執事がわたくしに黙って結婚するそうなので国内のバウムクーヘン工場を全て買い占めますわ!

文学フリマ東京38の無配ペーパーでした。

 執事というのは役職であって、そういう種族や生き物なのではないと、わたくしでも理解していたはずなのですが、それでも國塚がわたくしに何も言わず暇を取った時は、天地がひっくり返ったような心地がしました。いつものように目を醒まし、國塚に朝のグレープフルーツジュースを持って来るよう命じた時には、もう國塚はおりませんでした。代わりにわたくしと同じ歳の頃のメイドが輝くグレープフルーツジュースを持って入ってきたのです。
「あら、おはよう。國塚はどうしたの? まさか病欠かしら。千鳥宮に仕える者として自覚が足りないんじゃなくって」
「いえ、病欠ではなく。先日、國塚は執事の職を辞しまして」
「じ? え?」
「結婚に伴っての退職だそうです」
「結婚? 國塚が? けっ」
「それに伴いまして、今後のお嬢様の身の回りのお世話はこの末田が代わります」
「かわ、代われるものかしら、それ。えっ、ええ? 國塚? 國塚は、えっ、執事……結婚⁉︎」
 辞める前であればどうにか出来たかもしれませんが、わたくしの元に情報が来る頃には、もう全てが終わってしまっていたのでした。そうして、わたくしは退職してしまった執事に、あまつさえ結婚される羽目になったのでした。

 わたくしと國塚の歴史は、それこそ年輪のように丹念に重なってきたものでした。わたくしの五つ上である國塚は、幼い頃からわたくしの遊び相手として家ぐるみで雇われていましたの。それからわたくしと國塚はいつも一緒。幼稚舎からエスカレーター式で同じ場所に通い、成人してからはお嬢様と執事として絆を育んで参りました。わたくしと國塚はまさに一心同体。わたくしの求めることを國塚ほど理解している者はおりませんでした。わたくしが天下無双のお嬢様であれたのも、ある意味では國塚のお陰でしょう。わたくしも執事としての國塚を心から評価しておりましたわ。
 それなのに、わたくしの許可もなくいなくなってしまうとは。ましてや結婚してしまうとは。結婚? あれだけわたくしと四六時中一緒にいたというのに、一体他のものと恋愛をする余裕がどこにあったというのか。摩訶不思議ですわ。
 何より納得がいかないのは、國塚は──國塚は、わたくしのことが好きなのではないの⁉︎ というところでしたわ。國塚の結婚の話を聞いた時、あら? 相手ってわたくしだったかしら? と思ったくらいでしたもの。そんなことはないようですわ。そんなことないんですの⁉︎ 全ての執事は主人のことが好きなんじゃなくって⁉︎
 別にわたくしも執事と結ばれるだろうとは思っておりませんでした。巷のフィクションでは主従関係イコール恋愛関係だと勘違いしているのではないかと思うほどそういう展開になるので、高校生まではちょっと信じていたところがありますけれども。わたくしと國塚では立場が違いますし、何よりお母様とお父様がお許しにならないでしょう。
 けれど、本当に本気でそういうことになるのであれば、それはそれで吝かでなかったのも本気でした。だって執事はお嬢様のことが好きで、駆け落ちとかするものらしいんですもの。あれ嘘? そんなあ、ご冗談が過ぎる。

 わたくしはすぐさま國塚に連絡を取ろうとしたのですが、暇を取った國塚とは全く連絡が取れませんでした。千鳥宮家の力を使って國塚が今どこに住んでいるかなどはわかりましたが、わかっただけでは何の意味も無いのです。だって、國塚がわたくしと連絡を取ろうとしていないのですもの。いくら仕事を辞めたとしたって、少し薄情じゃなくって? 未練がゼロを通り越してマイナスに振り切れていますわ。結婚式の招待も勿論ありません。國塚はわたくしはおろか千鳥宮家の誰一人として結婚式に招待しないようでした。東京ドームホテルなんてめちゃくちゃアクセスが良いところで式を挙げる予定のくせに。なのに中学の時の担任は呼ぼうとしてるくせに。一体どういう人選ですの?
 こういう時にはインターネットに聞くべきかと思い『執事 お嬢様 結ばれない』『執事 辞職後 お嬢様』『執事 結婚 お嬢様はどうする』などで検索すると、とある興味深い単語がヒットしました。
「バウムクーヘンエンド?」
 なんでもバウムクーヘンエンドというのは自他共に認める仲のいい二人のうち片方が他の相手と結ばれて、もう片方が一人で引き出物のバウムを食べる概念のようでした。
 なんとまあ恐ろしい概念でしょう。わたくしと國塚の関係が自他共に認める仲のいい二人かは分かりませんが、このひたひたと忍び寄るような絶望には覚えがあります。というか、バウムクーヘンって結構大きいのに、それを一人で食べますの? 二重に酷いですわ。バウムクーヘンは二重では済みませんけれどね!
 國塚も式の引き出物でバウムクーヘンを渡すのかしら……と思っていたら、なんだかたまらなくなりました。と、同時に、怒りも覚えました。そうしてわたくしは決めたのです。
「かくなる上は、國塚の結婚式にバウムクーヘンでぶっ刺さりに行くしかありませんわ! 引き出物を渡しながら、わたくしのことを思い出しなさいませ! わたくし、貴方の結婚式に植樹してみせますわよ! ぎゃふんと言わせてみせますわー!」
 考えてみれば、引き出物のバウムクーヘンにわたくしが関わったところで、國塚がぎゃふんと言う理屈は無いのですけれど、わたくしはとにかく何かをせずにいられなかったのです。國塚に拒否されて、会うことすら出来なくて、だったらこうするしかありませんでしょう?

 わたくしは早速、バウムクーヘン工場を片っ端から買収してわたくしのものに致しましたわ。銀色の棒に生地を垂らしてぐるぐる回すという、正直冗談みたいな制作風景を見ながら、わたくしは勝ち誇りました。国内のバウムクーヘンはわたくしが握ったも同然。どのバウムクーヘンを買ってもわたくしの息が掛かったもの! これを回避する為には、海外から輸入するしかありませんわよ! あーっはっは、わたくしのポケットマネーで國塚を包囲致しましたわ! バウムクーヘンの穴のように! 穴だけに!
 バウムクーヘンを試食すると、勝利も相まって大変美味しゅうございましたわ。なかなかバウムクーヘンって食べる機会無いですけれど、こうして食べてみるとなかなかですわね!
 けれど、國塚からの発注はなく、普通に結婚式が挙げられました。ぜーんぜん呼ばれませんでしたし、引き出物はカヌレでしたわ。なんとまあ可愛らしい。バウムクーヘンエンドって名前、そろそろ変えた方がよくってよ!
 バウムクーヘン事業はぜーんぜん上手くいきませんでした。赤字なんだか黒字なんだかもよくわからない低迷具合。わたくしに経営の才能がなかったせいで、バウムクーヘン業界に多大な迷惑を掛けていることに正直申し訳なさが募りましたわ! わたくしバウムクーヘンに詳しくないから、どんなバウムクーヘンを食べても「こんなものですわね」と思ってしまうんですのよ〜!
 せめて國塚が食べて感想を言ってくれたら。カヌレなんかじゃなく、バウムクーヘンを選んでくれたら。ああ、カヌレなんて選択肢があると知っていたなら、そちらも買収していたのに……。
 そうしているうちに、わたくしはとあるデパ地下で國塚と再開したのですわ。

 低迷を続けるバウムクーヘンをどうにか売ろうと、デパ地下に視察に行き「まあ、人が多いですわ〜」なんてお嬢様並みに驚いていると、見知った顔を見かけました。
「國塚」
「ああ、こんにちは。お嬢様」
 わたくしのものではなくなった元執事は、変わらない声で言ったのでした。人波がわたくし達を避けて、わたくし達は以前のように向かい合います。國塚はもうわたくしを避けませんでした。デパ地下で偶然会ったかつての上司を避ける理由は無いということでしょう。結婚式はもう終わってしまった。
「國塚、どうしてわたくしを置いて行ったの」
 わたくしの口を衝いたのはそんな言葉でした。結婚などは単なる区切りです。わたくしはただ、國塚がわたくしの執事を退いた理由が知りたかった。國塚なら、続けることも出来たでしょうに。ただの執事とお嬢様として、駆け落ちなんかせずとも、一緒にいることは出来たはず。
 果たして、國塚は穏やかに言いました。
「お嬢様に一生を懸けるだけの価値が見出せなかったのです」
 それを言われた瞬間、わたくしの頭の中でぐわんと音がし、世界の道理がわからなくなりました。ええ、國塚はもうわたくしの執事ではありません。わたくしを主人と慕う必要は無く、酷い口を利いたところで罰されることもありません。いや、罰されないからといって、そんな酷いこと、酷いこと? バウムクーヘンが生焼けだと指摘することって、果たして悪いことかしら?
「あの……どう、どういう、」
 わたくしとしたことが、國塚にこのような弱気な言葉を吐くだなんて。あの、だなんて幼い時分ですら言ったことがございませんのに。
「どういうと言われましても。人の一生を誰かに預ける為には、それだけの器の相手がいませんと。私はそう思いました。お嬢様は、本当にごく普通の方です。裕福な家に生まれ、大切に育てられ、捻くれることもなく、さりとて聖女染みたノブレス・オブリージュに目覚めるわけでもなく、心根が凡庸なまま生きていらっしゃった。お嬢様は狭い世界の中でぬくぬく暮らし、死んでいかれるのでしょう。お嬢様は、お嬢様の中でもつまらない方なのです。お嬢様は全てを投げ出し、何も成し遂げられず死んでいくでしょうが、それは大多数の凡庸な人々と変わりません。そこは安心なさってください。私は凡庸な方に仕えるのを辞め、凡庸な方と結婚しただけのこと。全てはつまらない話なのですよ」
 それを言われたら。
 それを言われたら、そうでした。わたくしはお嬢様ですが、お嬢様であること以上の特徴はありません。わたくしはお嬢様で、ポケットマネーでバウムクーヘン工場を買えますが、それでも普通で。平凡で。お嬢様で。
「國塚は、どうしてバウムクーヘンを選んでくださらなかったの?」
「お嬢様の作るバウムクーヘンは、ごく平凡な味がしました。全ての工場のものを試しましたので、悪しからず」 
 そう言って、國塚は去っていきました。わたくしのことは、一度も振り返りませんでした。

 これでわたくしのバウムクーヘンエンドはおしまいです。バウムクーヘンの試食にも飽きました。国内にある八十六箇所の工場の全てを食べ比べましたが、わたくしが手を入れたせいなのか、それらは全て同じ味が致しました。五十箇所目を超えた頃にはノイローゼになりかけましたが、お嬢様の意地で食べ通しました。
 以前までのわたくしだったら、きっとバウムクーヘン工場の経営なんて放り出してしまっていたでしょう。國塚をぎゃふんと言わせるという目的が叶わなかったのだから、バウムクーヘンなんかにこだわる謂れも無いわけです。國塚はわたくしを捨てた。結婚してしまった。バウムクーヘン工場なんか捨ててしまえばいい。
 でも、わたくしはそうしませんでした。そうしてしまえば以前のわたくしと変わりません。バウムクーヘンは大して美味しくもない、記憶にも残らない味だそうです。経営は赤字と黒字を行ったり来たり、やる意味などありません。お嬢様の道楽だと、家のものがみんな後ろ指を差しています。工員達にさえ舐められています。
 けれど、わたくしは投げ出しません。
 まずは、このバウムクーヘンを美味しくするところから始めましょう。わたくしは國塚が生涯を懸けるに値する有能お嬢様であったことを証明しなければならないのです。
 わたくしはまだバウムクーヘンエンドにすら辿り着けていないのですから。
 
 

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