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谷崎潤一郎『盲目物語』 高野山龍泉寺

わたくし生国(しょうごく)は近江のくに長浜在(ながはまざい)でござりまして、たんじょうは天文にじゅう一ねん、みずのえねのとしでござりますから、当年は幾つになりまするやら。左様、左様、六十五さい、いえ、六さい、に相成りましょうか。


これは、谷崎純一郎『盲目物語』 の書き出しである。小説の語り手は、按摩揉み療治をする弥一という盲目の遊芸人で、浅井長政の妻となり、後に柴田勝家に嫁した信長の妹お市の方を中心とする、戦国争乱の世のひとびとの運命を語る、という形式になっている。

谷崎は、新婚早々の妻・古川丁未子(とみこ) をともなって、高野山へ赴き、龍泉院内の泰雲院に滞在し、この小説を執筆した。

私は、先月高野山にのぼった。目的は、黒田杏子句碑が建てられているという無量光院であった。無量光院では奥の庭まで拝観を許可してもらい、そこに建つ句碑に、黒田先生の面影を感じることができた。

「涅槃図をあふるる月のひかりかな 杏子」


実は、高野山でもう一個所行ってみたいところがあった。谷崎潤一郎が『盲目物語』を滞在執筆したという瀧泉院である。

龍泉院は、無量光院を出て五分ほど歩く。両院とも総本山金剛峯寺から徒歩十分程度の距離である。

龍泉院は高野山真言宗で、宿坊もやられているようだった。

お寺の方にお聞きすると、谷崎滞在の泰雲院は、建物の奥の方にあるらしい。なんでもその建物自体?部屋?が老朽化しており、拝観はできないとのこと。

というわけで、境内の見える範囲には、どこにも谷崎の痕跡はなかったのであった。(見落としたのかも。)

谷崎は、若く美しい妻丁未子をともない高野山に滞在するのであるが、大阪屈指の豪商根津家の御寮人(ごりょうにん)・根津夫人松子への思いをますます募らせている。そこには新妻丁未子の姿は影も射していなかった。

「私には崇拝する高貴の女性がいなければ思ふやうに創作が出来ないのでございますがそれがやうやう今日になって始めてさういふ御方様にめぐり合うことが出来たのでございます」(谷崎の根津松子宛書簡)

実は私の妻は谷崎が好きではない。谷崎についてそれほど詳しく知っているとは思えないが、谷崎の女性関係にマイナスのイメージをもっている。いな、そういう世間の谷崎評を刷り込まれているのだろう。

残念なことに、高野山龍泉院において谷崎の影が微塵も見られなかったのは、ここが宿坊であることが関係しているのかもしれない。(倫理?)

谷崎が大文豪であることは間違いないが、彼の私生活に違和感を感じる人も少なからずいるのではないか。


私は大の谷崎ファンですが。


※参考 引用「新潮日本文学アルバム『谷崎潤一郎』新潮社」

(投稿 2024.5.8)