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この30年、失われているばかりでも無い気がする。

「失われた30年」とか、「おじさん問題」とか、あまりうれしくない言葉やニュースばかり見ますが、この30年、全くダークな世界だったかと言うとそうでもないような気もして、そのあたりを書いてみます。

最近、「リスキリング」がとても話題に

私が50代、ということが大きいかもしれませんが、とにかく最近「リスキリング」という言葉をよく見ます。昨年は、岸田首相の所信表明演説にも出て、流行語大賞にもノミネートされたので、だいぶメジャーなワードなんだと思います。

ともかく、「リスキリング」という言葉やニュースを目にしない日は無いくらい、毎日のように見かけます。

「リスキリング」という場合、今までのスキルは役に立たないので新しいスキルを身につけましょう、ということなのだと思いますが、では、今までのスキルとは何だったのか?

身に着けるべきスキルとは?

そもそも日本の会社員が身に着けるべきスキルとは何か、ということを考えると、以前から「就職じゃなくて就社」と言われるように、大企業を中心として終身雇用制度の中で身に着けてきたスキルは、まさに「その会社でのみ通用するスキル」だったのでしょう。

新卒採用に期待しているのは、その会社の色に染まる(言い方が古い。。。)まっさらなスキルのない人を採用して、自社の文化、業務手順をひたすら学ばせる、そんなところだったと思います。

さらにそうして学んだ文化、スキルが果たしてよかったものなのか?

猫山課長さんが(いつもながら)面白いnoteを書いてました。

この中では、顧客よりノルマを重視する会社について書かれています。

それを読むと「それはひどいな」と思います。が、これは「失われた30年」で新しく発生した現象でもなくて、そもそもそれ以前からあった考え方だと思います。たとえ疑いがあってもそういう思想を飲み込んで仕事をする、というのが「スキルを身に着ける」ということだったのかもしれません。

「失われた30年」の前は、経済自体が拡大していたし経済的な裕福さを至上としていたかもしれないし、この考え方で仕事をしていても、多くの人はそれなりに裕福になれたし、幸せになれたのかもしれません。

「失われた30年」の前はそんなによかった?

そもそも、そんな仕事のやり方をしていて、「失われた30年」の前はそんなに良かったのか?と思います。

私のイメージだと、昔ながらの会社のイメージは「個人よりも圧倒的に会社が強い」、そういうイメージです。

何がどう強いかと言うと、個人の意思とは関係なく異動は行われますし、強制転勤も当たり前です。5年後、10年後、自分が何をしているのか?想像もできません。この状況だと、さすがにスキルを身に着けると言ってもモチベーションがわきません。だって、学んだって使われるかどうかすらわからないし。

会社に人生預けてます、そんな生き方にならざるを得ません。

給料をもらうために、人生や家族との時間やスキル習得を会社に一任せねばならないとすれば、確かに給料は「我慢料」の性格を帯びてきます。言われたことをこなす、そのための納得料だと。

そういう状況に置かれながら、今更「自分でスキルを身につけて生きろ」と言われても、「話が違うじゃん」と思うのは当然と思います。

それでも「今までのやり方は完全に間違っていて申し訳ない。反省しているから一緒にスキルチェンジして行こう」くらいの言葉を、経営者が土下座して言うのであれば、まだやる気もするでしょうが、そんな言葉もなく「スキルが足りないから学べ」みたいなコミュニケーションになると、いろいろ反発も出るのだろうと思います。

この30年で変わったこと

とはいえ、「今までさんざん我慢したんだから損失補填しろ」と言っても無い袖は振れないでしょうから、そこにはこだわらず、自分の人生を組み立てなおしたほうがいいのかもしれません。

よくよく考えると、「失われた30年」と言われたこの時期で、良くなったこともいろいろありそうです。

今までの「会社信仰」ともいうべき、会社に人生預ければ何とかなる、という状況は幻想だったのが分かったので、ある意味それほど会社を重要視しなくてもすみます。会社はそんなに全能でもないし、偉くもないし、同様に、上司は偉いと思っていたけど、実は大して偉くもなく、何なら対等な存在なのかもしれません。

「働き方改革」の影響や、パワハラ等に関する人権意識が少しずつ拡大することで、会社が個人に対して以前のように無理強いできることはどんどん減ってきています。

「会社が偉い」みたいな発想だと、そもそも今は若者はそうした会社を選ばなくなってきており、会社や偉い人も考え方を変えざるを得ません。変わった会社も多々あると思います。(変わらない会社も多いと思いますが)

「失われた30年」と言われますが、会社と個人の関係については随分変わってきたし、これからも変わり続けていくと思います。

過去は思っているほどいい世界じゃない

「失われた30年」というと、それ以前はよかったのでその時代に戻れないか?というニュアンスが含まれるように思いますが、現状日本が「失われている」「負けている」とすれば、それはバブルが弾けても弾けてなくても起こったかもしれません。

今「負けている」とすれば、それはイノベーションが起こせなかったり、自らを変革することができないのが原因なので。

その昔「三丁目の夕日」という映画があって、映画自体は素晴らしいのですが、「昔のような人情あふれる時代がいいのではないか」みたいな話もあったように思います。

が、昭和30年代は今よりも犯罪件数も多かったし、パワハラみたいなのも今よりもずっと激しかったはずなので、過去に戻れば解決するか、というとそうではないかもしれません。

今、生きている人からすると、昭和30年代は実は地獄のような状況かもしれません。

戻りたい気持ちもわからなくは無いですが、それよりも前に進みたいです。

終わりに

ここまで書いてきて何ですが、別に「今がいい」と言っているつもりは全く無いです。

ただ「失われた」と言っているうちは、思考も行動も停止しがちだと思うので、この30年で何がいい方向に変わったのか、それをきちんと認識して、さらにドライブをかけていきたいと思います。

この30年でよくなったこともたくさんあります。昔とは違う、より素晴らしい社会に向かっている途中かもしれません。それをきちんと認識して、前に進んでいきたいです。

おわります。


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