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父に唯一怒られたのは『勉強すんな』でした。

こんにちは、今日はよろしくお願いします。このインタビューは「10人の京大生から学ぶ、実録!子育て記録」という特集の中で行っていて、全国のママさんの参考になればいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。
早速なんですが、京都大学への動機について教えてください。

よろしくお願いします。実は僕、もともと高専に通っていて、そこでは建築のことを勉強してました。でもなんか建築の専門知識が入ってきたあたりからなんか違う気がして、自分で何かをしたいと思って高専をやめて大学に行くことを決めました。京大を選んだのは自分の学習環境として「自由」であることが大切な気がしていて、京都大学の自由な校風がいいなと思ったからです。実際来てみてほんとうに自由だなと思っています。

高専をやめてまで大学に進学しようと思ったのですね、とても大きな決断でしたね。建築ということは理系だと思うのですが、文系の文学部に入ったのはなぜですか?

いや、実は入学は文学部ではなくて経済学部の理系受験でした。(笑)それで、2回生の4月から文学部に転学部してます。こんな風に学びたいものが変わって転学することへのハードルが低いのも京大のいいところだと思っています。

高専からの転学部ですか。すごくさまざまな経験をしているのですね。たくさん自分で考えて行動しているのを感じたのですが、その勉強へのモチベーションはどこから湧いて来ていたのですか?

高専にいた時は、その環境がいやだったのが大きいですかね。周りの意識の低さや建築が嫌で楽しくなくて、その環境を変えたい、というのが大きかったです。あとは、宣言したらその通りにしなきゃと思ってしまうタイプで、みんなに宣言したからにはやるしかないと思って取り組んでいました。

自分で自分を奮い立たせていたのですね。やるしかなかった、とおっしゃっていましたが、高専では受験科目すべてを学習することはないと思います。塾などに通われていたのですか?

いや、塾とかは利用してないです。自分でする方が早いと思っていたし、実際そうだったんで。だから受験勉強も独学でしました。受験科目の物理とか社会はほんとに一から勉強する感じで、社会は科目すべて確認して自分的に面白そうな倫政を選びました。入門書を何週も読み込んで、基礎から問題解いていく、って感じでしたね。

一から独学というのは大変そうですね。自頭がよかった感じですか?

いや、そんな特別頭がいいわけではなかったです。国語社会とかの文系科目はもともと苦手で、、、ただ科目別だと中学の時に数学理科英語は1位になったことがあって、それはめっちゃうれしかったです。

1位ですか!それはうれしくて絶対忘れませんね。

勉強の話をこれまでたくさん聞かせていただいたのですが、勉強に熱中していた感じですか?それとも部活などは何かされていたのですか?

小学校の頃はソフトをしていて、中高は野球をしていました。これは父の影響で、昔からキャッチボールとかよくしていて、、、その流れでソフトをはじめて野球に変わっていった感じです。

勉強に運動に結構アクティブだったんですね。それ以外にゲームとかはされていましたか?

はい、めっちゃしてました。小学校の時はゲームしかしてなかったんじゃないか、ってくらいゲーム三昧でした。(笑)高専に入学してからは寮生活だったんですけど1年生はゲームの持ち込みができなくて、、、そこからしなくなりましたね。その代わりに数学がゲームみたいな感じになっていて、高校のころとかは数学オリンピックを目指して数学を解くことが楽しかったです。

数学オリンピックですか。数学の面白さに目覚めた感じですかね。スマホとかではゲームはあまりされていなかったのですか?

そうですね、スマホをもらったのも中3の誕生日で。その前にiPod touchをもっていたのでそんなスマホ欲しい!という感じでもなかったし、そんなゲームもしてないですね。そういや、中学ころから数学がゲームだったのかもしれないなと思います。

中学の頃くらいからゲームよりも数学におもしろさがあったみたいですね。

学習面の話をこれまではたくさんしていただいたのですが、ここからは少し家族、家庭のことをおはなしいただきたいなと思っています。
まず初めに、読者の方にも家族のことをイメージしていただきやすいように、家族構成をお伺いしてもよろしいですか?

えっと、家族は祖父母と父と高校2年生の妹がいます。母は小2の時に父と離婚しました。その後小5の時に再婚したのですがその人とも中2の時に離婚してしまって。父が祖父母と一緒に育ててくれた感じです。

そうなんですね。これまでの話を聞く限りたくさんの決断を下してきたんだろうなと思っているのですが、その過程の中にお父さんなどにご相談することはありましたか?

相談することはほとんどなかったですね。仲はいいんですけど、自分のした意思決定を報告する存在、って感じでした。まぁ、基本的に父が否定することのない人だったんで、なんでもやらせてくれました。

とてもすてきなお父さんですね。妹さんがいらっしゃるとおっしゃっていましたが、妹さんはどんな存在でしたか?個人の部屋とかもありましたか?

妹はとてもやんちゃです。でもとても仲がよくて、親よりも先に妹に話したりすることもあります。今自分京都にいて、妹は北海道なんですけど、たまに電話したりもします。(笑)部屋はそれぞれ分かれてて、部屋ではひとりで好きなことをしてましたね。

ご家族とても仲がいいのですね。
さまざまな経験をされてきていると思うのですが、家族とのことでしんどかった時期とかはありましたか?

さっきも話したと思うんですけど、離婚から再婚までの期間がとてもしんどかったです。自分と妹のために夜遅くまで父が働いてくれてたんですけど妹と二人で待つのはやっぱりさみしくて。夜ご飯は父が帰ってくるときに買ってきてくれてました。

幼い時期にとてもさみしい思いをされていたんですね。「再婚までの期間」とありましたが、再婚してからの生活でしんどいこととかはなかったのですか?

そこはあんまりなかったですね。再婚自体、自分が何か言えるものじゃないなとは感じていて、父が決めたことなら仕方がない、と思っていました。母とも仲良くしていたし、何か言われてつらかったと覚えているものはないですね~

親子とも、お互いの決定に賛成できるような関係だったんですかね。とても素敵な関係ですね。
最後になりましたが、いまだから伝えられるお父さんへの感謝をお聞かせいただいてもよろしいですか?

感謝はめっちゃありますよ。まずは自分の意思を尊重してくれたことですね。大学のこともそうだし、昔からなんでも尊重してくれてました。それこそゲームとかも止められたことないです。あと、僕の父好奇心を湧き立たせるのうまくて、いま数学好きなのも父の影響です。僕が興味持ちそうなことをわかってて、いつもそういうものをもってきてくれました。
あとは、野球もそうなんですけどいつも応援してくれて見に来てくれていました。あ、父に唯一止められたことは勉強です。中学の時に。(笑)あの当時は反抗してもっと勉強したんですけど、いまならその父の気持ちは間違ってないなと思います。逆に勉強しろといわれた記憶はないです。やりたいようにやらせてくれて、楽しいことをたくさん教えてくれた父にはほんとうに感謝しかないです。

「勉強すんな」といわれるくらい勉強していたのですね。たくさんの経験をさせてくれるすてきなお父さんだったことが伝わってきました。
今日はほんとにたくさん話していただきありがとうございました。

土野涼平(仮名) 出身 北海道
京都大学文学部(19)男
※取材当時

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