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【退職エントリー】4年間勤めたFiNCを卒業します。泣ける。

1. ベンチャーの4年は長かったです。

写真フォルダーをどれだけ漁っても、他の方が書いている「退職エントリー」に使われているエモい写真が見当たらない。4年も働いたのに「ウェーイ」見たいに仲間と喜んでいる写真がない。どう考えてもおかしい。

せっかくの退職エントリーなので、マジでどうしようかと悩んだけど、奇跡的に自分の感情と表情を代弁してくれている一コマがあったので、勢いで山王戦の赤木(ゴリ)でいく。

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株式会社FiNC Technologiesを本日2020年3月末をもって退職いたしました。振り返れば、2016年2月に入社し4年間も在籍しました。

あの時間感覚が鈍らせて仕事に没頭できる環境は、正に「精神と時の部屋」に入った感覚でした(もちろん、実際に入ったことはない)。

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組織は生き物ですが、その成長速度が速すぎると、半年はおろか数ヶ月で別の会社になってしまいます。組織・人事戦略を担う立場にいると「この前と同じことをやっていてもダメ」みたいな状況になり、延々に変わり続けなければいけない4年間でした。

一方で価値観が多様化してくる中で「ずっと変えてはいけない大切なこと」もありました。「カルチャー」と言われているものですが、分解すると「Value」や「Competency(行動指針)」になると思っています。組織の価値観が多様化していく中でそれらを守り続けるのは、立場に関わらず執念や忍耐力が必要でした。

途中、何度か「カルチャーなんてもういいや…」と思うこともできたのですが、幸いにも自分は「人事」という立場ということもあり、常に業務で触れ、真摯に対峙し続けることができたのでは、と振り返ります。

様々な方が3月末で退任や退職の意思決定をされている投稿をSNSで拝見しました。エグジットをした訳でもなく、起業をした訳ではなく、何者でもない自分が退職エントリーを出すべきかどうか?と悩んでおりました。

が、もはや愛情的な何かを持って務めてきた会社ですし、まだ会社に残るメンバーにも、いかにこのFiNCという会社が最高で、素敵で、大切にしていって欲しい気持ちを伝えるために、せっかくの機会なので昔を振り返りたいと思います。

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(なんて説明していいか分からない最後の部署飲み)


2. 「正しいことをしたけりゃ偉くなれ。

サイバーエージェント藤田晋社長の「渋谷で働く社長の告白」を読んで衝撃を受け「残りの20代、まだまだ死ぬほど働いて成長したい!」という強く湧き上がる感情に逆らうことができませんでした。(ベンチャーに行きたい、ベンチャーに行きたい、ベンチャーに行きたいとだけ思ってました)

新卒で入社した会社で営業から人事職までを経験し、Vision/Mission/Valueの大切さを実感しました。それに共感できることを大前提に起き、加えて自らの成長曲線を指数関数的に伸ばしていきたいと思い、以下3つの点を軸にウォンテッドリーで転職活動をスタートさせました。

1. 自らの成長にレバレッジをかける成長速度の市場であること
2. 大型資金の資金調達が完了し優秀な人材が集まっていること
3. 人事として成長著しい組織に携わる仕事ができること

全てのピースが揃っている会社が、唯一「FiNC」だけでした。そのことに気づいたタイミングに、正にダブルパンチを喰らうかのように「IVS 2014 Summer Workshop」で溝口さんが登壇している講演をYoutubeで見ました。

「正しいことをしたけりゃ偉くなれ。」

未だに鮮明に覚えています。そもそも「死ぬほど働いて成長したい」という強い感情が湧き出ていた背景にも「正しいと思ったことを発信しても、会社や世の中を簡単に変えることはできない」と痛感した経験があったからです。

転職の意思決定をした奥底の感情に、イチロー選手のような、周囲がぐうの音も出ない実力を持たなければいけない焦りのようなものを感じたのかもしれません。

会社愛や投資労働時間の総量だけでは誰も何も変わらない。やりたい事を実現するために、本質的に大切なことは「影響力を持つ」ことであり、そのために20代という貴重な人生を生贄にしようと上京を決めました。(後に、30代もあまり変わらないことに気付きます)

3. 石油を掘りに行く

2015年のFBメッセンジャーを振り返りました。27歳の自分がFiNCから受け取ったオファーレターに記載されていた条件は新卒の初任給と同じでしたが、その4分後に「自身の選択をなんとしてでも正解にしたいです。入社したいです。」と承諾していました。

他社の選考を一切受けていなかったというのもありますが、自分なりに「覚悟を決めている」「拾ってもらった」「石油を掘りに行く」とうい感情があったのだと思います(石油の表現が正しいかどうかは分かりません)。

そんなこんなで「生まれ育った静岡を27歳にして発つ」という、遅すぎる上京からスタートしました。今思い返すと20代の男子って最強ですよね。家もないのに、キャリーバックだけを持って初出社をきめたのに「ベンチャーなんてそんなもんだろ」と開き直ることができていたので。

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(入社2日目にいきなり寝坊をかまし、目覚まし時計を10個買ったのが懐かしい。)

4. 日本橋物件(4畳キッチン・風呂・玄関なし)

入社前に「寝袋を持っていけばいいですか?」と真剣に質問していたこともあり、上京してきたのに住まいがありませんでした。

しばらく新橋と築地のカプセルホテルに住み着き、初めて一人暮らしを始めたアパートは日本橋の4畳キッチン・風呂・玄関なしでした。(賃貸を探す余裕が一ミリもなかったので、会社から近くてスっと入居できるところを探していた)

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(これが玄関を開けて見える部屋の一望です。奥の扉がトイレ兼シャワー)

静岡の会社に勤めていた時は、新築10畳で街中の会社まで徒歩7分という好立地に住んでおり、その家と同じ家賃であることに受ける衝撃の強さを感じる余裕はなく「とにかく布団で寝れればいいや」と割り切っていました。

実際は、やっとありつけた自分の布団でしたが、寝るたびに悪夢を見ました。マジであの家だけには戻りたくない笑。

当時は銀座にオフィスがあったのですが、仕事が終わった深夜のドンキホーテで買った自転車で毎日15分ぐらいの距離を通っていました。帰りはいつも夜遅くてヘトヘトで15分ですら長いと感じるほどでしたが、それが働いていることへの実感に繋がっていたりもしてました。

5. プリズンブレイク

FiNCでは、カオス人事(笑)、コンピテンシー策定、各種制度導入、カルチャー浸透、採用チーム組織化、採用広報、エンジニア&デザイナー採用、社長秘書、資本事業提携…etc

本当に幅広い業務に携わる機会をいただけたと思います。これがやりたくて転職してきたのだから満足しています。

「出版社の広告営業マン」から「ベンチャー人事」というタグを獲得できるまで、広く深く、刺激的で、自らの財産になるような業務経験を積ませていただきました。

自らの仕事のできなさに泣いた数を数えればキリがないし、常に自分を追い込み、終いには鬱病になって3ヶ月ほど会社を休職した事もありました。

あの時期に心配して連絡をくれたり飲みに行ってくれた人達の顔と名前とその時の会話を、僕は死んでも忘れません。感謝。

世の中から認められる何かなんていらない。怖くても勇気を出して取り組んで、苦しくて辛くて諦めたくて、自分の限界を知って少し休んで、また戻って、でもまた苦しくて、少しだけ成長している自分が嬉しかったり。

そんな、喜怒哀楽だけでは足りない感情と、その起伏とともに過ごしてきた4年間は、自分にとって「想い出」ではなく「財産」になりました。

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(創業日の全社イベントで2年連続プレゼンしました。プリズンブレイク。)

(この「自責100%ですか?」とドヤ顔でプレゼンした3ヵ月後に会社を脱走しました)

(このことをきっかけに無意識にドヤ顔する自分を戒めました)

6. キャリアの単利から複利へ

これまでの業務や各種PJを通じてご指導ご鞭撻を賜った社内外含む先輩方は、同じ「ベンチャー企業」に所属していたからと言って他社では出会えなかったと思います。どれだけ吸収しても足りないくらい、こぼれ落ちる程の学びを得る事が出来ました。

思い返しても、何一つ楽しかったことなんてなかったのに、毎日の一分一秒が刺激的で、貴重で、憂鬱で楽しい4年間でした(この「楽しいことがなかったのに楽しかった」という感情に名前をつけたい)。

定量的に言語化できず悔しいものですが、いずれにせよ、変わらない軸で新たな挑戦について考えて行きたいと考えております。

冒頭にも申し上げた通り、組織は生き物であり成長企業であれば常に激しい変化をし続けなければいけませんが、もし今の自分があのフェーズに戻ったら、採用、制度、研修をどうしていたか?と考えたり、過去を省みて「至らなかった」と悔やむ感情が今だからこそ残ります。

「アメリカの空気を吸うだけで高く飛べる」と思っていた谷沢と同じように「ベンチャーに行くだけで、自らのキャリアが単利から複利になるわけではない」ということを痛感いたしました。

諸先輩方から「おせーよ」と突っ込まれそうですが、この危機意識を強く抱けたのも、カオスな環境で一定量をこなしてきたからかもしれません。遅くても後悔なし。

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(環境は最も大事だけど、その環境を選んだ後の執念が一番大事。)

7. 「何歳になっても成長し続ける姿と結果」

FiNCでは「一生に一度のかけがえのない人生の成功をサポートする」というVision達成に邁進するため、とにかく必死に働いてきました。

FiNCが目指すVisionと、そのVisionと言う名の傘に集まるメンバーが最高でした。関わっていただいた全員が師であり、感謝の気持ちでいっぱいです。

仕事を通じて人間味あるご指導をいただいた方に恩返し&感謝を伝える方法は「何歳になっても成長し続ける姿と結果」だと思ってます。

そんな姿と結果を出し続けることをこのnoteで誓い、締めとさせていただきます。仕事を通じて得る「良い刺激」は、目標の高さやカオス度合に比例すると考えております。名実ともに揃わずともSNSやメディア等でハロー効果を獲得する方も多くなった時代ですが、本質的に大切なものは何か?は常に思考の中心に置いておきたいものです。

所属している会社が億単位で資金調達をしていても、市場が成長していても、優秀な仲間がいても、チャレンジングではない目標や再現性だけを発揮し続ける仕事や他責マインドな社員の集合体であれば、FiNCの4年間で得た刺激や感動を超えることはできないと思います。

だからこそ、以下のようなことを大切にしたいと思い、考えながら次のキャリアを決めました。

・そのVision / 仕事の先に誰がいて、どのように幸せになっているか?
・覚悟を持って自らが挑戦するのか?覚悟を持つ挑戦者を支えるのか?
・最高な組織はなく、最適な組織をどう作るか?
・死ぬまで成長し続けるための環境かどうか?

本来、退職エントリーには次の会社の情報がつきものですが、また落ち着いた頃に改めてnoteにまとめさせていただきますね。締まりが悪くて申し訳ございません。Twitterでも諸々発信していきますので、この機会にフォロー頂けますと幸いです。

カバー写真のゴリのように、自分は何も成し遂げていないけれど、なぜか振り返ると涙が出てくる4年間でした。(いや、むしろゴリは全国出ている)

この仕事、職場で関わった全ての人に感謝の気持ちを込めて。内藤貴皓

滅多にない機会なので有料記事にしてみました。文章の続きはありませんが、退職祝いのお気持ちをいただければと。笑

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