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【紀行文】縄文の暮らしが奇跡的に残っていた! 岩陰に暮らした北相木人

北相木人が眠っていた 栃原岩陰遺跡

 黒耀石を巡る旅に出た。

 この旅の後半は、国指定史跡である北相木村の栃原岩陰遺跡へと向かう。霧ヶ峰から和田峠方面に出て、そこから立科町・佐久方面へと走らせ、中部横断自動車道に乗り、八千穂高原ICで降りる。
 つまり、八ヶ岳山麓を一旦北方面にぐるりと回り込みむ形になる。途中中山道の宿、和田宿の本陣へと立ち寄った。こちらも国指定史跡である。

和田宿本陣の門より 数少ない宿の遺構が残る場所
なんと昭和の終わりまで役場の一部として使われていたようだ
江戸から京都までのルートのうち山深い信州を通るルート
和田峠などの難路も多いが、河川の氾濫などが少なく、安定して通ることのできた道であったという

 黒耀石の古里、和田峠には、また来る機会もあるだろうということで、今回はキャンセルし、栃原岩陰遺跡へと向かう。ここは縄文時代草創期という縄文時代区分では最も古い時期の人骨が出土した場所だ。

北相木村の考古博物館の建物

 この北相木村考古博物館の学芸員の藤森英二氏は、信州の偉大なる考古学者、藤森栄一氏の孫であり、北相木村の学芸員の傍ら「信州の縄文文化はすごかったと言う本」を上梓されている。
 この作者に会えればという淡い期待を持って出かけたのではあるが、残念ながら会うことができなかった。しかし、本当によい博物館だった。

類人猿から北相木人への進化を説明している
縄文草創期 岩陰で暮らしたであろう北相木人の暮らし
岩陰がどのように掲載されたかを説明
火山による自然地形を利用して暮らしたようだ 黒耀石も火山の恩恵の一つだ

 博物館はこれまで多く見ているが、やはり関わる学芸員の方の情熱や力量に大きく左右されるのであろう。とても村とは思えない(失礼!)展示であり、北相木人から岩陰遺跡から出土した骨角器の特徴までとても分かりやすい展示だった。
 日本はプレートの交差する場所であり、火山活動が活発な地域だ。火山の被害とそして恩恵を受けている。黒耀石も和田峠の噴火によるものであるし、この岩陰での暮らしが出来たのも、火山噴出物により河川が埋まり、その後河川の浸食作用により岩陰の地形が自然形成されたからだ。

出土遺物や北相木人の人骨復元など分かりやすく詳細に展示されている
岩陰遺跡の特徴である骨角器の展示
微細な穴が骨に正確に開けられており、現代の針とほぼ変わらない
岩陰の復元 もろい地盤であったことから、崩落によりなくなった子供の骨も発掘された

 素晴らしい展示を十分に堪能し、いくつかのパンフレットをいただいた。
 藤森氏の活動は面白く、栃原岩陰遺跡マガジンというフリーマガジンを発行されている。発行は、北相木村教育委員会となっているが、企画編集が藤森氏になっているので、おそらくは村の全権委任を受ける形でほぼ個人的に制作されているのではなかろうか。すごいことである。

栃原岩陰遺跡の実物を見学

 博物館を辞し、実際の遺跡を見ようと道を戻りつつ、栃原岩陰遺跡へと向かった。川沿いに自然とできた半開きの洞窟のようなところに、縄文人が住んだ跡が残っているという遺跡。
 驚くべきことに、当時埋葬された住人の人骨が保存状態の良い形で見つかったのだ。岩陰には何世代もの人々が暮らしたようで、火を絶やず使用した。そこで堆積した石灰分が結果的には、奇跡的なまでに良好な状態で人骨や骨角器などを現代まで伝えてくれたのだ。
 1965年に地元の小学生が見つけ、そこから信州大学の調査チームが10年の歳月をかけて調査した遺跡である。残念ながら現在は、崩落の危険性があると言うことで、中に入り写真を撮ることができなかった。

道沿いに標柱と看板がある。写真に見える通り、侵入防止柵があり正面に回って写真を撮ることはできない。
岩陰遺跡の正面は、擁壁の一部に開放穴があり、そこからわずかだが正面を覗き見ることが出来る。確かに脆そうな地質に見える。

名画のモデルとなった美しき御射鹿池へ

 岩陰遺跡を見終わったのは16時近かった。この日の最後に私はある場所に行きたかった。御射鹿池(みしゃがいけ)という。
 信州の美しい自然をテーマに、静謐な筆致で数多くの日本画を制作した、東山魁夷氏。その代表作「緑響く」のモチーフとなった美しいため池である。透き通るような緑の湖畔にたたずむ白馬の絵を見たことがないだろうか。

 静謐という言葉がまさに似合う神秘的なこの絵が私は好きだ。ぜひこのモチーフとなった池を見たいと思っていた。メルヘン街道を走らせ、一路御射鹿池へと向かった。夕暮れ時に間に合った。

夕暮れ時となってしまったが、美しい景色を見ることができた。
上の画像を彩度調整したもの
もう少し後にくればこのような緑が美しく湖面に移る幻想的な景色が見られるのだろう

 惜しむらくは、冬の眠りから木々が目覚め切っておらず、まだ緑が濃くなかったことだ。撮った写真を加工し、緑響くのモチーフであるこの湖の私の中のイメージと合わせてみた。
 もし機会があれば、緑の深い夏の時期、紅葉の美しい秋、そして真っ白な
雪をかぶった冬と四季を楽しんでみたいと思う。

おまけ:茅野市の大正ロマンあふれる宿へ

 今回の旅路の宿は、茅野市内にある古民家をリノベーションしたところだった。大正時代に芸者置屋として建てられた家で、昭和レトロというより大正浪漫溢れる小粋な宿だった。

fumokuという裏道に佇む古民家が今回の宿

 素泊まりだったので、まずは温泉を探し、諏訪湖の近くの上諏訪温泉 宮の湯に出かけた。佇まいが昔ながらの銭湯である。中は写真を撮っていないが、中央に番台があり、自然とお隣の性別の湯が見えてしまうゆる~い感じの場所だった。
 とても熱い硫黄泉で44度ということだったが、何とか入ることができた。赤い蛇口と水色の蛇口があり、てっきり水色の蛇口からは「水」が出ていると思っていたが、どうもこの水からも硫黄臭がする。
後で調べてみるとこの水色の蛇口から出る温泉こそが、この宮の湯の源泉であり、赤色の蛇口からの熱湯はまた別の温泉とのこと。贅沢にも、ここは二種類の温泉が味わえるのだ。

入り口は分かれているが、この中央にある番台からお隣は見えてしまう
(この日はいなかったのですが)

 温泉のあとは食事だ。近くで店を探すと「さくらさく」という店があり、そこで馬肉と蕎麦を堪能した。馬肉は五点盛を頼んだが、想像以上においしく日本酒もだいぶ進んでしまった。当然のごとく、蕎麦も絶品で、特にここの汁は出汁がおいしく、最後の蕎麦湯が旨かった。

宿の部屋 背の低い窓からベランダに出られる
ときおり野良猫が歩くのがまた風情がある
宿の入り口には巨大な注連縄が。諏訪大社のイメージだろうか

fumokuは、バーや信州の名酒をそろえた飲み放題があり、そちらでも楽しめる。私は日本酒の飲み放題に興味津々だったが、先ほどの店で日本酒を結構飲んでしまったので、こちらでは飲むことが出来なかった。

お洒落なバーも併設

 充実した諏訪旅行の一日目。翌日は、諏訪大社のご神体ともいわれる守屋山(もりやさん)に登る予定。続きはこちら。


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