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かなめゆき『いつか一緒にくたばってくれ』

私が完全に心酔しているかなめゆき(@asunihayokunaru)さんの歌集、『いつか一緒にくたばってくれ』を読んだ感想を書きます。
すばらしいものに出会った時ほど、人は言葉から自由になると思います。というか、言葉を必要としなくなるように思う。だって、そこにあるそれが素晴らしいことを正しく理解するためにはそれに出会う他なく、それが素晴らしいことは言葉がなくとも失われることはないのだから。
ということで、『いつか一緒にくたばってくれ』を読んだ直後、私もそのような状態になり、感情の海に溺れてそのまま溺死しました。語彙は消え感情だけになりました。私が感情だ状態です。すごくすごく素晴らしいです。この話永遠に続けてしまいそうなのでそろそろやめます。

自分から溺れてるのでレスキューはいらないけれど看取ってほしい

すごくわかるなぁと思った歌。自分から溺れに……暗い考えや自己否定に、溺れにいくことってある。そういう時、助けて欲しいわけじゃないんですよね。で、結びの看取ってほしい、が、すごく素敵。助けなくていいから、見ていて。ああいう時、他人に望むことってこういうことなのかもしれない。

幸せになるのは命つきるときだと思ってる体質的に

最後の体質的に、が良い。体質的に、そう思ってる。理由づけが愛おしいような、わかるような。体質的に。良い。

あらかじめ鎮痛剤を飲んでおく なにが起きても痛くない 行く

刺すときは全力でいけ 研ぎすませ ナイフの先を唾液で濡らせ

こういう、強くて、痛みをこらえて前を見据えるような歌もすごく好きだ。この、薄暗い緩慢とした絶望や死を近く感じる雰囲気が漂う歌集の中にあるからこそより痛切に感じるような気がする。

ゆとりある絶望に酔い死んだりはしない程度の自虐で笑う

よく寝たらよくなるだろう あしたにはあしたの鬱が待ってるだろう

ここにある絶望や鬱は慢性的で、決定的ではなくて、まさにゆとりあるもので、寝たら治るようなもの。でも、起きたらまた生まれるもの。もうそれを、主体は受け入れられている。それは確かに絶望なのに。

振り返りもういないこと認めるとなぜか安心してしまってた

これも、なんだかすごく共感した。別れ際に振り返った時、相手は振り返ったりしてくれていなかった、ちょっとの失望と、気付かないままに感じてしまう大きな安心。安心だけじゃないはずなのに、安心してしまう気持ちは確かにある。こと恋愛において、こういう瞬間はめちゃくちゃエモい……。

いつかまた生まれ変わってそのときはもう出会いたくないけど好きだ

恋でしかない、すごくすごく恋、これは恋だ。もうたくさんで、でも、好きだ。これ言われたくないですか、こんなの恋でしかないじゃないですか。

悪いのは全部わたしだ どの罪も渡したくない裁かれたくて

この、罪を渡したくないという気持ち、裁かれたいという気持ちが、たまらなくなる。切実さがここにはあって、裁かれたいけど、裁いてもらえるんだろうか、と考えてしまう。裁かれることが、出来たらいい。愛しい。

離さなきゃいけない手なら はじめから繋ぎたくないくらい好きなの

もうめちゃくちゃ好きじゃないか、好き……。こんな……もう……わかるでしょ!?すごい良いですよね!?すごいすき……。

長々と、だんだん理性を失いながら、良~~!と書きましたが、これら以外にも本当に本当に良い素晴らしい素敵な歌がたくさんあります。私はめっちゃ自重しています。買えてよかった、読めてよかった、宝物です……。はぁ……良……。

この歌集の最後は、

行き先がわからないよう外してる眼鏡に映る空は明るい

で締めくくられています。眼鏡を外す、それに映る空は明るい……かなめゆきさんのこの歌集は、やわらかな死と鋭い生、ゆっくりした絶望と、街、せつなさ、現実、そんな色々なものが描かれているけれど、深々と落ちていくような暗さはなく、流れる日常を飲み込みながら進んでいく明るさがあるなと感じました。闇じゃなくて、ひかり。差し込むひかり。

結論、すごくすごくすごく素敵な歌集です。という。ことです。私の好みとか性癖を抜いても、とても。何回も読み返して、だいじにだいじにしたいな。

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