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nietzscheへ抱いた印象

やっとこの人の本を手に取ることができた。
「ツァラトゥストラはこう言った」が有名なので本屋で買ってみたのである。ただニーチェとなるとさすがに無知な私でもある程度緊張する。
購入前にXで「ニーチェ 初心者向け 本」と検索をかけた。
善悪の彼岸とかいう本がわたしのような人には向いているようだが、ツァラトゥストラにニーチェの心底からくるものがありそうだと思った。

前からニーチェは読みたかったのである。

でもなぜだろう。ニーチェには幸せがどうしても見いだせない。
名前を聞くだけで頭の中を黒く塗られるような不気味な感じがするのだ。
ニーチェのあの最期を知ってから、すぐにのめり込む癖のある私は無意識に距離を置いていたのかもしれない。

「ニヒリズム」

小学1年の入学式後の教室だったか、あの日担任の先生に抱いた感情を強烈に覚えている。既にニヒリズムは横たわっていた。
私は大人たちが不思議でならなかったのである。

あらゆる虚構が計画済みなのだと、
あの時、幼心で感じ取っていたのかもしれない。
だが反抗の対象とするにはあまりに親しみが含まれているのだ、ニヒリズムには。いつも悲しかったが涙はなかった。表には出てこなかった。
だが、感情、行動を押さえつけることにあまりに慣れて、
無気力に襲われ、私はいつの間にか言いなりになっていた。
そして、これがついに逃げ道として定着したのである。

それは心のあり方、人生の生き方にまで随時干渉し、
ついに自分の最大の指針者となった。

最近思う。
私は私の人生を生きてこなかったと。
本当になりたい姿を夢見ることさえ許されなかった。

自分が一番許さなかったのである。


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