「二十歳の頃」№13 母にきく
私がインタビューしたのは母、松尾律である。1975年愛媛県松山市に生まれる。母が20歳の時は1995年。阪神大震災、地下鉄サリン事件が起き、景気低迷で就職難が続いた。無党派知事が誕生し、この「無党派」は流行語大賞に選ばれた。(聞き手・松尾彩羽=2年)
ーー二十歳の頃、何してた?
松山から関西に出て、美術を学ぶ奈良の短大に通っていた。短大を卒業してそこの専攻科に進んだ。
ーー専攻科って?
短大の上に専攻科という絵を学ぶところがあってん。そこ卒業してから美術の先生になる教員免許を半年で取った。ちなみに、成人式は行ってません。松山まで帰らなあかんから。今と違って、休みなんか設けてくれへんかったから。
ーー二十歳の頃の苦悩は
作品をつくるのが大変やったなあ。年に2回、展覧会に作品を出すんやけど、いい絵が描けへんから悩んでたなあ。高校を出てから一人暮らしやったしな。そのときに買った電子レンジが今家で使ってるあれやねん(笑)。23歳の時には、飼ったらあかんかってんけど、梅子という柴犬を飼ってん。
ーーなんで犬飼ったん? 一人暮らしやろ?
一人暮らしやけど、学校にいってなかったから飼ったなあ。大学を卒業してからは、ずっと絵を描いていたよ。お金にはならんけど、展覧会に出していた。ずっと作品制作ばっかりやったわ。お母さんにバイトしたらあかんって言われとったから。
ーー教員免許はどうしたん?
どっかいった。確かにもらったはずなんやけどなあ(笑)。
ーーなんで美術を専攻して絵を描こうと思ったん?
やりたかったから? なんやろな、働きたくなかったから。だって高卒で働かなあかんかってんやん。じゃあ、そこからちょっと頑張って大学行こって思って。18歳の時は一人暮らしするつもりも大学に行くつもりもなかってん。働くんかなって思ってたけど、待てよ、働くん嫌やしなって。そこから絵の勉強と普通の英語とか数学とか進学に必要な勉強をしてん。
ーー親は奈良に出ることに反対せんかったん?
行きなさい、やったな。なんでかと言うと、私と年が離れとったからうちの親。お父さんがどこも出してくれへんなるやろうからって、お母さんが「行きなさい」って出してくれた。親も相当寂しかったと思うよ。42歳で私を産んで、そのとき62歳やったからなあ。60歳になってもばりばりに働いてたから、家を出ていいよって言ってくれたと思うねん。
ーー二十歳の頃、何がはやってた?
安室(奈美恵)ちゃんがめーっちゃはやってたで。アムラーしかおらんのちゃうぐらい。ミニスカとルーズソックスな。ガストのハンバーグも300円で食べられた(笑)。 今より全然安かったからめっちゃ食べてたわ。なんで今あんな高なってんやろな。かわいそうに。
ーー他になんかある
音楽やったらB’zかな。CD、まだ持ってるで。今CDなんか集めへんやろ。
ーー二十歳の頃に学んだことは
やりたいことをやるってことかな。絵は描きたかったけど、18歳の頃、一人暮らしするとか大学行けるとか思ってなかったもん。ましてや地元を出てまで。やりたいこと見つけや。
【感想】
母が絵を学ぶため奈良の短大に進んでいたのは知っていたが、なぜ奈良に出たのかを知らなかった。今みたいにすぐに流行が変わる時代ではなく、一つのはやりが歴史に残るほど大流行しているのは、すごいと思った。