メンゲレの「悪の卑小さ」——オリヴィエ・ゲーズの『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』を読む
本書『ヨーゼフ・メンゲレの逃亡』は、アウシュヴィッツ強制収容所のナチスの医師ヨーゼフ・メンゲレの戦後の逃亡を、本人の視点から小説形式で描いたノンフィクション小説の傑作である。ユダヤ人、特に双子たちを実験対象に、信じがたい人体実験を重ねた悪魔のような医師メンゲレは、ドイツ敗戦後、南米に逃亡し、1979年まで捕まることも裁かれることもなく生き延び、人知れず死んでいった。その後半生を多くの資料を元にして描ききっている。ゴンクール賞などと並んで、フランスでの最も権威ある文学賞の一つであるルノードー賞を受賞している。
ヨーゼフ・メンゲレ(Josef Mengele、1911 - 1979)は、ドイツの医師、人類学者、親衛隊大尉。第二次世界大戦における戦争犯罪者として知られる。1937年から人類生物学者、遺伝学者のオトマー・フライヘル・フォン・フェアシューアーの助手として働いた後、メンゲレは1940年に武装親衛隊に志願した。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で彼は選別を行い、非倫理的な人体実験を行った。戦後は南米で逃亡生活を送っていた。1949年7月に元SSメンバーのラットラインの支援を受けてアルゼンチンに航海した。彼は当初ブエノスアイレスとその周辺に住んでいたが、1959年にパラグアイに、1960年にブラジルに逃げた。メンゲレは、西ドイツ政府による身柄引き渡し要求とイスラエルの諜報機関モサドによる秘密工作にもかかわらず、捕獲を逃れた。 1964年初頭、フランクフルト大学およびミュンヘン大学は、ヒポクラテスの誓いを破ったこと、アウシュヴィッツで殺人の罪を犯したことを理由に、彼の医学と人類学における博士号を取りあげた。1979年2月7日、サンパウロ州ベルティオガの海岸で海水浴中に心臓発作を起こし、溺死した。(Wikipedia)
このオリヴィエ・ゲーズ氏の作品の中でクライマックスとなるのが、メンゲレの息子ロルフが、父の最後の逃亡先であるサンパウロの貧民街にいるメンゲレを訪ねてくる場面である。ロルフは立派な弁護士になっていたが、自分の家名に対してずっと十字架を背負っていた。彼はずっと悩み続けてきた。
父と対面し「アウシュヴィッツで何をしたのか?」とストレートに問う息子に対して、メンゲレは臆面もなく答える。
この小説では、メンゲレという男の「卑小さ」がリアルに描かれている。それを著者ゲーズ氏はインタビュー(冒頭の引用)の中で「悪の卑小さ(mediocrity of evil)」と表現した。この表現は、もちろんハンナ・アーレントがアドルフ・アイヒマンに対して用いた「悪の凡庸さ(banality of evil)」を意識している。一見、メンゲレは、小さなアイヒマンであるかのように見える。しかし「凡庸さ」と「卑小さ」には決定的な違いがあることに気づかされる。なぜなら、「凡庸さ」の本質とは「何も考えていないこと(無思考)」であることに対して、「卑小さ」の本質とは卑怯・卑劣と近いものであり、つまりは「自分に嘘をつくこと」であるから。
本作品では、メンゲレの「卑小さ」が徹底的に描かれている。父を乗り越えようとして終生父に甘え、一つ年下の弟を憎み、弟に復讐するかのようにその未亡人を後妻に迎え、南米各地の逃亡先においても暴君のように振る舞ったメンゲレ。そして、息子にだけは自分を理解してほしいと願いながらも、「アウシュヴィッツで何をしたのか」と聞く息子に対し、自分を偽り、自分に罪はないと自己弁護を繰り返したメンゲレ。しかし、晩年彼を苦しめたのはアウシュヴィッツで自分が切り刻んだユダヤ人たちの亡霊だったのである。
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