも行ける。
でも、私はそこまで特別なことをすることに
気乗りしませんでした。
朝からPCR検査を受けたり買い物をしたりして疲れた、というのもありますが
たぶん、明日から何もかも新しいことが起きそうなので
今日という最後の平穏を楽しみたかったのだと思います。

スクランブル交差点にこんなのが立ってるなんて
今日初めて気づいた

それでも、生きていかざるを得なそうで、
たぶん最後の平穏とか言いつつ、
手術が無事成功して傷も回復すれば
また今日のような日を過ごせるのでしょうが、
その保証がないことがどれほど心細いか、
これは味わわないとわからないものがあります。

ほんとうに。

なにはともあれ、
私は私とはぐれるわけにはいかない。
今はそんな気持ちです。

カラオケ行けばよかったかな。

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