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世界は「コレクティブ」でできている vol.1 - 人口減少社会における自治と連帯のインフラ

製造産業に典型的にみられる収穫逓増によって、生産と権力は集中化へと向かっていくのに対して、ESSの組織体は反対に、伝統的なミクロ経済理論が「外部性の内部化」(経済活動の市場外的影響を市場内部で解決すること)と呼ぶものを可能にする。事実、ESSは経済的戦略のエコロジー的・社会的な持続可能性に配慮する。非営利団体や協同組合は地域に根ざしているので、環境制約や社会的紐帯の保全を考慮するインセンティブを有する。加えてESSは、営利目的の企業のそれとは異なった形で、雇用と所得の独自な按配を行う。

ロベール・ボワイエ『自治と連帯のエコノミー』より

外部性の内部化:経済活動の市場外的影響を市場内部で解決すること。
ESS:社会的連帯経済。協同組合や共済組織などが中心となって多様な経済主体と連携しつつ新しい持続可能な経済社会の構築を目指す 国際的な連帯運動。もうひとつの経済。

都市への一極集中。グローバル規模での大きな資本による寡占。それが環境面でも社会的側面でもさまざまな課題の根本要因になっているのは間違いない。そうした収穫逓増による生産と権力の集中への抵抗し、自律分散型の社会へのシフトの方法としてヨーロッパや南米を中心に見られるのが、社会的連帯経済=ESSだ。

昨年の国連会議では、「協同組合や社会的企業を含む社会的起業」が貧困緩和を手伝い社会変革のきっかけとなり、さらに「雇用やディーセントワーク、医療や介護、教育や研修など社会的サービスの提供、環境保護、…ジェンダーの平等と女性のエンパワーメント、手の届く金融へのアクセスや地域経済の発展」など各種の社会面・環境面でのメリットももたらすものであることも認める決議が出されていたりもする。

社会的関係性を構築するための自由な参加と組織化された運動の両立

このように誰もが日々関わる身近な経済という側面から、政治的な活動として「持続可能性」に向きあうこと。
たとえば、外から提供される安く売られるものよりも、自分たちの周りでつくられるすこし根が張るが地域の富を増やすことにつながる産品を選ぶ方向にどう行動変容を促すか?など。
間接民主制のなか、政治は自分とは無縁と考えることに慣れてしまい、日々の経済への参加が持続可能性を困難にする政治的活動に他ならないことに気づかずにいる状態はどうしたら脱却できるんだろう。

それはネグリ=ハートが『アセンブリ』で展開してるのは民主主義というのを所謂狭義の政治的な側面からでなく、多くの人々が需要と供給のいずれの側面でも日々実際に活動してる経済の側面から捉え直すという民主主義的政治参加のあり方ではないか。
ネグリとハートは、『アセンブリ』のなかで「いまこそ、互いを見つけだし、集合=集会(アセンブル)すべきときだ」というメッセージとともに、現代の社会において、もうひとつの社会的関係性を構築するための自由な参加と組織化された運動の両立が必要であるとしている。地球規模の民主主義の主要なアクターとしての市民たちの自律的な活動参加と旧来的な組織を超えた彼らの新たな組織化というコレクティブという概念にも通じる2つを、新たな社会的関係性構築の鍵として据えている点で、いま何故、社会的インパクトの創出をコレクティブという既存の組織の枠組みを超えたかたちで実現する必要があるのかを理解するうえでも参考になる。

興味深いのは、ネグリら「社会的生産」と題された第2部で、マキァヴェッリ『君主論』から「君主の姿をよく知るためには民衆であることが必要」をエピグラムで引きながら議論を展開する際に、現代の支配の問題を考える上では政治的権力から出発するのではなく、下部構造に見える「新自由主義と金融的指令」といった民衆も関わる経済の側面から考える必要性を説いている点です。支配の問題を政治の問題としてではなく、経済の問題から考えてみようということ。ネグリらが自由な参加と組織化された運動の場を、政治的な場所ではなく、経済的・社会的な場所に置いていることに注目してみたい。

経済を民主化することで、政治も民主化する

彼らは、民衆が政治的に団結すれば中央集権的なシステムがもたらしている格差や不平等などの問題を解決できる、と単純には考えていない。むしろ、その解決には政治的権力への直接的抵抗ではなく、人びとにとってより日常的な経済活動・社会的活動のなかでの行動変容が、いま社会に求められる持続可能性やウェルビーイングといったインパクトを生み出すために必要なものであるとしている。

ネグリとハートがそのように考えるのは、現代のマルチチュードが大きく関与している社会における生産が、1.協働ネットワークにおける社会的生産になっていることと、2.その生産物が物質的・非物質的商品にとどまらず社会そのものを生産・再生産するようになっているからだ。家畜に押された所有者の焼印(ブランド)はいまや必ずしもその資本の所有の正当性を保証しなくなっている。
水や大地などの自然資本が本来、誰のものでもない共有財=コモンであるように、多くのデジタルサービスが用いる情報資本はもともと一般の人たちが日々検索したり写真や動画を投稿したり、購入したりライドシェアしたり各種バイタルデータを測定したりといった行動によって生産されているのであり、ある特定の焼印のもとに提供されていたとしても、以前ほど明確には価値生産者が誰かがわからなくなっている。

その意味では、さまざまな生産自体が本来すでに社会的であり、コレクティブなものだ。しかし財へのアクセスが制限され、共有財として扱うべきもののを私有財として扱われてしまうとコレクティブのもつ可能性も大きく制限されてしまう。結局、それがグローバルレベルでの収穫逓増を推し進め、地域それぞれの「外部性の内部化」を困難にさせ、地方からお金も人も漏れバケツのように流出してしまう事態をとめられなくなる原因となっている。

システム思考のループ図で書くと、きっとこんな感じ。分断が生じていて、地域経済の縮小が止まらず、かといって地域内の共助がうまれにくい環境になってしまっている。

こうした経済的・社会的生産そのものに民衆=マルチチュードが協働的かつ不可欠なかたちで関わっていることをネグリらはあらためて明るみに出し、その活動が社会で必要とされる財の生産のみならず、社会そのものをつくりだしているからこそ、民衆の日々の活動こそが持続可能性やウェルビーイングのための闘争する上での武器になるはずだと指摘する。
「〈共(コモン)〉をすべての人々の手に委ね、すべての人々が〈共〉を管理運営するという道筋」で市民協働による社会的生産を見直すことが「オルタナティブな社会的関係を構築するための基礎」であると。

世界は「コレクティブ」でできている vol.1  人口減少社会における自治と連帯のインフラ


そんなこと考えつつ、こんなイベントを開催します。

わたしたちはここから、いかにしてコレクティブに世界を生成していくのか?
集合的なさま、共同的な状態を表す「コレクティブ」。これをキーワードに携え、さまざまな分断や衝突が問題視される現在の社会で、国や自治体、企業や大学、NPOなどの各セクターの固有な領域に囚われず、自律的なメンバーたちが協働でより良い世界を創り出せるようになるかを考え、その実践のための道を探っていくイベントシリーズ、「世界は『コレクティブ』でできている」。
その第1弾として、「人口減少社会における自治と連帯のインフラ」をテーマに、地方分散型へのシフトを目指す上での自治と連帯、共助と協働を可能にする新しい社会インフラの可能性を探ります。

興味のある方、ぜひご参加いただけると幸いです。

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