見出し画像

中学生でもわかるお金の歴史【後編】

前編はこちら

国際通貨

18世紀、イギリスはアメリカの植民地に対しポンド(イギリスの通貨)での納税を強いていました。

その上、植民地での独自通貨の製造も禁止していました。
つまり植民地の人々はイギリスと貿易を行って通貨を得るしかなかったのです。

ベンジャミン・フランクリンによればアメリカ独立戦争の発端は、このポンドでの納税が重荷であったこと、ポンド入手のために強いられた不利な貿易が原因であるということです。

世界の基軸通貨ドルの誕生

戦後やっと手に入れた自由でもって、アメリカはアメリカドルの発行を許可されました

その後、アメリカの莫大な貿易量と信頼性の高い課税基盤により、ついにドルは世界中でもっとも広く使われる通貨となりました。

イギリスを含め多くの国々はドルを大量に貯蓄するようになりました。
しかし準備通貨をドルで保有するということは、イギリスは少なくとも権力の一部をアメリカへ引き渡したということです。

お金と銀行の設立

19世紀までには、銀行業はすっかり社会に認められたビジネスになりました。

銀行は基本的に融資で利益を得て、受け取ったお金の金利はより低くしました。
つまり預金の金利は低く抑え、融資の金利は高くする事で利益を得るビジネスモデルです。

しかし、まもなく銀行は気づきました。
預金者みんなが同時にお金を必要としなければ、保管額より多くのお金を何度も貸し出すことができるのです。

銀行への取付

これは部分準備銀行制度として知られています。
ごくまれに預金者みんなが同時にお金を引き出そうとすると、銀行への取付が起こりました。

このことが経済に幅広く与える影響はとても深刻であるため、
政府は顧客の預金を保証して取付の発生を防ぎました。

これにより、銀行はより多くのお金を貸し出すことができるようになりました。

21世紀までには、部分準備銀行制度にまったく新しい水準をもたらす銀行も現れ、貸付金の多くを預金者の現金預金からではなく、他銀からの融資でまかない、過去の貸付の担保にもしていました。

2007年にサブプライムローンを発端とする銀行への取付が起きたとき、ノーザン・ロックのような銀行は十分な払戻資金を持っておらず、その影響はただ一つの銀行内には留まりませんでした。

お金と銀行の救済

どのようにして政府が2008年以降のリーマンショックによる世界的な金融崩壊を防ごうとしたのかを理解するために、経済学者は2種類のお金を区別しました。

銀行制度内で作られるお金と、銀行制度外で政府によって作られるお金です。

銀行制度内で作られるお金

銀行が新しく貸付でお金を作るとき、銀行は新たな私的資産、つまり貸付金とそれを返済するための借り手への同額の個人債務を得ます。

例えば1000万円を貸すのと同時に、1000万の価値を持つ借用書を得ます。
するとあら不思議、1000万円しか貸していないのに2000万円の債権(お金を貸した証明)が生まれました。

これが銀行制度内で作られるお金です。

銀行制度外で政府によって作られるお金

政府は新たな国債を売ってお金を作ることができます。
この国債は新たな個人資産として流通しますが、それらを返済するための同額の個人債務はありません。

その代わり、銀行制度外のこのお金は公共負債に算入されます。
公共負債とは、いわゆる国や自治体の借金です。
現在の日本の公共負債は約1200兆円と言われています。

それは全経済活動におけるごく小さな割合のお金ですが、この制度外のお金が銀行の私的な不良債権を買い上げて帳消しにするのです。

民間の銀行はその健全性の維持を銀行制度内の新たな資産で、政府の支援を得て行います。

マネーパワー

1973年に金本位制での取引が消滅してから、世界はドルでの取引を続けています。
(ドルの本質的な価値はともかく)

ここから先は

886字 / 1画像
この記事のみ ¥ 300

この記事が参加している募集

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?