映画「刀剣乱舞」ネタバレ感想(とても長い)

「映画刀剣乱舞」を2回見てきました。初視聴後の感想と食い違いが出た部分もあるので、食い違ってた部分を修正して、改めて感想をノートにまとめます。
 なお、私はあまり熱心な刀剣乱舞ファンではない(きちんと通しで見たのはアニメの花丸1期のみ、ゲームは映画視聴後に始めました。これを書いてる時点で審神者歴6日です)ので、ちゃんとやりこんでる人とか舞台をがっつり見てる人からするとなんか的外れなことを言ってたりするかもしれません。
あとなんか色々読み間違えとかしてるかもしれません。
あくまでも私はこう受け取りましたよ、という感想です。

※映画の終盤までがっつりネタバレしていますので、ご注意くださいね。

「正しい信長の死」とは何なのか(もしくは三日月宗近は何故「俺は今回で近侍を降りるつもりでいる」と言ったのか)

本能寺の場面が終わり、審神者が信長の生存を把握した時点で三日月視点に立つと、彼が想定している、もしくは知っている「信長の死」は3つあります。



ひとつめ。現代に伝わっている「表の歴史」:信長は明智光秀に討たれ、本能寺で自害したルート(これ以降は「表の歴史」と表記します)

二つめ。三日月が知っている「裏の歴史」:蘭丸が血路を開き、信長は少数の手勢を率いて落ちのびるものの、秀吉の裏切りに遭い、安土城で討たれるルート(これ以降は「本来の正史」と表記します)

三つめ。今回の歴史で発生してしまった「時間遡行軍による歴史」:信長が落ちのびるのは変わらないけれど、手勢が時間遡行軍になってしまっているもの(これ以降は「狂わされた歴史」と表記します)


この、「狂わされた歴史」を時間遡行軍と仲間を騙し切って三日月が信長を安土城に連れて行き「本来の正史」に戻す、というのが、信長生存が判明した後三日月が審神者に提案し、審神者が採用した「お前の策」です。
この場面で、審神者がどうして「すまない」と謝り、三日月が動揺し、鶯丸に「今回で近侍を降りる」と言ったのか。

恐らく、なのですが。
三日月は最初の出陣の時、審神者に言わずに、「本来の正史」を抹消し「表の歴史」のルートに信長を導こうとした(本能寺で信長を自害させようとした)んですね。

それは何故か。

(初回の視聴で私はここの動機を「信長が本能寺で自害するのが信長本人にとって一番楽だから」と誤解したんですが、この三日月はそういう情で道を誤る人物ではないですね。2回目の視聴であ、これちがうわ、となりました。少なくともメインの理由はこれじゃないですね。盛大に読み間違えた感想がすごい数RTされてしまっていて…申し訳ない…。)

「代がわりがいつ始まるか分からない時期に、長い期間本丸を手薄にしたくなかったから」

です。だから三日月は審神者に真実を話すこともなく、独断で「本来の正史」を「表の歴史」に改変してしまう判断を下したんです。
常時、つまり時間遡行軍の襲撃がさほど頻繁ではなく、刀剣男士達が留守居役の鶯丸以外にもある程度は残っている状況であれば、三日月は恐らく最初の出陣を審神者に打診された段階で「本来の歴史だと信長は時間遡行軍の目論見と同じように生き延びて安土で秀吉に討たれるんだけど、そっちのルートに信長を連れて行って秀吉に討たせるの?だったら作戦慎重に練らないといけないよ」と相談していたはずなんですね。
他の刀剣達に知られると演技が下手な長谷部あたりがポカするかもしれないから、男士達には言えないとしても、審神者は現場に行くことはまずないので、「本来の正史」を知っていても特に支障はないわけです。

本丸の主、つまり総責任者は審神者なのだから、三日月は「信長を本能寺で死なせる」判断を自分でせずに、審神者にまず相談しなくてはいけなかったんです。その上で、審神者が「本丸を手薄にするわけにはいかないから、本能寺で信長を自害させる方向に持っていけ」と言うなら、三日月はそれに従えばいいだけの話なんですね
ところがだ。

審神者は最初の出陣の時に、三日月に「信長は正しく死ななければならない」と言うわけですよ。

 この審神者は「本来の正史」を知ったら、間違いなく「たとえ本丸が手薄になろうとも、三日月達の出陣中に審神者の代替わりが始まろうとも、本来の正史通りに信長を安土に導いて『正しく』死なせろ」と自分たちに命じる。
そういう未来が、三日月には見えてしまったんですね。
だから三日月は「本来の正史」を胸にしまいこみ、「本来の正史」を知らない審神者の「信長を本能寺で自害させろ」という指示を忠実に守り「表の歴史」通りに信長を本能寺で自害させるルートに彼を導き、それを「正しい歴史とする」決断をしてしまう
んですね。

……なんなら、もしかすると、蘭丸斬り殺したの三日月なんじゃねって疑惑が出てくるくらいあるんですが……いやいや鬼とか言われてる靖子でもなんぼなんでもそこまでは……蘭丸は明智勢の誰かに途中で討たれちゃった、三日月はそれを確認しただけってことにしておきたい、そうだと思いたい(自害しようとした信長を蘭丸が止めに来られず、無銘が現れた時点で蘭丸が信長のところに来る前に死んでることは明らかなわけで)(…それを知ってる不動も本能寺に入れなかったしな…?)(いやいやまさかまさか…)

結局、三日月の独断と無銘の討ち漏らしが、「信長が時間遡行軍の手に落ちた上で生きのびてしまう」という最悪の事態を招いてしまうわけです。
組織としてみるなら独断で動いた三日月が明らかに悪いです。三日月も自分が責を負って当然だと思ってるんですが、審神者は「自分がもっと慎重になるべきだった(言い方を考えるべきだった)」と三日月の判断ミスを自分の責任として引き取っている。このやりとりだけでああこの本丸の審神者は三日月達が言う通りいい主なんだな、鶯丸が「主はああいうお方だから」と言うだけのことはあるんだなってことがわかります。
そして、そのあとの鶯丸の「だが、お前のせいでもないだろう」という言に対して、三日月が珍しく感情を露わにして「俺だ…俺なのだ…」とうめく意味も綺麗に通じます。

相手の二手先三手先を読める三日月だからこそやらかしてしまったポカの責任を取るために、三日月はもう本丸には戻らない決意をこの時点で固めてしまうわけです。

…というのを私は初回の視聴で見事に読み間違えたんですけど、こんなん!!!!!!!初回の視聴でわかるかよ!!!!!!靖子!!!!!!!(ちゃぶ台返し)

最初の視聴での勘違いが盛大すぎて…それが思ったより広がっちゃって…うわああああすみません…訂正が!!!!できない!!!!!!あれを読じゃった人!できればこの記事にたどり着いてください!!!!少なくとも現時点で2000人くらいはいらっしゃるっぽくて頭を抱えてます!!ジャンルの勢いの桁が!!!違う!!!!本当にごめんなさい!!!!!

伏せったーに書いた「信長が楽に死ねるしこっちのルートでも良かろう」という意識が三日月に皆無だったわけではないでしょうが、頭の隅にあったかな、くらいの感じですね。こうやってみると。

自分のポカを挽回するために三日月が黙って動かないといけなくなる事態が誤解の上に誤解を呼んで、あの二転三転するドラマが始まっていくわけです。

この下の項目は伏せったーを軽く編集したものですので、あれ読んだ方は飛ばしちゃって問題ないです。
2回目の視聴で新しく気づいたこととして、最後あたりに信長と秀吉の対比とかをまとめてます。(大見出し「三日月宗近の勘違い」以降です)。

「歴史を守る」とは何なのか

三日月の歴史への考え方「死に様まで含めてその人間の人生だ。だからそれを守りきる。たとえ本人がどう思おうとも」、これね、完全に神様の視点なんですよ。

誕生から滅亡までのその人物のありようそのものが愛おしい、っていうやつ。

本人が生きたい、せっかくそのチャンスがとんでもない奇跡の果てに巡ってきたのにとあがいても、その気持ちには一切忖度せず「お前はその死に様まで含めてお前なのだ、私はその人生の終焉まで含めてお前という存在を愛しているのだ」という、生身の人間からは到底理解できない冷酷さでその人間の存在(この映画の場合は信長ですね)を肯定するっていう…これはもう「主人を慕う刀の愛」ではなくて「人類という儚い種族を愛する神の愛」なんですよね。

そして審神者が代替わりした後も未来を守るために歴史を守り続けなくてはいけない(おそらくあの幼い審神者が老いて力を失い、また審神者が代替わりしても)男士達は、その境地に達しないといけない。
これは三日月宗近が真に「神」になるまでの過程を描いた映画だったのかなあ、という印象です。

三日月のやらかしたポカのせいで、信長は時間遡行軍の手に落ちて、「本来の正史」と表面上は同じだけれど、内実は全く違う道を歩き始めます。
「時間遡行軍の手によって生き延びた信長が、安土城で秀吉の裏切りを知る」っていうのは、彼にとっては三日月が知っていた「本来の正史」の「身内の手によってなんとか落ち延びて安土城で秀吉の裏切りを知る」展開より絶対にきついです。

男士達が「本能寺で信長以外の死ぬべき人間は全員死んでる」って言ったってことは、「本来の正史」では信長に従って落ち延びていたはずの部下まで全員本能寺で死んでいるということ。(※「本来の正史」では秀吉に手紙を持って行ったのはあの時代の人間でしたので、恐らく数名は信長とともに生きのびたはずです)無銘も信長に「お身内は全て討ち死に…」と告げています。

つまりですね。
「本来の正史」では信長の側には誰かが最後まで付き従ってくれてたはず、なんですよ。

「本来の正史」では、信長は自力で脱出して落ち延びてる。
だから、生き延びたことも間違いなく自分で掴み取った命運なんです。
その命運と、秀吉が裏切りを決断することを見抜けなかった事実(秀吉の天運ですね)がガチでぶつかったから、彼は安土城で秀吉のことを「命運を掠め取りおった」と笑って死んでいけるんですよ。

それが(信長視点では)、「神の手による奇跡」によって、ひょっこり生き延びてしまった。彼自身は何もしていないのに。
そして自分の周囲にいるのは、全員化け物になっちゃってる。
劇場版の最後の信長は、安土城では真に孤独なんですね

秀吉に裏切られた失意と絶望の中、神に冷たく「それが正しいのだから死ね」と態度で示されて、孤独のままに死んでいかなくてはいけない。

それを受け入れられなかったからこそ、もしここで生き延びられて落ちのびたとしても、おそらくは明智光秀のようにむごたらしく、惨めに殺されるか行き倒れるしかないとわかっていても(後述しますが、この時点で天運は明らかに信長の元から去っています)(表立って認めてはいませんが、信長も恐らくそれを本能に近い部分では理解しているはず)、信長は骨喰を人質に三日月を恫喝するというみっともない真似をせずにはいられなかった。

信長の生き様を汚すような事態を招いてしまった三日月が、責任を持って、正史よりはるかに辛い思いをさせてしまった信長に最後に「お前の生き様を覚えていてやる、だからお前の在りようにふさわしい最後を選べ」と引導を渡してやるのがというか渡さざるをいけなくなったのが…もうね…もうね…脚本家鬼かよ…鬼だね…。

「お前らしい最期まで含めてお前を肯定してやる」という、神の愛な…。

三日月の判断ミスは、「本来の正史と表面上は同じ流れに持っていくことができた」「だが、その当事者である信長の心情が『本来の正史』とはまるで違うものになってしまっており、しかもそれが信長の絶望と孤独をこの上なく深いものにしてしまった」という事態を結果として招きます。これは三日月本人にとってもかなりきついはずです。その責任を取ることも、三日月はとうに決断しています。
判断を誤って独断で動いたせいで、心から慕っていた審神者に三日月の失態を背負わせてしまった責任を取ると同時に、その判断ミスにより必要以上の心労を信長に背負わせてしまった責任をとって、信長とともに死んでやるつもりでいるんですね。


 しかし、ですよ。三日月の目論見はここで外れます。

 この脚本、信長に三日月が突きつけた、「神としての人への愛」を「刀時代にはそこまで深い付き合いではなく、であるがゆえに他の刀よりは突き放すことも容易であっただろう信長」だけでなく、「それなりに付き合いも長く気心も知れている老審神者」にまで同等に注ぐように要求してくるんです。

この三日月がここで死ぬつもりだった、というのは、最初から他の男士を本丸に送り返すつもりだったのに自分が回復薬持ってなかったことからも明らかなんですよね。

ただ、老審神者視点だとそれは困る訳です。

まだ付喪神から神になりきれていない男士達が迷った時に導いてやる役目が三日月には残っている。
これから来る若く未熟な審神者を正しく導く役目も、「歴史の当事者からはどれだけ冷たく見えても、人という存在そのものを愛してやる」という神の視点を手に入れつつある三日月以上の適任はいない。
歴史を守ることで未来を守り続けるためには、どれだけ思い入れがあろうと、大きな歴史の流れの一つでしかないひとりの審神者ごときに殉じさせていい存在ではなくなってしまってるんですね、あの本丸の、審神者と共に年月を重ねてきた三日月は。

大きな失敗の責任をとって、信長と共に死んでやろうという決意の裏に隠れていた、「老審神者に殉じたい」というエゴ(エゴです)(だから三日月は殉じることを許されなかった)は、おそらく三日月に残っていた、最後の「誰かに使われる刀である側の自意識」なんですよね。人間くさい部分というか。「それは許さんぞ、信長にそうしたように、個人的に関わりがあって思い入れがあり情も絆もある自分の生き様も最期まで肯定して、神として在り続けろ」と教える。

それが老審神者の主人としての最期の仕事で、三日月への最後の贈り物だった。

三日月はそれを正しく理解したから「俺も焼きが回った」とぼやいたのではないかなと。

最初から最後まで、徹底して「三日月が神になるまで」を描いた物語だったんだなあ〜それにしても脚本鬼だなあ〜なにをどうしたらこんな鬼脚本になるんだ〜と思いました。 

三日月宗近の勘違い(孤独ではないということ)

脚本鬼だな〜と思いつつ、三日月宗近以外の刀剣男士達についてもちょっと言及しておきます。
長谷部と山姥切については、すごく分かりやすいツイートされてた方がいらっしゃったのでリンク貼らせていただきます。

https://twitter.com/teaegg1/status/1095684984801652736

この映画、メインは三日月と時間遡行軍、そして秀吉(自覚ないままに秀吉は絡むんですよこのラインに)の先の読み合い勝負で、男士達は(鶯丸を除いては)、振り回される観客の側にいます。
それがひっくり返るのが、三日月がいよいよ果てようとした時に、完全回復した仲間達が駆けつける場面です。
「お前も守らないといけない本丸だ」という日本号、「守りたいものがあるのは俺たちも同じだ」という長谷部、「これからはもう少し話せ」という山姥切。

「自分を信長と同等に扱え、何故なら自分もまた大きな歴史の一つに過ぎないからだ」というのは、男士達を従えていて命令する権限をもっていても、あくまでも人であり、信長達と同じようにいずれは彼らを置いていかなくてはいけない審神者の立場からの命令です。(人当たりが優しいように見えますけど、あの審神者相当な切れ者だと思うんですよね…)(平安時代から生きている三日月の考えをも超えて見せた訳で)
「歴史という流れにいる人間達をその最期のありようまで含めて肯定する神とならなくてはいけない」という境地は、刀剣男士である彼らが「歴史を守るとはどういうことなのか」を突き詰めていけば、いずれ行き着く場所のはずです。
しかし、神とは時には容赦のない判断をしなくてはいけない存在です。で、あるがゆえに、神はつねに孤独なんですね。
持ち主を慕い、持ち主に使われる刀である彼らが辛くないはずがないんです。それこそ、他の男士達より達観した境地にいるはずの三日月でさえ、自分をごまかして色々理屈をつけて、主に殉じたいと思ってしまう程度には、主人との別れは辛い。

ただし、三日月にはきちんと救いが用意されています。
それは、「その辛さ、孤独を耐えなくてはいけない存在が、本丸には自分以外にもたくさんいる」ということです。
「守りたいものがあるのは俺たちも同じだ」「お前も守らないといけない本丸だ」「これからはもう少し話せ」というのは、そういうことです。ひとりで孤独や辛さを抱え込むな、同じ業を背負っているのは俺たちも同じだと、三日月は自分が守らないといけないと思っていた若者達に諭される訳です。

シナリオブック読んで思ったんですけど、これ長谷部、真実がわかった時すごい悔しかっただろうなあと…。この状況で、三日月のように敵味方を騙し切って信長を信長らしく死なせてやるっていう芸当が自分にできたか、と自問自答して、今の自分ではできない、って答えを出してる気がするんですよね…。
だけど、たとえ「本来の正史」のままにことが運んだとしても、内実を歪められてしまった信長の矜持を守り切って死なせてやる役目は、自分こそがやってやりたかったと思ったんじゃないかなと…。だからこそ、一回きりの「信長公」があの場面で出たんじゃないかなあ…。


「天運をかすめ取る」

「映画刀剣乱舞」、物語の骨格は、三日月と時間遡行軍のロジック勝負です。三日月がいかにうまく時間遡行軍と身内を騙し切って、「信長を正しく死なせる」「本丸の代替わりを無事に終わらせる」という目標を達成するか、という流れで組み上げられています。この本丸の三日月は軍師タイプなんだろうなあ…と思う。諸葛孔明みたいな。

このロジック勝負に、生身の人間でありながらまったく無自覚に綺麗に絡んできて、目的のものを見事に手中に納めた男がいます。

秀吉です。

秀吉と長谷部と日本号、時間遡行軍の動きだけを追っていくとわかるんですけど、「表の歴史を知っている」長谷部・日本号、そして時間遡行軍さえも騙し切って、目的のもの(信長を討つという成果)をしっかりとかすめとってるんですよね、秀吉。

これ、信長と綺麗に対になってるんですよ。

時間遡行軍の思惑と三日月の思惑に流されていくしかなく、「正しい歴史を知るもの」を利用し損ねる信長。

時間遡行軍達から手紙を受け取ることに成功し、長谷部と日本号、つまり刀剣男士という「神」(そして時間遡行軍という『邪神』までも)を「騙し切って」信長を討ち取ることに成功する秀吉。

信長を見放した天運を、秀吉が自分の意思でかすめ取って見せた構図を、シナリオはこういう方面でも綺麗に描いて見せてるんですね。

そうそう、あの時代の三日月の本体は、信長の最後に立ち会っていません。

だから三日月は本来は「信長が最後に秀吉を『天運をかすめ取ったと笑い飛ばした』」かどうかはわからないんですね。
だけど、長谷部達が追いかけていったにも関わらず時間遡行軍の兵は秀吉に手紙を届けた、だからこの「狂わされた歴史」の中でなお、間違いなく秀吉は天運をかすめとっている、ということをきちんと確認している。
そして本能寺では三日月に「いらぬ差し出口じゃ。わしの天命なれば、わしが始末をつける」と不敵に笑って言い放った信長ならば、安土城でこう言って死ぬだろうとはったりをかましている。そしてそれはきちんと信長に刺さったから、信長は「本来の正史」とは違う、どうしようもない孤独の中で絶望に叩き落とされる極限状態に追い込まれてなお、最後に自分の矜持を思い出せる。
そして、「ふ…やられたわ…」と笑って死んで行けるという……。

孤独と絶望の中にある一滴だけの救い

(※ふせったーでの「追記」の部分です)

信長は、人として顕現した三日月宗近を目にしたことによって、信長は薬研藤四郎もおそらく同じように人として顕現することを知る、だから最後の最後に薬研に「頼むぞ」と言って切腹する。
人ではないけれど、自分の最後に寄り添ってくれる存在は確かにあったっていう美しいオチもついてるわけで…。いや美しいけど…。
絶望と孤独の中に一滴だけ救いがある(付喪神の薬研もちゃんと思い出す)っていう…。ほんと、信長に対してドSが過ぎる…。


以上、映画刀剣乱舞の感想でした。
面白かったです、すごい面白かったです。三日月宗近人外だし神だし殺陣美しいし何事かと思いました。

ただ、これだけは言わせてもらいたい。

こんなロジックと伏線の大量詰め込み、1回の!!!!!視聴で!!!!!わかるか!!!!!!いや多分周回に耐えられる作りにしてくれてるんだろうけど!!!!!情報が!!!!!多すぎる!!!!面白かったけど!!!!!面白かったけど!!!!!!

あとふっくら笑う幼女審神者ちゃんは何回見ても可愛い。幼女審神者ちゃんを見た時「うわあ〜かわいか〜」とか思ってそうな博多君の表情!!!最高でした!

幕末バージョンとか見てみたいです!ぜひ!!!

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