アインシュタインが悔やんだ核兵器に至る暗い科学と未来の明るい科学
7月9日は『ラッセル・アインシュタイン宣言の日』
それは、イギリスの哲学者・バートランド・ラッセルと、アメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタインが中心となり、1955年7月9日にロンドンにて、米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して提示された核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文である。
この間際にアインシュタインが没しており、当宣言はアインシュタインが人類に放った遺言状ともいえるものだった。
彼は悔いていたのだ。自らの研究が核兵器という悲惨な結末に向かっていることを・・・
アインシュタインとは
彼は1879年にドイツで生まれた。
今では天才としたれる彼は、実は暗記が得意ではなく、学校にも行かない不良少年だった。
でも数学と物理には類稀なる才能があった。
そして26歳の頃、あの理論にたどり着く。
相対性理論
「質量、長さ、同時性といった概念は、観測者のいる慣性系によって異なる相対的なものであるが、唯一不変なもの光速度cがある」という考え。これを”相対性理論”と呼び、関係を数式化しました。
また、唯一不変の絶対なる客観としてcを置いた訳です。
さらに2年後、遂にあの公式を発表。
E = mc^2
それは「質量とエネルギー」の関係を表す式。
質量にはエネルギーがあって、しかもそのエネルギー量は”光速の2乗”が掛けられることが発見された。
つまり、『静止した物体に莫大なエネルギーがある』という発見。
それが当時の”大戦中”という時代背景のもと、軍事科学として注目されたわけです。
そんな中とうとう、ドイツがそのエネルギーを取り出すことに成功しました。
不安定な元素に中性子を当てて原子を分割(暗い科学)させるテクノロジー
『核分裂』
質量を強引にエネルギーへ転化する、その技術は多くの悲劇を生んだ。
その過程を傍らでみていたアインシュタインは、次のような言葉を残しています。
「我々は戦いには勝利したが、平和まで勝ち取ったわけではない」
彼は他にも1915年に、それを[加速度]と[重力]を取り込んだ一般相対性理論を発表。
その後、さらに[電磁気力]と[重力]を統合する[統一場理論]の構築に心血を注ぎましたが、未完のうちに亡くなりました。
つまり、[物質と時空]を統べるこの統一場理論(明るい科学)へは到達できなかったのです。
では、彼のたどり着きたかった『明るい科学』とは?
この未来の科学にもっとも近かったかもしれない、天才サイエンティストを紹介して、今日は終わりとしましょう。
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