「二十歳の頃」№14 大叔父にきく
私の大叔父は1952年生まれの71歳。近所に住んでいるので、幼い頃からお世話になっていました。穏やかな性格で、怒っているところやイライラしているところを見たことがありません。真面目で優しい人です。今でも私を駅まで迎えにきてくれます。奥さんも優しく、一緒にいると優しい気持ちになれます。真面目な性格ゆえ、私が大叔父の家に着き、座るなり、「僕が二十歳の時はね」としゃべり出し、インタビューが始まりました。(聞き手・M.M.=2年)
――20歳の時、何をしていましたか
僕は自衛隊の特化というところの無線通信班におったよ。大砲を打ったり、モールス信号を無線でうつ部隊やな。自衛隊に入る前は、金融関係で働いてたんやけど、それが嫌になった。友達の義理のお兄ちゃんの紹介で試験受けてみることになって受けたら受かったんよ。
――自衛隊に入ってからはどうやった?
1年間は教育を受けるだけなんよ。3カ月間ほふく前進の練習やら集団行動の練習やらをさせられんのよ。そこから3カ月、レベルの上がった練習。銃うったり。そんな感じで1年練習してからそれぞれ配属される感じやな。
――自衛隊って何してんの
戦争が起きた時のための模擬練習みたいな感じよ。3カ月に1回くらい鉄砲も撃つし。
――休みの日はある?
あるよ。一応、国家公務員やからな。土曜の昼から日曜は休み。部隊へ配属されてからは、平日も18時〜23時は外出してもよかったけど、1年目は土曜の昼からと日曜日で門限は変わらず23時。外泊は禁止。
――どこで遊ぶん?
お酒が好きじゃなかったから行かんかったけど、自衛隊の施設の中にお酒の飲めるクラブという場があって、お酒が好きな隊員は毎日行っていた。忘年会でもよく使われてたから、その時は僕も飲んだな。施設には本屋も床屋もあったから、そこで小遣いを使ったりしてたよ。小遣いっていうか給料やな。給料は月に2万4千円やったかな。
――少なくない?
50年も前やし、普通やで。施設では衣食住全部ある。お酒も飲まんし、土日に外へ出たりとか本買ったりするだけやったから、ちょうどよかったよ。
――自衛隊やめて消防隊に入ったやん。自衛隊やめたかった?
いや、やめたいとかではなかったんやけどな。僕は長男やったから地元へ帰らなあかんからやめた。自衛隊は2年契約。契約が切れるタイミングでやめたよ。
――自衛隊をやめたいとは思わんかったん?
んー、やめたいというか、自衛隊の前の仕事もマンネリ化して嫌になってやめたんよな。でも、寮の生活は男ばっかりで楽しかったよ。一部屋12人で2段ベッドが6つ。先輩も後輩も一緒に寝て楽しかった。ところで、何の職業に就きたいとかあるんか?
――したいことがなくて迷ってるねんなー
1回就職してみやな。その職業が合ってるか合ってないかなんてわからんのやから、就職して合わんかったらやめたらいいよ。僕なんて3回も就職してるからね。なにかやりたいことを見つけろって言う方が間違いやねん。それがわからんくて見つけるために就職するんやから。1回就職して自分が何をしたいんか考えていけばいいよ。
【感想】
大叔父は、私と同い年の頃、自分とは全く違う生活を送っていた。転職が普通ではなかった時代、2回も転職した行動力はすごいと思った。就職に迷っている私は、彼の人生に勇気づけられました。「合わなかったら転職すればいい」という言葉は説得力があり、焦らないでいいという気持ちになった。反省点としては、彼が20歳の時の1972年の日本社会について調べていたのに、それに関する質問ができなかったこと。その年、札幌で冬季オリンピックがあったり、沖縄が日本に返還されたり、日本にとって大きな出来事がたくさんあり、活気があったと思う。そのような年に20歳だった彼に質問できなかったのは痛かった。