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インド人料理人が ぜんざい を作ってくれた。

ぼくが近所づきあいをしているインド・パンジャビ・レストランで、料理長がいたずらっぽく微笑みながら、中くらいの皿になみなみ注いだ小豆色の豆のポタージュをふるまってくれた。豆はラジマとトゥールで優しく煮込まれ、いくらか形が残されている。ひとくち食べると、ほんのり甘い。だからといって甘すぎることもない。おいしい。(ダルをラジマ豆を中心に、スパイスを使わず、濁り黒砂糖を加えて作ったような一品である。)ぜんざいに似ている。「インドぜんざい」と呼びたくなる


ぼくは給仕長に訊ねた、「これなんて名前の料理なの?」かれは苦笑して答えた、「わたし、知らないよ。かれが勝手に作った。」ぼくは料理長に言った、「おいしいね、これ。日本にもあるよ、こういう料理。Zenzai って言うんだよ。」するとかれは笑って言った、「知ってるよ。」そうか、なるほど、かれはどこかでぜんざいを召しあがったのか。


ぼくもまたこういうことはよく考える。たとえばビリヤニは釜飯であり、サンバルはけんちん汁、ワダはがんもどきをおもわせる。なるほど、ぜんざいも豆の煮ものであることをおもえば、インド料理の親戚がないわけがない。



ぜんざいって、なんだろう? いま、ぜんざいについて検索をかけてみると、ぜんざい発祥の地は出雲だそうな。出雲大社には、旧暦の十月、全国から八百万の神様が出雲に集まる。「神在祭(かみありさい)」という神事が開かれ、そこで振る舞われていたのが「神在餅(じんざいもち)」という品。 その名称が少しずつ変化して「ぜんざい」となったそうな。そうか、ぜんざいは『古事記』の世界に通じていたのか! 



余談ながら、研究者のなかには古事記とインド神話ラーマーヤナーの比較神話学を研究しておられる方もいらっしゃる。(山下太郎先生)とうていぼくには踏み込めない領域だけれど、しかし、こういう研究に深入りしてしまう人の気持ちはよくわかる。なお、山下太郎先生は2010年93歳でお亡くなりになっていた。




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