「日本病」より、失われた二十年から歴史転換点へ

 筆者ら(金子勝 児玉龍彦)は二〇〇四年に岩波新書『逆システム学』において、市場や生命が制御の束であることを明らかにし、数値目標による成果主義が、かえって市場や生命の問題を悪化させると延べた。規制緩和の名の下に、制御系を解体することで経済成長をめざそうとすることが、制御系の機能不全から逆に長期停滞を生み出すと予想した。不幸なことにその予想は「失われた二〇年」という形で的中した。
しかし、今日の日本は、「長期停滞」というレベルを超えて「長期衰退」の道に入ろうとしている。かつて長期衰退に陥った経済状況を「オランダ病」とか「イギリス病」と呼んだ。その意味で、バブル経済とその破綻以降の日本経済と日本社会は、リーマンショックをへてアベノミクスから衰退への道に向かって突き進む「日本病」に陥っているといえる。一九九〇年代のバブル崩壊以降、銀行の不良債権処理問題から二〇一一年の福島第一原発事故にいたるまで、経営者も監督官庁の官僚も責任をとらず、当面の景気をもたせるために、ごまかしの政策を次々ととってきた。その間に、日本経済は世界で進む科学技術や産業構造の転換についていけなくなり、国際競争力を落としていった。
失敗の責任者が過去の高度成長の追想にひたりながら、安倍政権の下で、従来からの政策を異常なまでの規模に膨らませて、偽薬(プラセボ)効果を狙って総動員している。偽薬のつもりだった金融緩和拡大と官製相場が、どこまでもやめられない麻薬になり、全身を蝕みつつある。いまや国の債務は天文学的な数値にエスカレートしていく一方であり、国債を保有する日銀がどこまで持ちこたえられるか、出口もないまま、行けるところまで行く政策と化している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?