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苦労して形にした「たたき台」をぶっ壊す。

ベンチャーで働いていると、新たな制度やサービス、会議体や外部システムの導入など「現状をよくする何か」をゼロベースで考えて、周囲に提案し、形にして行く機会が多い。

形にする際のスタートはまず「たたき台」を作ることから始める。「草案」とか「あらあら」とか、言葉の概念が人によって違うかもしれないので念の為の引用。

「たたき台」とは一言で言うと「とりあえずの試案」という意味です。

企画書を正式に作る前段階の概要を作ることを「たたき台をつくる」あるいはもっと短く「たたきをつくる」といいます。

 「たたき台」という言葉は鍛冶屋さんが金属を叩いて成形するための台から来ている言葉といわれています。(引用:キャリアガーデン)

仕事の依頼者が上司やクライアントの場合だけに限らず、チームで仕事をする際にこの「たたき台」を作らずに「自分なりの完成品」をいきなり出すことは絶対にやってはいけない。

たたき台は「チームで良い仕事をするためのコミュニケーションの土台」であって、周囲は「あなたなりの正解」を聞きたい訳でもなければ「個人の見解の押し付け」を嫌うからだ。

一方で、レベルが低すぎる「たたき台」を作る事も悪とされている。

目的や課題、メッセージ、他社事例、複数のオプションとプロコンなどの情報をまとめて行く事が最低限の礼儀であったりする。

ここ2年ぐらい、自分の仕事はこの「たたき台」をいかに早く、正確に作るか?を徹底的に磨いて来た。だから以前、「たたき台」を作る人が一番えらいというnoteを読み、深く共感した事が記憶に新しい。

いいですか。たたき台を作るってのは「ゼロ→イチ」なんですよ。ゼロ→イチがどんな作業よりも、もっとも時間も労力もかかる。

これを理解せず、ゼロ→イチをやってくれた人にリスペクトをせず、平然とたたき台を“叩くだけ”の人が多いです。
 
イチがなければ、議論もフィードバックもできないわけで、その第一歩にしっかりコミットしてくれたことにリスペクトをすることが超絶大事なんですよ。

"叩くだけ"の人が多い、というポイントにもっとも共感した。

知識や成功体験がなくても、友人から少しの情報を聞いただけでも、そもそも目的からズレていたり、工数やコストを全く考えずに好き勝手言う人は当たり前のようにいる。
(当然だが、それらの意見はマイナスな面を持つだけでなく議論を前進させる事も多いし、自分の周りにはあまりいない)

ただ、"叩くだけ"の人がいる中であっても、目的意識を忘れずに、いかに早く集団に納得性を持たせて「よし、やってみるか」と合意形成まで持って行くかが仕事だったりする。

それが出来ないのであれば、本来のスタートが「現状をよくしたい」と言う想いから始まっている現状は維持されるだけ。何も始まらないし、何も変わらないので「No valueでFinish」だけは避けたい。

時に「あれ、今のコメントって人格否定やんw」みたいな感情になる事があっても、作った「たたき台」が様々な意見に揉まれながら昇華していき、最終的に形になることは、前進するために大切な事だ。誰かがやらなければいけない、重要な仕事だと思う。


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少し前に「始める」ことよりも「辞めたり、諦めたりする」ことの方がはるかに大変なのだと感じる事があった。

特に、自分発信で始めた事や、始めるまでの過程(たたき台のくだりなど)や始めた後に多くの苦労や多少の成功をおさめていたりすると、その難易度が増して行っていることも実感した。

で、その事が自らの成長を止めていることも同時に強く感じた。

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これは大好きなバスケ漫画「あひるの空」の一節。今まで成し得た事がない「インターハイ出場」という未踏の目標に向けて、ハードなメニューを組んだ合宿を開始する前の監督の一言。渋すぎて震える。

大きな目標を達成するために、これまでの現状を大胆に変えるためには「今まで通り」を変えていかなければいけない。

だから、あの頃作った「たたき台」をいつまでも大切にするのではなく、ぶっ壊して、また新しい「たたき台」をゼロから作らなければいけない。そうでないと個人も組織も成長が止まる。

過去の自分を否定するのではなく「良い思い出」と化して、また「たたき台」を作り、周囲に意見を仰いで叩かれる。その度に昇華させ、苦しくても、なんとしてでも形にする。

この連続が、会社とか、ベンチャーとかに限らず、どのような「組織」にいても大切なのかなと強く感じる。

時に辞めることや諦める自分を歓迎して「前進」するために必要な何かに集中していけるようにしたい。

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