近代という「猛獣」を手懐ける―イスラーム的アプローチ―(2)近代的アイデンティティの崩壊

エヴォラについての話に戻ると、ムラドは彼を「預言者のようでありながら悲劇的な人物」と呼んでいる。彼の近代に対する洞察は有用でありその予測は不気味なほどに正確であるが、ファシスト的な観念と「ヨーロッパの第三の遺産」であるイスラームに対する悲劇的なまでの無関心によって汚染されている。伝統主義として知られるエヴォラのイデオロギーは、現代世界の行く末に対する警告を顧みない反近代的悲観論である。ムラドによればエヴォラは自分自身を預言者として見ていたという。彼は「精神の貴族」であり、近代が生み出した当たり障りのない無価値な世界が「重力に引き寄せられ」急速に堕落していくのを独自の視点から見ていたのである。エヴォラと彼に対応する思想家であるイスラム教徒のルネ・ゲノンは、人類は最期の時代に達したと信じていた。終末の日を予見していた伝統主義者たちは、近代という獣に対する人々の受動的な姿勢を軽蔑し、それに対抗し得る存在であると自負していた。伝統主義者達のこのような自信は、近代性の土台や物質的価値観の本質的な脆弱性と、伝統的な知識を介して霊的な力の源にアクセスする人間の能力への信頼に由来していた。それゆえに、彼らは何が何でも近代性という「猛獣を手なずける」ことを望んだのである。

ムラドは、伝統主義者の思想と現代のヨーロッパ極右との関連性について簡単に述べている。彼によれば、極右達は外国人嫌悪的な動機と並行して、近代性への幻滅と、伝統の中心にあった神聖さを失うことは、人類にとって恐るべき過ちであると考えているという。
極右派の反移民・人種差別主義的な姿勢と伝統への憧憬をつなぐキーワードはアイデンティティの喪失である。王政が民主主義、階級制が平等、歴史的英雄がセレブリティのスターと交換されたように、国民国家の一員としてのアイデンティティーは足元から崩れていっているのである。

啓蒙主義は世俗的な国民国家を誕生させ、何世紀にもわたって旧来のキリスト教秩序の後継者として君臨した。しかし今日、ヨーロッパの国民国家はアイデンティティの危機に直面している。ムラドは、これは啓蒙主義が神の代わりに採用した人間の主体性への畏敬の念に対するポストモダンの攻撃の結果であると説明している。つまり、近代化によって簒奪された宗教的世界観に対して提示された国民国家的な代替手段は、それ自体もまた切り捨てられたことに気付いたのである。そしてこのような気づきはヨーロッパの極右だけでなく、世界中で顕在化している非自由主義的な潮流の背後にあるものだとムラドは主張する。近代性は精神的なものに回帰することはできないようだ。

現代のイスラム教徒:表面的なものへの執着
ここでムラドは今日のイスラーム教徒と彼らの現代性との関わりに注目している。彼は現代のイスラーム教徒は物質主義者であり、ムスリムであることが何を意味するのか分からず、アイデンティティを探し求めているという点では、他の人々と何ら変わりはないと考えている。その結果、イスラーム教徒は根本的なものを犠牲にして表面的なものに執着するようになった。例えばヨーロッパの改宗イスラーム教徒たちはしばしば中東風の服やターバンを着ていたり、地域の文化と噛み合わないイスラームを実践したりといった奇妙な光景を生み出している。ムラドの学生が行った神経学的調査によると、ヨーロッパのイスラーム教徒は自分たちが信じていると公言していることを実際には内在化していないことが示されており、現代のイスラーム教徒は表面的なことに固執しているだけに過ぎないという彼の主張を裏付けている。

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