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西洋近代音楽はいかに民謡性を抑圧してきたか? そして「日本でビートルズがあんなに受けたのに、どうしてプレスリーはそれほどには受けなかったか?」

西洋近代音楽は見かけ上バッハ以降のドレミファ平均律によって抑圧されてはいるものの、しかし、その古層にはユーロ民謡~ユーロ演歌が息づいていて。たとえばリストの「カンパネルラ」や、ショパンの『マズルカ』(ポ-ランド舞曲集)、バルトークのピアノ曲、ドボルザーク、はたまた日本の学校の音楽の授業にさんざん採り入れられたスコットランド民謡・・・。それらは日本人の心をも締めつけます。





次に、大瀧詠一さんはこんなことをおっしゃっていたもの、「日本でビートルズがあんなに受けたのに、しかしなぜエルヴィス・プレスリーはマニアにしか受けなかったか?」大瀧さんはその理由をこんなふうに解説しておられます。「それは大正時代以降、音楽の授業がスコットランド民謡をさんざん教育したからですよ。」なお、ぼくが補足するならば、スコットランド民謡のなかに日本人の心に響くものがあったからでしょうが。



いずれにせよ、たしかに「蛍の光」「仰げば尊し」「アニーローリー」「アメイジング・グレイス」「誰かさんと誰かさんが麦畑」など日本人の心に入ったスコットランド民謡は多い。そしてまた、ビートルズにはリズム&ブルースの系譜の曲のみならず、他方で「アンド・アイ・ラヴ・ハー」「ノルウェーの森」をはじめ、スコットランド民謡を感じる曲もまた多い。(余談ながらビートルズはジョージ・マーティンによる音楽的全方位外交があざとくて、曲調に合わせて時にチェンバロを入れたり、弦楽四重奏をバックにつけたり、軍楽隊ふうのブラスバンドをつけたりもします。これがまたビートルズが世界各国さまざまな人たちに愛される理由です。なお、さらにいっそう余談ながら、ビートルズのメンバーはリンゴ・スターを除いて3人ともアイルランド移民です。いいえ、本題に戻りましょう。)



UK(イギリス)は、イングランド文化とスコットランド文化の拮抗によって成り立っています。イギリス映画のなかでのスコットランド描写は良く言えば大自然、悪くするとイングランド人はともすれば田吾作(non-metoropolitan)~マイルド・ヤンキーとして描かれがちです。




なお、日本にイングランド民謡が「埴生の宿(ホーム、スウィート・ホーム)」の他にはそれほど入ってこなかった理由は、イングランドは都市化が早かったため、民謡抑圧度が高いからでしょう。もっとも、ぼくの耳には「埴生の宿」もまたスコットランド民謡に聴こえます。ところがウィキペディアによると作曲者のヘンリー・ローリー・ビショップはこの曲をシチリア民謡にインスパイアされて書いたと述べていて。このレヴェルになるととうていぼくていどの耳の分析力を越えています。




それに対して、プレスリーの音楽の基礎は、アメリカ南部の白人音楽ヒルビリーと(ブルースを基礎にした)アフロアメリカン音楽との結婚にあって。もっとも、アフロアメリカンの音楽ブルースとて演歌音楽家族の一員とも言えるのだけれど。なお、ブルースを基礎づけるものはブルーノート音階でフラットする音を3つ含んだ六音階ですが、とはいえ、演歌の一族と見なすこともできるでしょう。ブルースはいわば黒人演歌です。なお、1970年代後半一世風靡したダウンタウンブギウギバンドを率いた宇崎竜童さんは「ロックはカタカナ演歌だ」という名言とともに、『あゝブルース』なる連作アルバムを発表したもの。


また、ヴィム・ヴェンダース監督映画『PERFECT DAYS』のなかで居酒屋の美人おかみに扮した石川さゆりさんが『朝日のあたる家』を歌ってらした場面も記憶に新しい。さらには指揮者の小澤征爾さんはひそかに藤圭子さんをお好きだったことを村上春樹さんとの対談本であかしておられます。



大正時代以降の音楽教育によってビートルズは日本で人気になったことに対して、それと無縁なプレスリーはそれほどにはウケなかった。なるほどいかにもプレスリー大好きな大瀧詠一さんらしい判官贔屓発言ですね。しかも、この背景には、ユーロ民謡~ユーロ演歌/アフロアメリカン演歌の対立構造がある。そりゃそうですよね、いくらショパンの『マズルカ』やビートルズの「ノルウェーの森」が好きだからって、じゃあブルースも好きになるかと言ったら、けっしてそんなこともないでしょう。逆もまた。つでに言えば日本では、ヒルビリーの源流カントリー&ウエスタンのファンも少ない。たとえば、近年細野晴臣さんがカントリーを聴いていることに対して、高橋幸宏さんも坂本龍一さんも呆れてらしたもの。



もっとも、日本におけるアフロアメリカン音楽受容について公平のために言い添えるならば、戦後日本ではGHQによる洗脳もあって、空前のジャズブームが巻き起こったもの。タモリさんから村上春樹さんあたりの世代に熱烈なジャズファンが多いのはそのせいです。戦後のあの時期を象徴する曲はジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」でしょう。なにせ蕎麦屋の出前の兄ちゃんさえもがこの曲を口笛で吹きながら蕎麦片手に自転車漕いでいたと言われるほど。なお、この曲「モーニン」はブルーノート音階でできています。






人それぞれ好みはあるでしょうが、ユーロ民謡、アフロアメリカンのブルース、日本の演歌、いずれもそれぞれ微妙に異なってはいるもののすべておおよそ五音階でできています。


逆に言えば、バッハ以降の西洋近代ドレミファ平均律音楽がいかに五音階~民謡性~ユーロ演歌っぽさを抑圧してきたかがわかります。しかしながら、たとえどんなに抑圧されようとも、五音階には人の心の古層に眠っている血を騒がせる魔力が宿っています。つまり、この世界はさまざまな民謡~演歌で繋がっています。







thanks to 湘南の宇宙さん

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