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わたしたちの「よき祖先」|tokoroさん


長野で生まれ、現在は、古書店が並ぶ東京・神保町の一角に家族と暮らす。「食と住まい」を入口に北欧の魅力を伝える発信地から、モノと人、土地と時間を、継ぎ、繋ぐ。


–––– 古いものが好きなんです。転がってる硬貨ひとつとっても「なんかすごいな」って。時間も空間も巡りながら、ずっと存在し続けているわけですから。人の一生を、モノは優に超えている。

 

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直せるから、続いていく。
循環しながら、継がれていく。


ーー ビンテージ家具については、「一生もの」という印象を持ってる人も多いかもしれないですね。言葉の捉え方はそれぞれだけど、僕は「一生もの」について、「自分が一生使うもの」という感覚があまりないんです。

環境も自分の状況も変わっていくし、それに応じて、モノとの関わり方も変わっていい。自分の所有物として寵愛して、自分が託したい人に手渡すというよりも、手にしたり手放したりを繰り返しながら、モノが自由に世界を循環している感じが「いいな」って思うんです。

"ずっとそばにあって変わらないもの" より、メンテナンスしながら共に過ごして、「その時」がきたら、必要なところへ渡っていく。それができるものが、僕にとっての一生ものです。


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シンプルなものを、手当てして


ーー ビンテージ家具は、手にした時が一つのスタートです。よい状態で使い続けるには、なんと言っても「壊れる前」のメンテナンスが欠かせないんです。モノは、使っているうちに必ず壊れる時が来る。そのタイミングは、日頃から意識を向けていないと気付けないんですよね。長く付き合っていくには、日常の意識掛けとメンテナンスが本当に大事です。

だから、家具を購入される時、工具をお持ちでない人には、その家具に必要なドライバーを一本でも手にされることを僕はお勧めしています。


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ーー そうやって長く広くあり続けるには、シンプルであることは大事な要素だと思います。作りが複雑であったり、細部まで固定し尽くされているものは、解体するにも再生させるにも、素人にはなかなか難しい。

それから、「継ぐもの」と「消耗品」を区別できる作りであることも大事ですね。例えば、ソファの根幹は、手当てをしながら継いでいく。一方で、ウレタン部分やスプリングは消耗品として交換をする。使い手の僕らがそこを見誤らずに、相応しい方法で手当していくということです。

デンマークの人たちは、自宅の庭先でガレージセールを開いて、家具や日用品なんかを気軽に売買すると聞きました。価値ある状態でなければ売れないわけですから、おのずと、手にしたものを良い状態に維持しようとする。それぐらい利己的な感覚でメンテナンスをしている感じがあって、僕は、そのぐらいが「ちょうどいい」と思うんです。


それぞれのよさと、たのしみ方


ーー この辺りの家具は、主にデンマークやフィンランドを代表するデザイナーによるもの。バイキング(海賊)の歴史があるデンマークでは、船舶に使われた丈夫で上質な木材を、廃船後に再利用することも多くて、1930-1960年代にはそうした廃材から、洗練された数々の家具がつくられました。才能溢れるデザイナーらが描くデザインと、モノに輪郭を与えて成形し得る、巧みな技術を習得した職人たちの存在があってのことですね。そうやって北欧家具は生まれ、世代を超え、海も越えて今もこうして多くの人に愛されています。


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一度用途を終えた素材に、新たな用途を与える人々がいる。
時代を超え、海を超えて、それを使う人々がいる。


選択肢のある豊かさ


ーー モノには、一点ものには一点ものにしかない良さがあると同時に、ある程度の量的生産を前提としたデザインにこそ生まれる、機能美というのもあります。「より多くの人に届ける」ために、シンプルな仕組みを維持しながら、強度を増したり、より多くの人に愛される普遍的なラインを描いていく。そうして生まれる「完成された美しさ」というものも、すごくいいんですよ。

人々の幸せのかたちも、きっと、それぞれ。

デンマークには、オーガニックなものを生産することも、それを手にすることも「特別ではない」環境がある。僕は、「選択肢がある」というこの国の社会の姿をとてもリスペクトしています。

基本的に、流通しているものが上質であることが多くて、失敗した買い物の経験が人々にあまりないことも、軽やかにモノを循環できる要素の一つなんじゃないかな。思想や道徳に寄り過ぎることもなく、慎重になり過ぎることもない。そこには、僕らの利己的な部分も含まれていて。それで、いいと思うんですよ。


自分の手元に「変わらずある」ように見えるものも
実は、そうではないかもしれない。
そうしたくても、できないかもしれない。

手の内に変わらずあり続けることも、
突然この世から消え去ることも、多分ない。

然るべき時、然るべきところへと、巡っていく。

変わりゆくものと共にあれるということは
"おおらかに 離れていられる"
ということかもしれない。


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