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【二人のアルバム~逢瀬🈡~芳醇~その②~】(フィクション>短編)

§1.麝香じゃこう

息子、嗣芙海ひでふみ殿、

息子よ、これまで、本当によぅ世話になった。
昨朝、隣人Oさんと朝の散歩中に、空に雷が見え、わし
「お迎えが夜明けに来る」、
と、地神様から耳許に言われた。

美しき己の女神さま、寵子ちょうこ様と仲良く毎日を過ごし候え。
長子の責任に打ちのめされて世俗に消えてしまった長男の嗣朗ひであきらの不在を、よく耐えて遠路より屋敷を守り、幸子と儂に尽くしてくれた。

嗣芙海、お前は俺の愛するただ一人の息子だ。

色々と悪かったと思う。医者だのホームだのと、幸子の好きなようにお前の金を使わせた。息子よ、今後は自分と寵子様を大切にしろ。

天で見ておる。

またな、天で逢おうぞ。                              嗣継ひでつぐ

達筆で書かれた書状は、美しい黒い墨汁の文字がスマートに残されていた。涙で濡れた彼の震える手の中で、書状は濡れ、封書はしわくちゃになった。

胡坐あぐらを組んで、父の部屋で麝香の薫りを感じながら、父が傍にいるのを感じ、肩に父の温かい手を感じ、嗣芙海の頬には、涙が流れていた。

「寵子様 お手許てもとへ」、
と書かれた封書を開いて中の書状をするりと取り出すと、寵子は義父の美しい着物にいつも薫った麝香の匂いがして、
「お父様は此処にいる、私達をご覧になっている」、
と感じた。

寵子 様、

愚息、嗣芙海の嫁御になって下さり、嗣芙海に尽くしてくださり、親として、愚息にあなた様が尽くしてくださる事を、ただひたすら、天の恵みとおもっています。

あなた様は、死んだ私の妻で嗣芙海の生母、美倭子にそっくりで、初めてお会いした際に、美倭子の帰還を感じ、我が目を見張りました。

あなた様の温かく、美しい笑顔は、嗣芙海だけでなく、私の心をも溶かし、今は亡き美倭子を通じて、しっかり掴みました。

愚息、嗣芙海を通じ、あなた様はご不幸な生立ちがあり、親御様との関りが少なかった、と聴いています。我が愚息、嗣芙海はあなた様に心の底から、ほれ込んでおります。いつもあなたの傍で、
「今後、寵子を守るのは俺だ」、
と真剣に申しております。

その言葉の通り、どうぞ愚息を傍に置き、あなた様を守らせてやってください。あなた様との暫しの生活が、楽しく、朗らかで、思い出が多く、我が人生の終末章に、大きな宝を残しました。

感謝します。あなた様は我が家の宝でございます。天にて、見下ろし、見守っておりますぞ、お嫁御。

我が女神さま御手許に、
                                                                            嗣継 

「お父様ったら、、、」
笑い泣きで寵子が絶句した。
嗣芙海は彼女の凹む程落ちた、肩に左手を伸ばし、首を揉んで、背を撫でた。彼女は横の嗣芙海にもたれて、
「あなたに守って貰いなさい、って、、、」
寵子が声をあげて泣いた。

目を瞑り、嗣芙海は寵子を抱きしめ、父の部屋で二人は声を上げて泣いた。

§ 2.予祝

黒い喪服を義母美倭子の残した箪笥から明子が取り出し、着付けしてくれた。嗣芙海の父の名代として行った父の葬儀は、葬儀に来てくれた客たちへの挨拶の話しぶりが故人にそっくりだったので、立派だった、と言われ、屋敷の従業員の涙を誘った。

屋敷に帰り、父の不在をまた感じ、嗣芙海は涙が出たが、同時に、寵子と自分の愛の巣へと家路を急ぎたかった。

嗣芙海は、お骨を焼いている際に空っぽになった自分の身体の一部を感じ、記憶に残っているあの煙突から出て行った父の煙を心で見つめていた。

大塚が近寄り、誰ともなく挨拶し、今後の屋敷についての処理を嗣芙海は依頼し、以降の屋敷の扱いは大塚に一任した。一任の仕方が父の嗣継にそっくりで、大塚は涙をハンケチで拭きながら、頷いて、
「畏まりました、大旦那様」
と父にそうして来た様に答え、最敬礼した。
その返答に父の自分の中での父が存在し、父の大きさを感じ、息子の嗣芙海も涙をハンケチで拭いた。

「こんな事やっていても、夜が更けるだけで、夜が明けぬ。大塚、しっかりやってくれよ」
と、まるで父が言う言回しをして、父の声色を真似て、嗣芙海は言った。
大塚の背をポン、と父がしていた様に軽く叩いて振返り、そのまま車へ急いだ。大塚が泣きながら、深く最敬礼しているのが、父の役をする嗣芙海には見える様に分かっていた。

自分の中に居る父は大きくて、なかなかうまく父の様に出来るか、ともすると、脚を地団駄踏む程、難しく感じるが、父の真似をする事で従業員が楽になるなら、嗣芙海は喜んで父の真似をしよう、と思った。

鎌倉からの帰り、寵子は構ってやれなかった猫をバッグから出し、抱きしめた。猫がみゃあ、みゃあ、と大声で鳴いた。「何やってたんだよぉ、腹減ったぞ」と言うような鳴き方で、運転席で嗣芙海は、噴出して笑った。

父の許で愛犬として可愛がられたタローは、嗣芙海に改めて保護されて、車に乗っていた。荷物台がそう散らかっていなかったので、後ろの荷物の横にリーシュ引綱につけて放していた。猫と犬は、既に互いに匂いで知合いになっていた。寵子はうふふ、と笑い、
「もうお友達よね、ブルちゃん」
ブルはふぅ~と言いながら荷台の向こうから鼻面を見せるタローをじっと見ていた。タローは微妙に立場的な自分の位置を感じているらしく、嗣芙海の傍に行くと、彼の脚の間に入る。彼が其処に居ないので、荷台の向こうから寵子の腕にいる猫をジィっと見つめるだけだった。
寵子は猫も犬も大好きで、外国暮しをしていた頃は犬を飼い始め、友人から猫を貰った話をしていた。
「大げんかするかと思ったけど...結構、犬も猫も、違う種でも相性、良さそうだね」
と嗣芙海が嬉しそうに言った。
「一緒に暮らし出すとね、その子だけが特別の種になるのね、とても仲良くってよ。ねぇ?」
ブルに同意を寵子が求めると、ブルが仕方なさそうにみゃあ、と言った。寵子と嗣芙海はその声に笑った。
「タローの食べ物やおもちゃを買わなきゃな」
タローは名前が呼ばれて嗣芙海の方へ目線を開いていた。鼻っ面がクンクン、と鳴きながらご主人様は嗣芙海なのを本能的に分かっている様子だった。

タローの存在は、嗣芙海にとって、あたかも父が其処に居るような存在だった。暫しタローが共に生活した父の存在を、嗣芙海は静寂の中でタローの瞳に感じた。

猫と犬の同居となりそうだったが、動物たちの方が上手にお互いへのアプローチを開始していた。

嗣芙海は帰りに寄り道して、ファーストレストランのドライブスルーで二人分以上の夕食を買い、自宅の近くのストアでドッグフードも買い、タローをショッピングセンターの駐車場で少し歩かせ、後程帰宅後の運動も軽くて済む様にしてやった。車の中から寵子と猫のブルがタローと遊んでやる嗣芙海の姿を見ていた。

寵子と住む自宅に着いたのは、夜の8時ごろだった。ちょっと簡単に散歩をしただけで、タローはそう動き回らずに荷台に寝転んでいた。死んだ父は嗣芙海がプレゼントしたタローが可愛くて、よく面倒を見てくれていたようだった。早朝から散歩に行き、夜は一緒に寝床で寝ていたらしい。

夕食をタローとブルに二人のテーブルを挟んで別々の位置で食べさせ、問題なさそうなので、嗣芙海と寵子も遅いお持たせの夕食を食べた。

夕食後に、寵子はダイニングの大きなライトを消して、大きな窓を開いて、ダイニングテーブル近くにある奥まったリーディングライトを点け、窓から猫が出ない様に、網戸を閉めた。

寵子は嗣芙海の為に、日本茶を入れて、熱いお茶を呑み、ホッとする一瞬ひとときを二人は感じた。

「これが予祝になれば好いのだけど」
寵子が窓から降ってくるような星の夜空を見詰めた。
「予祝?」
「そう。お父様のお葬式と取らずに、解釈を変えるのよ。お父様の旅立ちと理解して、良きこととして将来に託すの」
「ほう」
「今後、起こって欲しい何かをこの星たちにお願いしましょ」
窓辺に立っていた寵子が嗣芙海に振り返り、右手を嗣芙海に伸ばした。
彼女の手を取り、二人で触れ合いながら、降ってくるような星たちを見詰めて、嗣芙海が呟いた。
「じゃあ…寵子さんの身体が早く良くなるように、とか?」
「そう。でも、予祝だから、もう起こったかのように意図するのよ」
「寵子さんが健やかになって、良かったです、有難うございました、とか?」
「そう、そう」
「ほう、ほう」
お父様の声だ、と寵子が笑った。嗣芙海の声が葬式後からいよいよ父親の嗣継の声に似て来ていた。まるで同化したかの様に。

彼女の笑声は、高い声で、楽しそうに弾むまりの様に部屋に響いた。

猫はキッチンの水場近くに寵子が座れる様に設置した椅子に座って此方を見ていた。ダイニングの向こう側にタローは床に寝転んでいた。どちらも飼主達の笑い声に反応しなかった。

静かな二人と2匹だけの部屋に、輝く星の夜の光が輝いた。
「プロジェクトが大成功で有難く思っています」
寵子が嗣芙海の顔を覗き込んで予祝を口にした。
嗣芙海はにっこり微笑み、寵子に振り向いて抱擁した。
「遠くに旅立った親父が、神仏同様に俺達を守ってくれて—」
「私たちの暮しがこのまま永遠に続いて、目くるめく日々が楽しくて。有難うございます」
「有難う...」
二人は月夜の溢れる星空の下で、口づけた。
掠れた声で嗣芙海が訊いた。
「これからも一緒に歩いてくれる?」
嗣芙海を見詰める寵子が眉間に皺を寄せて、
「勿論よ...」
二人は抱擁しながら星空を見上げた。

—そう。落ちてくる星もあれば、昇る星もあるだろう。宇宙の真ん中で互いに沁み込んで行きながら、お互いを楽しもう。父の旅立ちを祝いながら、お互いを感謝して愛し合う二人だった。

(了)

※つたないストーリーでしたが、読んで戴いた皆様、有難うございました。シリーズモノとして続編を作る予定で、今、色々考慮中です。彼と彼女の名前を決めて、二人のシリーズを続々と短編物で作りますので、お楽しみに💛






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