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「プロフィールのようなもの」

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 序文・簡単な自己紹介

 初めまして「アートとメルヘンと創作の森」です。

 アートとメルヘンと創作の森は3つのサイトの集合体です。それぞれは各サイト名として、「秋野あかね・おおくぼみつゆき・黒澤はるお」の名を使用しています。

 このたびnoteを始める事に致しました。まだ不慣れで、ぎこちないかも知れませんが、どうぞ宜しくお願いいたします。

おおくぼみつゆき・の簡単な自己紹介

 私が、今までに似ていると言われたのは、人では高校生の頃に吉田拓郎と動物のコアラです。そして少しして森進一ですが、これはあまり信憑性は有りませんので、たぶん吉田拓郎と動物のコアラであると思われます。

 そして好きな画家は、セザンヌ、モネ、マティスなど印象派の画家。

 尊敬している作家は、やなせたかし、谷内六郎、まどみちお、いぬいさえこ。

 映画監督は、溝口健二、黒澤明、チャップリン、フェデリコ・フェリーニ。

 スポーツではアルベルト・ザッケローニ、香川 真司、澤穂希。

 政治家では、志位和夫、山本太郎、などの諸氏です。

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サポートのお願い。

 noteでは、クリエイターに対してサポート支援を行う事が出来ます。

 パトロンやスポンサー

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 昔の西洋では、王侯貴族がパトロンと成り芸術家である音楽家や画家に対し、その庇護のもとに作品を作り演奏させたり家族の記録として写真の代わりに肖像画を描かせていた時代がありました。

 それは日本でも同様で、狩野派の絵師が幕府や諸藩の大名のお抱え絵師として仕事をしていたように。

 また近代になると、職業画家が誕生し依頼主であるスポンサーとの契約形態の仕事が派生するようにも成りました。そして現代では、商業的イラストレーターなどがその代表的なものと言えるでしょうか。

 そのように昔から、創作活動を行う者にとってパトロンやスポンサーの存在は重要なものだったのです。

 しかし、そのような商業的形態をとる事は依頼主からの制約を受ける事にも成ります。クリエイターが自由に創作活動をする事に制限が加えられる訳であってパトロンやスポンサーの意に沿わない作品創りは出来ないのです。

 ですから、多くの方はプロとしてやる場合は。依頼は仕事と割り切り、自分の描きたいものとは別のものも作るわけです。しかし例外もあります。それは自分のスタイルを確立し、それなりの地位も得ている場合です。自分の描きたいものと、それを描いてくれとの依頼が重なる立ち位置を得られる場合もあるのです。

 私の創作活動の話をしますと途中途切れた事はありますが。概ね20年ぐらいにもなるでしょうか。その間に、何度かは大手の事務所からの依頼を受けた事もありましたが。その多くは実現しませんでした。

 理由は、私がその時に描きたいと思っているものとは違っていたことが原因になっていたと考えています。その後は、仕事の依頼の話も無くなり、こちらからも積極的に働きかける事は有りませんでした。ですからその間は、作品を全てweb上で無料で公開していたのです。

 しかし、その間も何とか作品を利益化出来ないものだろうかと考えていたのですが実現することは出来ませんでした・・・。

 そこで今回noteという恰好の場を得た事により。私は、パトロンやスポンサーを求めたいと思います。

 しかし、私が求めているパトロンでありスポンサーは商業的創作形態の関係である、「お金はやるけど、こういうの描け。はい、描きます。」の形態ではなく、「お金は貰うけど、すき勝手に自由に描かせてね」と言う形態を求めているのです。

 何とも自分がってな話ではあります。「そんな虫のいい勝手な事が出来る訳ない」との声も聞こえてきそうですが。実際にそのような事象がなかった訳でもないのです。

 洋の東西を問わず、富豪の中には有り余る財力を芸術家たちに振り向けて自由勝手に作品作りをさせていたような事もあるのですが。このnoteのサポート支援とは、そのような事も含むのではないでしょうか?

 と私は考えるのです。そして何かnoteのサポート支援ならばそれが出来るような気がするのです。

 でも、パトロンとかスポンサーなんて、そんな大げさな事は私には出来ないとお考えに成る事も、また、もっともな事だと思います。

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 しかし、そんなに大げさな事ではなくていのです。プチ、パトロンやスポンサーで良いのです。例えてみると、「自動販売機でジュースを一本買う」ような感覚だと想像してみてください。

 時々、そう二週に一度でも良いですし、月に一度でも良いです。ふと思い出したようにジュースが飲みたくなって自動販売機でジュースを買うような感じで、このページを訪れてペラペラと記事を覗いて観る。

 そして、帰りがけに100円でも、500円でも、1000円でもよいですから投げ銭のように置いていくだけで。貴方は私にとって、もう立派な王侯貴族並みのパトロンでありスポンサーに成っている訳なのです。

 でも、やり方が難しいんでしょと思われるかもしれませんが。決してそんなことは有りません。

 下記サポートの仕方をご覧ください。

 (クリエイターの活動を金銭的に応援する「クリエイターサポート機能」をご用意しています。100円から1万円までの金額で、クリエイターに記事の対価としてお金を支払うことができます。noteサポートする より)

 (決済方法は、クレジットカード(日本国内発行) 携帯キャリア決済(docomo,au,softbank) Vプリカ(ライフカード社発行)
※ Vプリカギフトカードはご利用いただけません note価格の設定とお支払い方法について より)

クレジットカードを使用したくない、或いはカードも携帯もない場合などは、Vプリカ(ライフカード社発行)がクレジットカードと同じように使用できます。

 (クリエイター専業の方は、クレジットカードを作れない方も多いのではないでしょうか? 私も、会社員の時は携帯も使用し、クレジットカードも作りましたが。今は、スマホもクレジットカードも使用しませんから、Vプリカは有ると便利かもしれません)

価格の設定とお支払い方法について               サポートする

無料記事をオススメする

 ぜひ私の作品や記事に、少しでも興味を持ったり、或いは共感したりする部分があったならば。または、応援してやっても良いとの気持ちが御座いましたならば宜しくお願いしたいのです。

 もちろん、パトロンやスポンサーに成って頂かなくとも、ご自由に作品や記事を楽しんでいただける事も大歓迎でございます。

 しかし、この先も創作活動を続けるのには世相も併せて非常に厳しい経済状況が予想されます。このような時期に、このようなお願いをする事は大変心苦しい事では御座いますが。どうぞよろしくお願い致します。

 出来れば私も、経済的に苦しいクリエイターの方々の助けになれれば良いのですが残念な事に未だ逆の立場でしかありませんが。お互いに出来る範囲で助け合えるような状態に成れたらとも思います。またこの国の社会も、弱肉強食を政治が是認するような社会ではなく人に優しい社会が訪れる事を望んでいます。

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本文・少し長いです、お時間のある時にでも。

自己紹介的「プロフィールのようなもの」

(少し長いですがお許しを)

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幼少期の別れ

 おぼろな記憶の中で、その日は突然にやって来ました。電車は、まじかに迫る林の中を風を切って走っています。

 私は、母親に連れられて乗った電車の車窓から次々と走り去っていく外の風景を眺めていました。

 すると、不安と寂さに堪え切れずに涙があふれ出し頬をつたい泣いてしまいました。私が泣いている事に気づいた母親は、周りを見回して少し狼狽えたような様子で言いました。「嫌だねこの子は、なにもなく事は無いじゃないか」と。しかし私の哀しみは・・・。

 この続きは、のちほど別稿として書くつもりですので宜しくです。

 これは、私が五歳の頃のこと、とうとう貧しさに耐えきれずに? 親類の家に養子に出されることになった時の情景です。
 

生まれる

 私が生まれたのは、関東平野の片隅で映画館が二つと、町の中央に銭湯の煙突が立っていた小さな田舎町でした。当時、微かに覚えているのは映画館の裏手の方の小さな家に住み貧しくてご飯のおかずがソースだけだったことです。

 二つあった映画館は、一つが東宝系で、もう一つが大映系だったのかも知れません。後に、少し大きくなった頃にこの町の小さな映画館で観た映画で覚えているのは「大魔神」でした・・・。

 普段は穏やかな顔の埴輪の神が、前に手をかざすと怒りの形相に成るのは伊福部昭の独特な重厚な旋律と相まって子供心には少し怖い部分もありました。

 そして、時代は映画からテレビへと移り変わる過渡期で、一般家庭にもブラウン管テレビが入りだしたのもこの頃だったでしょうか。

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 ほんの微かな記憶では、テレビの入った家には夜に成ると近所の大人も子供も何人もが集まって、まるで西岸良平さんの漫画「三丁目の夕日」のようにワイワイとおしゃべりしながら珍しい文明の利器であるテレビの鑑賞会をおこなっていたのでした。


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青年期と引きこもり

 それから時は立ち。私は、高校を卒業すると東京の写真専門学校に入学し卒業しました。学校を出ると芸術、報道、広告写真系ともに大体は大企業ではなく東京で写真関係の一般会社の仕事か、写真家を目指すのであれば写真家のアシスタントになるか、でなければ別業種の一般会社の仕事を探すのかなのですが。

 私は、もともと引っ込み思案の消極的人間で、しかも写真家になる気も、なれる気もしなかったのです。そして地元での就職を希望していて、しかも一般の会社ではなく、せっかく写真学校を出たのだから写真関係の会社が出来れば良いかな程度の認識しかなかったのです。

 しかし地元では写真関係の仕事は無く、もともと何をやりたいのかと言うハッキリとした意思もなかった為にずるずると就職をしそこない、そのまま「引きこもりに」なってしまったのでした・・・。

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漫画投稿

 すると、だんだんと自分は何もできない無能な人間なのではと、どんどんと自信を失っていって、しかし何かしなければとの思いから4コマ漫画の投稿を始めたのでした・・・。

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 (アート系4コマ漫画「美観の人々」第7回・ゲイシャガール氏の貢献より)

 もともと写真の学校を選んだのも、映画や漫画や絵に興味があり好きであったので構図の勉強に成るのではないかと思ってのものでした。しかし漫画の投稿をはじめてみると採用はされるがライバル的人物? の新人デビューに挫折しとん挫したのでした・・・。

竹細工

 そこから考えあぐねて今度は竹細工を始めました。全くの独学でした。

 最初は竹の扱いにも馴れなくて大変でした。細工に使用する竹は、思っているよりも硬くて滑りやすいのです。

 ですから、竹を持って削ろうとすると、削る為の刃物が滑って竹よりも持っている方の指先の方を削ってしまうのです。だから指先は直ぐにボロボロに成りました。

 仕方がないので、作業しずらいのですが軍手を嵌めてやっても手袋も直ぐにボロボロに成りました。最後に行きついたのは厚めの皮の手袋を持ち手だけにする事でしたが。その指先も何度も補修を繰り返して。試行錯誤を繰り返し、やっと商品としての物まで作れるようになったところで・・・。

 今度は、出来上がった竹小物や竹玩具や竹工芸品の竹人形などを観光地へと売り歩きますが生活出来るまでには至らずに会社勤めをする事を考えました。(このあたりの事も書くべき事はあるのですが、今少し熟成整理整頓や配慮などの時間が必要かもしれません・・・インパクトのある話は順番で言うと最後の方に持ってきた方が良いかなとも思います。力道山の伝家の宝刀の空手チョップやジャイアント馬場の十六文キックに猪木の延髄蹴りのようにね)

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 絵(「植木屋さんだって植物に詳しいとは限らない」愛すべき人たちより)

初めての就職

 初めての会社勤めと言う事で、おなじ物づくりなら何とかという事で木工関係の会社に就職する事にしました。

 しかし元引きこもりの人間が最初に就職するには、この会社の雰囲気が休息時間も常にピリピリとした感じが漂う職場であったのです。そして最初の話と給料の話が違っていた事と社風が合わずに断腸の思いでしたが辞職することにしました・・・。

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次の職場は真逆

 いったい、どうしたものかと考えていたところ。求人情報でどんな仕事なのかも詳しくは知らずに地元の園芸関係の会社に勤め始めることになりました・・・。

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 しかしそこは、体力的にはきつい仕事もありましたが。観葉植物や庭木が相手の仕事で、ひまな時には専務がソファーで横に成り二時間ばかりも昼寝をしていても、誰1人文句の1つも言わずに「きっと疲れているのだから」と言う様な自由で伸び伸びとした環境が心地よい職場ったのです。前の職場が厳しかったのでよりそう感じたのかも知れませんが・・・。

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 しかし、そこでしばらく働いていると。とつぜんの事態が・・・。この事もすでに書き進めている「植木屋さんだって植物に詳しいとは限らない」愛すべき人たち・の方で後ほど書く予定ですのでそちらの方でご覧になれますが、今後改めて書き直しなどの修正や構成の変更なども加えていこうと考えていますので、まだ完全版ではありません・・・。

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 その後、私の給料が上がってきたことにより会社の方で払いきれないので、と独立を即すような形での解雇となりました。辞めるに際して会社の機械などは自由に使用していも良いと言われましたが。初めはその通りに独立した形での自営を考えていたのですが・・・。
 
やっぱり絵や創作が好き

 しかしやはり漫画などの創作活動が忘れられずにホームページ上での作品作りを始めたのですが、途中でトラブルや親の高齢化などで時間や集中力が得られずに途切れてしまいました・・・。

 しかしその後のサーバーからのホームページ廃止の知らせに、このまま自分の作品が忘れ去られて消えてしまう事に寂寥感を覚えWEBページの更新を再開する事にしたのです。

 ですが、この焦燥感と言うものは、作品作りを続けている間だけは夢を見続けられているのですが。有名な作家の方たちでさえ、時間と共に忘れ去られてしまうのが世の常であります。私のような馬の骨が焦燥感などと猪口才な世迷言を言うのはおこがましい限りなのですが、人である以上は有名無名関係なく同じような感覚にきっと多くの方が苛まれた事が有るのではないでしょうか。

 しかし、これは人の持つ「業」のようなものなのでしょう。分かっていても寂しさや哀しさを覚えてしまうのです。

 やなせたかし先生の・手のひらを太陽にの歌詞に「ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ」とありますが。人は生きている事による喜びや悲しみからは大方の人は逃れる事は出来ない事を示唆していると思います。

 だからでしょうか、有名な作家の方たちでも、その事から逃れる為に自身の人生に対しての工夫をなさる方もいると私は考えているのですが。しかしこれは、少し穿った見方であるとも言えるでしょうか。まあ、有名になればそのような感覚がより強くなるのか、或いは個別な性格や精神性の違いなのかは定かではありませんが・・・。


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おおくぼみつゆき、「秋野あかね、黒澤はるお」はペンネームで、描くものによって使い分けています。

「おおくぼみつゆき」


「秋野あかね」


「黒澤はるお」


「アートとメルヘンと創作の森 画廊」


何かありましたならこちらより↓


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サポートいただきました✨🍀
💖ありがとうございます😌
大切に使用させて頂きます🌹。
もとき様

広葉(HIROBA)様

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アートとメルヘンと創作の森

2020.4.19    20. 21. 26.  28. 加筆 修正

5月.サポートのお願い追記4.  5.  6.  19. 20.加筆 修正 

9月.3.メールフォーム設置 2021.5.16加筆 2023.2.13修正

2023.2.18加筆 2023.2.18加筆

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