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奇跡の星の僻地で腹落ち

今年のGW

娘は部活の強化合宿で島根に行き、
入れ替わりで、
息子は島根の大学に進学した従弟のところに遊びに行っている。
部活やバイトや友達と遊ぶとかで彼らはほとんど家にいないので
GW後半の私の3連休のテーマは「休息」

4月の後半にも連休があったのだけど、
母と買い物に行っている時、娘の参観日の途中、
ソフトバンクの人と話している時等
いろんな場面で仕事のLineががんがん入りまくって
出社したり、会社に電話したりで、
「休めねぇ」とげんなりしていたけれど、
多分、みんな、こりゃダメだわ・・・って、
意識して「休もう」としているのだろう。
5月のこの連休はLine今のところない。
大丈夫っ。
連休明けたら、限られた時間の中でコミュニケーション取りまくって、何とか乗り切ろ。
今は思いっきり休もう。

まずはドラマ一気見してみる。
「95」
自分たちが若者として生きていた90年代ってこんなだったっけ?
主人公はちょうど自分の弟と同じ年の高校生で。
1999年世界が終わる って信じてもないのに、当時刹那的に生きていたのは幼い頃から聞いていたノストラダムスの予言、、、
これひょっとして影響してたんだろうか。
「あの頃はよかったなぁ」なんて「いい時代」なんかこれまで一つだって存在しないんじゃないかって思う。そして「時代」にはめちゃめちゃ影響力がある。

眠い時に眠る。
ああ、眠いってなったら、、夜の時間がもったいないと思っても、20時代で眠る。
しっかり眠ったら、うそ、、こんなに、、全然眠くない!!と朝からずっと動ける。

早朝プチ旅行へ出かけていく息子を見送った後、家の周りの草むしりしちゃった。
洗濯後、息子の獅子舞の衣装が破れていたので、普段ならスルーするところ、繕う。
家じゅう掃除して、ノートを書き、
あえて「手紙」をやりとりしている静岡の友達に手紙を書く。
誰かに宛てて文字を書く って・・それもまた私には大事な休息みたいな時間。
誕生日の友達とプリクラ撮ってごはんに行くとかで、娘が髪を巻いて化粧して出かけていく。
「いってらっしゃ~い。明るいうちに帰ってきてよ」

ライブが近いし、ソウルでのライブのセットリストを見て
セブチのプレイリストを変えて、新曲群を覚えたくて、動画を何度も見る。

めちゃめちゃいい天気なのでちょっとドライブしたくなり、コンビニとガソリンスタンド、あえて山道を通って、夜飲もう!ってワインを買いに行く。

運転していたら、、ああ、、運動してないなぁ、、ってなり、歩くか走るかしたくなり運動公園に行く。
夕方なので、ちょうど何かしら試合をしていただろう運動部の車がどんどんすれ違っていき、私がヘッドホンをして歩き出したころには、誰もいなくて、
ああ、、ここ、コロナな時、5月の連休どこにも行けなくて、ここに子どもたちと来て
誰もいなくて、広い芝生のグランドで3人で遊んだなって思い出した。
外を歩く時にはよくピアノの曲を聴いていてる。
今日はたまたまダウンロードしていたフジコ・ヘミングの「月の光」から始まる。

ここからは、私が生まれて育った町が見える。実家が見える。
犬の散歩で何回も来たし、
弟の結婚式で歌うために、式前夜に下の弟とギターを持って練習に来たのもここ。
子どもたちが小学校のマラソン大会で走っていたのもここ。
幼い子供たちを遊びに連れてきたのもここ。

初めて、ここの野球場に入ってみる。
誰もいなくて、マウンドの砂は強風に巻き上げられていて
ヘッドホンをしたまま、観客席の一番高いところに座る。

テレビでこれから「消滅」する町のことをいっていたが
廃墟になったこの野球場や、空き家になって朽ちていく町の家屋を想像する。
こんなに美しい場所なのに。
ここは消滅するのか。

地球はめちゃめちゃいい場所にあって、いろんなタイミングもよくって
もう、、「奇跡の星」なのだけど、その中でも、四季があってこの美しさ。
その点ではここはもう奇跡の国じゃないかと、地球の僻地で、日本の僻地の野球場に座って思う。

消滅するだろうこの美しい町に住みながら、
行きたい場所に、方々に旅に出かけられて、ここに帰って来られるようになったら最高だな。

グラウンドの周りを歩いて2週目。
芝生の上を横断する。
強風の中、大きい黒い鳥が上空にいる。

普段思い出しもしない元夫を思い出す。

子どもがいて、、それで私たち親はどれだけ面白いことがあったか って
この前同僚と話したことを思い出す。

私にはこのGW各々自分たちで楽しんでいる子どもたちがいて
彼らがそうしているのも私の幸せで

もうここまでこれたんだから、

もういいか って。

養育費払わなくても、子どもたちに何もしてくれなくても
もういいか って。
恨むとか。

いや、、してくれていたら、子どもたちは将来に対してもっと楽だったに違いないけれど。
そうもっていってやれない自分を責めたけど。

私は、子どもたちが子どもでいる時に、その時間を親として独り占めした。

夕方グラウンドを歩きながら、
もういいか って、
今日なにか決定的に腹落ちした。

本当に
もういい
 ってなった。

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