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【トナカイの着ぐるみを着せられキッチンを追い出されたパティシエに降り注ぐ、クリスマスの奇跡と冷えきった恋のリアル】 〜書店員のエッセイと本紹介〜

ゆっくりと十二月の明かりがともりはじめ、あわただしく働く私たちの職場は明日、さらなる激戦になることが予想される。
とは言いつつも、タルト・チーズケーキ製造担当の私にそこまで大きな出番はない。いつもよりほんのちょっと多めの数を作り、いつも通りの仕込みと片付けをして帰るだけ。特別な業務は、最前線で戦う女性店長とフリーターの男の子に、ほどよく立てた生クリームとカットした苺を供給し続けるくらいである。
「お二人、なにか手伝えることありませんか。」
「大丈夫やで。」
「大丈夫っす。」
一応気合はあるのだが、如何せんスキルがほとんどない。クリスマスイブ前日でも仕事量が変わらない私は、夜になっても仕込みを続ける店長たちを残し店をあとにしたのだった。

「朝礼やりまーす。」
目の下を真っ黒にした店長が従業員たちを呼ぶ。製造チーム四人、売り子ガールズ三人。全員の顔は引き締まり、若干緊張しているようだった。人生初のケーキ屋でのクリスマスイブ勤務を前にして、私も武者震いが止まらない。
「わかってると思うけど、今日はめっちゃ忙しいです!小さなケーキ類もそうですが、特にショートケーキのホールとスペシャルクリスマスケーキがバンバン出ると思います。売り場のみんなは店頭在庫状況をこまめに製造チームへ伝えてください。それでは今日から二日間、頑張りましょう!」
売り子チームはショーウインドーの方へ、私たち製造チームはキッチンへ移動した。私はコック帽を少し深めに被り、よし、と独り言ちてパックに入った苺を冷蔵庫から取り出した。その時である。
「成生くん、めっちゃ重要な仕事を頼みたいんやけどついてきてくれる?」
突如、店長が甘い上目遣いで私にすり寄ってきたのだった。「よろこんで!」顔には疲労の色が浮かんでいたが、彼女の美しさは変わらない。私はうきうきしながら店長と共にキッチンを出た。

倉庫につれてこられた私を待っていたのは、棚の上で横たわる『空っぽのトナカイ』だった。
「ねえ、店長・・・俺、苺切らなきゃ。」
嫌な予感が頭をよぎり、じりじりと後ずさる。
「成生くんしかおらんのよ。売り場の女の子たちは絶対やりたがらへんから。」
「俺だってやりたくないっすよ。トナカイの着ぐるみを着て店頭で呼び込みなんて。」
棚からはみ出した短い尻尾がだらりと垂れさがっている。私は半笑いで顔をしかめた。
「でもほら、寒いなか大学生の女の子を外に立たせっぱなしなんてできないやん。」
「そりゃそうだけど。」
「うん、気持ちは凄く理解してる。だけど適任なのは成生くんだけなんや。お願い。」
店長は私の両肩に手を置き、真剣な眼差しでうったえた。
確かに私はショートケーキを作れない。不器用すぎるがゆえに、タルトやチーズケーキに回されているのは重々承知している。そしてそれらは今日明日急いで作らなくてもいいものであることもわかっている。私が今日やるはずだった苺切りや生クリーム立てなんて、誰でもささっと出来る作業ということもわかっている。
「・・・まじかあ。」
私は天を仰いで息を漏らし、被ったばかりのコック帽をゆっくりと脱いだ。

「クリスマスケーキ、いかがですかー!」
西大路通りを行き交う人々へ茶色い身体を見せつける。微笑んでくれるカップルもいれば、無視して通り過ぎていくおじさんもいる。二日目ともなるともう慣れたものだ。躊躇することなく愛想のいい笑顔を振りまくことが可能となっている。そしてどういうわけか、もはやこのトナカイに愛着さえ湧いてきている。

初日の数時間は苦しかった。
この店は私が通っている大学から近い。ゆえに、知り合いに似た人間が通りかかるたびに、揺れる尻尾を壁にくっつけて存在感を薄めることにつとめた。同大学の学生から向けられる好奇の目にいちいち反応してしまう。完璧な羞恥プレイに心臓はエレヴェーター。結果的にすべて他人だったのだが、この様子ではメンタルがもたない。不安と期待にまみれた顔をしながら、入口ドアの先にいる売り子ガールズの方を何度も振り返った。だが彼女たちはつやつやの笑顔で手を振ってくるばかり。うーん、さすがにその可愛さには歯が立たぬ。変わってくれなどとは言えない。言えない。
「ありがとな。寒いやろ。」
店長は二十分に一回のペースでコーヒーやスープを持ってきた。正直そんなにガブガブ飲めないのだが、いらないとも言いづらい。地面に置いておくわけにもいかないので、感謝を告げてずずずと瞬時に飲み干しコップを返す。
「また持ってくるから。」
心の中でもういいよと叫びつつ、あざっすと右手を上げる。途中、他の製造メンバーも差し入れを持ってくるようになったので、私は延々とスープやコーヒーを飲んだりチョコレートなどを食べ続ける状態に。嬉しい、しんどい、不安の三拍子で心境はジェットコースター。脅迫的なほどの待遇の良さが、誰かと遭遇してしまう不安を強引にかき消そうとしてくる。
「いらっしゃいませ!」気が付くと私の顔には自然なトナカイの笑みが浮かんでいた。

二日目も残り一時間で終わりという頃、ついに知り合いが現れた。
「わ!成生じゃん!」
目を丸くして驚くコウジとユウちゃん。成績も性格もいいこの二人は、誰もが憧れるスーパーカップルだった。
「俺、ここのケーキ屋さんでバイトしてるんだ。こんな格好してるけど普段は製造。」
私は尻尾を振ってみせる。恐々としていた昨日とは違い、今は謎の余裕が私の中に生まれていた。ユウちゃんがかわいいと言ってくれたのでちょっと安心する。
「まじか。セブンイレブンでケーキ買おうと思ってたんだけど、せっかくだしここで買うよ。」
私は彼らを店内へ引き入れ、店長に「友達っす」と紹介し、再び外に出て中の様子を伺う。疲労に満ちた笑顔で対応している店長が、二人にマカロンをサービスしているのを見てホッとする。
「ありがとな。店長さんにもお礼言っといてくれ。」
コウジはスペシャルクリスマスケーキが入った袋を軽く掲げた。「ありがとう」ユウちゃんの上品なお辞儀に慌てて私も頭を下げる。並んで歩く二人の後ろ姿を見ながら、なんか本当にクリスマスって感じだったわと自分でもよくわからない感慨にふけった。

「寒かったやろ。もうそろそろ終わりやから頑張ってな。」
店長がコーヒーを持ってくる。これもラスト一杯(?)かと思うと少し寂しい。私は透き通った冬の空に白い息を吐き、実はそんなに寒さと戦っていないことを認めた。着ぐるみの中は意外と暖かいのだ。手を背中に回して、先日あれほど忌み嫌った尻尾を触ってみる。もこもこした綿の中に、どこか切なげな感触がじんと指先をつたう。
その時だった。
「メリークリスマス!」
突如目の前にビニール袋が差し出され、その横からコウジが顔を覗かせてきたのだ。湿った袋から透けて見えるのは、数本の金麦とストロング。驚いて声も出せない私を、コウジはニヤニヤしながら見つめている。
「ほら、お前のためにサンタさんやってるんだからもう少し喜べよ。」
「え、あ、ありがとう。・・・っていうかどうしたの、これ。」
酒の入ったビニール袋をトナカイは受け取った。
「おつかれさまと思って。」
「え、それだけ?」
「それだけ。」
そうだ、コウジはこういう男なのだ。みんなから慕われ、素敵な彼女がいるということにはちゃんと理由がある。「じゃ、またな。ユウ待たせてるから。」嫌味のない台詞を吐いて彼は去っていく。二度目の後ろ姿は少し駆け足だ。誰かのサンタクロースになれる人間はやっぱり格好いい。

タイムカードを押し、空っぽになったトナカイにさよならを告げた。もう二度と会うことはないだろう。店を出た私は自転車にまたがり、丸太町通りを東へ直進する。労いとしてもらったクリスマスケーキがカゴのなかで小さく揺れた。ガランガラン。背負ったリュックの中から缶と缶がぶつかり合う音がする。帰ったらすぐに冷凍庫で冷やそう。
「おかえり。」
家のドアを開けると彼女が待っていた。寝間着のまま、ぽつんとベッドに腰掛けてテレビを眺めていた。私はリュックから酒を取り出そうとしたが、威圧的空気を感じてその手を止める。何よりも先に、彼女へケーキを見せなければならない。
「ケーキ、もらってきたよ。」優しい彼氏は、慎重になりはじめた関係を壊さない。彼女は立ち上がって私に抱きつき、歯磨き粉の香りのするキスをした。一度のキスを終えた私は唇を離し、絶妙な力加減でごまかしのハグに切り替える。首の角度を自然に動かして頬をくすぐる髪から逃げた。目線が重ならないこのタイミングだけが本当の自分に戻れる時間。乾いた意識をぎゅっとリュックの方へに向ける。ありがとう。私は心の中でもう一度コウジにお礼を言う。
一日中エアコンを効かせた部屋は暖かいが、貧乏学生にとってはトナカイのぬくもりの方が心地いいらしい。九歳年上のキャリアウーマンにはきっと理解できないと思うけれど。 ピークを終えてしまったクリスマスは、幸せそうな顔をして通り過ぎていく。


朝井リョウ あさのあつこ 伊坂幸太郎 恩田陸 白河三兎 三浦しをん 著 『X'mas Stories 一年でいちばん奇跡が起きる日』。

【聖夜のロマンチックは、街じゃなく本の中に】
スーパー人気作家さん6人による、クリスマス当日を舞台にした短編集。 朝井リョウさんの、本当の意味でこの世に誕生した日を意識し続けるOLを描いた話からスタートし、江戸時代から現代にタイムスリップしてしまった武士と農民の話を描く三浦しをんさんでシメる。
ほんわりと心が温まる、素敵な力がこの本には込められています。


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