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浅間山の麓から 第2話 Gさんとの別れ

Gさんとの別れ

2020年の師走に入った頃、突然喪中はがきでGさんの逝去を知った。私はあまりのことに一瞬、頭が真っ白になり、しばらく郵便受けの前で立ち尽くした。

Gさんと私の付き合いは17年前に始まる。彼は世界有数のヘッドハンター会社のスカウトだった。私は20年努めた日本企業から初めての転職を考えていて、彼は新しい会社を紹介してくれた人だった。この時の外資系企業への転職によってその後の私の人生は大きく転換した。彼は私にとってまさに運命を変えてくれた人だった。

彼は私と同じ年で、またお互い大手の日本企業に長く努めていたこともあり、何かとウマがあった。Gさんと私は年に数回会って食事をした。2人共食べ物とワインが好きで、気に入ったお店を見つければ相手を誘い、批評を聞くのが楽しみだった。会えば近況を報告し、困っていることや将来やりたいことをオープンに話し合った。Gさんはいつも親身に私の話を聞いてくれた。

Gさんはその後、ヘッドハンター会社を辞め、広い見識と経験を活かして推理小説を書き、大きな賞を受賞した。またコンサルティング会社を設立し小説家とコンサルティングの2足のわらじで悠々自適の生活を謳歌するようになる。私はサラリーマンをしながら、私の少し先を行くGさんに憧れ、また同じ生き方の志向を持った者として心の拠り所としていた。

コロナ禍になってからも時々メールで近況を報告していたが、実際に会うのは難しいので「もう少し落ち着いたら食事に行きましょう。」と話していた。最後にメールしたのは2020年の6月のことだ。しばらくやり取りをできないでいた矢先に喪中はがきで彼の死を知った。

華々しい活躍をする彼であったが、人生においては大変な経験を積んでいた。義理の弟夫妻の海外での事故死、そのご子息のその後のサポート、心臓病の大きな手術。表に見せないが苦労も人一倍経験されていたと思う。

彼の死をしばらく受け入れることができなかった。彼との楽しい交流が生々しく蘇る。今にも話しかけてくるような気がした。たくさん相談したいことがある。こんな時、彼ならなんと言うだろうかと考える。私が新しい生活を始めるにあたって、もっともっと話をしたかった。

奥様あてにお悔やみの手紙と青い花で作った花束をお送りするとご丁寧に返信を頂いた。その中で「夫の分まで長生きしてください。」というメッセージがあり、深く考えさせられた。私はその半年後東京を脱出し、軽井沢で新しい生活をすることになった。




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