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AI作曲にどう抵抗するか?

第一章 AI作曲の普及によって起き得る現象

いきなり本題に入る前に、AI作曲が世間に
どのような影響を与えるのかを予想してみたい。

まず、サブスクリプションやSNSの音源に
AI作曲が参入してくる事が考えられる。

そしてAI作曲のトラックを「バズらせて」
サブスクリプションのダウンロード数で
収益を得るというビジネスモデルが生まれる。

誰もがスマホ一つで、知識も技術もゼロで
抜け目のない完璧な音楽を作ることができるので

このビジネス競争に多くの人間が参戦し
サブスクリプション、SNSの音源において
膨大な数のAI作曲が産み落とされるだろう。

次に、編曲という仕事が激減するだろう。

シンガーソングライターやアイドルたちは
いわゆるバンドアレンジを外注している事が
有名無名に関わらず少なくない。

その外注を受けるのが編曲家と呼ばれる職業。

しかし、ぶっちゃけ編曲家に払うギャラよりも
生成AIに任せた方が安く済むのだとしたら

自分で編曲できないアーティストも
結局はAI作曲に委ねる事になるだろう。

DTMも正直、人が手で打ち込む必要はない。

いずれにせよ、一般の人々にとってみれば
「AIが関与したであろう楽曲」を
便利なサブスクリプションで楽しむという
形態になる事は間違いないだろう。

それだけ安易に、聴き心地の良い音楽を
提供してくれるのがAI作曲の未来だと思う。

第二章 AI作曲の普及で音楽家が食べていくには

第一章で述べてきたことから、「音源そのもの」
が持っていた価値は、ほとんどなくなるだろう。

作詞、作曲、編曲ができることに意味はなく
それらは全てAIひとつで解決できるようになる。

しかし、「音源に至るまでのストーリー」
であれば話は違ってくるのではないか?

例えウソでも本当でも、生み出された曲が
どういう経緯で完成したのか?という物語は

AIひとつで作る事はできない。

なぜなら、その物語は人生そのものだから。
突飛な人生を歩んできた人間にAIは勝てない。

人間は、より刺激の強い人間に惹かれるものだ。
そういう人間が作った作品には興味が生まれる。

ここら辺は前回の記事を参照してほしい。

よってこれからの音楽家は、作品そのものより
「そこに至った経緯をどうプレゼンするか」
がアイデンティティを保つために重要になる。

家に引きこもって音源作るだけではダメなのだ。

もう一つ、音楽家に求められるものがある。
それは「生演奏、ライブで魅力的かどうか」だ。

AIに生演奏はできないのは当然として
ライブ特有のファンとアーティストとの
距離の近さ、そして温度感。

ここら辺を音楽家は再度重要視すべきだ。

クオリティの高い演奏に質の良いサービスで
AI作曲の時代に十分抵抗できるだろう。

ライブといえば、物販としてのCDなども
再注目される可能性を秘めている。

サブスクリプションでは聞く事ができない
「ライブに来た人だけが楽しめる」
ファンだけの特権のような、特別なCD。

AIによる無料でいつでもどこでも聴ける音源と
推しによる手作り感のある音源との差は歴然だ。

第三章 これからの人間に求められるもの

これまでの人間は「質(クオリティ)」を
最も重要視していた気がする。

例えば学校の試験では与えられた時間で
素早く正確に答えを導き出す事が求められる。

音楽やビジネスでも同じように当てはめて
効率よくレベルの高いものを提供する事に
素晴らしさを見出してきた人は少なくない。

しかし、それらはいずれ完全にAIに代わる。
人間が認知できる程度の「ハイクオリティ」では
AIが優位になる事はもはや決定事項だろう。

では、やはり「人間らしさ」が大切ではないか?
ところで、人間らしさってなんだろう?

それは不完全さであり、心がこもった感じであり
実際に手と手で受け渡しがされる事である。

そして何より笑顔で声を掛け合う事である。
今の人間にはこれらが足りてなさすぎる。

東京大学名誉教授の養老孟司さんという人は

「ロボットが人間に近づいているのではない。
 人間がロボットに近づいているのだ。」

という話をしているので、ぜひ観てほしい。

AIの登場によって、「人間の可能性」を
再度考え直す必要があるのではないか?

パソコンでDTM作曲をするにしても
ギターやピアノで弾き語りをするにしても

AIが決して真似することのできないような
そんな領域を見つけていきたいところである。

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