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書くは武器になる - 要約『20歳の自分に受けさせたい文章講義』

割引あり

どうも、TANAYANです。

いきなり質問ですが、「皆さんはなぜ書きますか?」

このnoteを書いている人なら、この答えを自分の中で持っている人もいれば、なんとなく好きだからみたい方もいると思います。
中には、「書くの面倒…」「いや話すほうが楽やねん!」という声も聞こえてきそうですが。

そんな折、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』という本を読んだのですが、この本が「なぜ書くか」に対する答えを伝えてくれるような本でしたので、この場を借りて紹介します。

なお、本記事は、

  • 前半:私なりに解釈してまとめた要約

  • 後半:私なりの所感・考察

でお届けします。
本番は後半なので、目次から飛んでいただいても構いません。ではどうぞ。


書籍『20歳の自分に受けさせたい文章講義』についての概要

Amazon.co.jp: 20歳の自分に受けさせたい文章講義 (星海社 e-SHINSHO) eBook : 古賀史健: Kindleストア

著者は?

嫌われる勇気』という本をご存じでしょうか。すごく有名な本ですし、本好きなら誰しもが目にしたことがあるのではないでしょうか。この『嫌われる勇気』の共著者である「古賀 史健(こが ふみたけ)」さんの本です。

どんな本?

序論+4部構成で、「文体・文章のリズム」「構成」「視点・納得感」「推敲(編集)」の流れで語られています。

単なる文章の「技術本」「How to本」ではなく、文章を書く上での考え方や捉え方、さらには、ビジネス的な考え方にも繋がる内容も多く、文章を書く仕事をしていない人にもおすすめの1冊です!

この本のポイント

この本のポイントとして、下記5つに凝縮できると思います。

  1. 文章のあるべき姿:
    「書く」とは、頭の中のぐるぐるを、誰かに向けて「翻訳」すること。

  2. 文章の読みやすさ:
    「リズム」と「論理」で決まる。

  3. 文章のおもしろさ:
    視点(主観・客観)と主張・事実・理由の比率で決まる。

  4. 文章としての力の発揮:
    読者の「椅子」に座る。

  5. 文章との断捨離 :
    「何を書くか?」ではなく「何を書かないか?」。

以下、要約になります。
細かい理由や具体例などは省いてますので、気になる方はぜひ本書を手に取って読んでみてください!

要約

『"書く"とは自分の気持ちを"翻訳"することである』

そもそも文章が書けない原因は「2パターン」しかない!?

  1. 文章を書こうとすると固まってしまう場合
    → 頭の中のぐるぐるをそもそも「整理できていない」状態。

  2. 書けるものの伝わってない場合
    → ぐるぐるを「誤訳」してしまっている状態。

■ 文章を書くということは、「ぐるぐる」を伝わる言葉に「翻訳」すること

文章は、「書く」のではなく「翻訳」しようとすると上手く書ける。上記のような「書けない」を解消するためには、「頭の中の言葉を整理された文章に翻訳すること」が必要で、うまく書けずにいる人はこの翻訳の意識が足りない

■ では、ここで言う翻訳とは?

誰かに「伝わる言葉」へと翻訳すること。例えば、

  • 難しい内容を小学生でもわかるように。

  • 海外の本をただ日本語い翻訳するのではなく、日本人がとっつきやすい文に直す。

  • 自分だけが作れる料理を、誰でも作れるようにレシピ化する。

■ 翻訳するとわかる3つの「再」。

翻訳をすることで、下記3つの「再」を獲得できる。

  1. 再構築
    言葉にするプロセスで話の内容を再構築する。話し手の理解を深めることができる。

  2. 再発見
    語り手の真意(こういうことだったのか!)を再発見する。聞いた話が突然理解できるようになる。

  3. 再認識
    自分がどこに反応し、何を面白いと思ったのか再認識する。自分が対象のどこにピントを合わせているのかを知れる。

■ 翻訳の第一歩として

下記をすることで、主観で捉えていたものを客観的な視点・一歩下がった視点から見直すことができる。これが翻訳の第一歩

  • 映画を見たときに、「あー、面白かった!」で終わらせない。

  • サイトを見たときに、「かっこいいサイト!」「美しいサイト」で終わらせない。

  • 自分の意見を一切入れずに、特殊な言葉・キレイな言葉で書こうとしない。


『文章の読みやすさは「リズム」で決まる』

読みやすい文章を書く上で重要になるのが、文章に持たせる「リズム」。
端的に言うと、「リズムの良い文章」は「読みやすい文章」なのだ。

■ リズムは第一に「論理」

「リズムって、ひとそれぞれの感覚じゃない? 」と思うかもしれないが、どこまでも論理的(論理的とは「きちんと筋道を立てて考えるさま」)。論理が破綻している文章は、文と文の「繋げ方」や「展開の仕方」がおかしく、主張も支離滅裂。「論理が破綻している文章」はそもそも読みにくい(リズムに乗って読めない)。文章に正解は無いが、論理破綻して「伝わらない文章」はあきらかに不正解。

■ 論理の鍵は「接続詞」にある

論理破綻に気づくためには、文と文の間に「接続詞が入るか」をチェックしてみると良い。 「そして」?「しかし」?「つまり」?「だから」?などなど。ようは文と文の「つなげ方」。

また、「が」の多様も注意! 「○○ですが、△△」の「が」は「でも」とい反対語や負のイメージで使うことがほとんどであって、〇〇の説明ではない。説明したいなら「○○は、△△」。

■ 論理を確かめるには「仮断定」してみる

「~と思います」「~のはずです」などとフワフワした表現は"無難"で悪くはないが、それは、断定しきれない部分があるからでは?
こういったあいまいな表現を「断定」=「~だ。」「~である。」に仮でもいいので置き換えて、断定できない部分がないかを確認する。断定しにくいのであれば論理がおかしい可能性がある = 読者にとってリズムが悪いことになる。

■ 視覚的なリズム

なんか読みづらそう」と判断された時点で、読まずに流されてしまう。これを避けるために必要なのが「視覚的なリズム」。このリズムが必要な理由は、読者は文章を「眼」で読んでいるから。

  1. チェック1:句読点の打ち方・打ち場所
    = 文字間の圧迫感を解消。 1行(38字程度)に1回は句読点をいれるくらいがちょうどいい。
    下記のように、句読点の位置で文の意味が変わる事にも注意!
    例)彼が、疲れた表情で電車を待つ彼女に声をかけた。
    例)彼が疲れた表情で、電車を待つ彼女に声をかけた。

  2. チェック2:改行のタイミング
    = 行間の圧迫感を解消 最大でも5行。ただし、行数が多くなるほど論理破綻する可能性が高まるので注意!

  3. チェック3:漢字とひらがなのバランス
    = 字面そのものが持つ圧迫感がないかどうか。
    「漢字を使う」というよりは、「ひらがなの中に漢字を混ぜる」という意識で漢字を使うと良い。

■ 聴覚的なリズム

実際に音(耳)で聞いたときのリズムも重要。
音楽で例えると、譜面上は問題ないものの実際に楽器を鳴らして演奏したら気づく違和感のようなもの。これに気づくためには、

  1. 音読してみる。息が続かないのであれば句読点が足りないかも。

  2. 「とても」「すごく」「かなり」などの「同じような言葉が何度も出ていないか」を注意してみる。


『文のおもしろさは構成で決まる - 「眼」編』

文章の特異性・独自性・面白さやオリジナリティを作り出しているのは文章の「構成」である。

■ 文の構成は「自分の眼(視点)」で考える

構成とは「眼」。つまり「視点の変化」として考えるとよい。
この構成の基本は「導入(序論)→ 本編(本論)→ 結末(結論)」の3層構造で考える。映画やドラマなどのひとつひとつのカットを想像すると分かりやすい。
※「導入(序論)」は3の型に分けることができる。

  1. 導入(序論):客観のカメラ(遠景)。

    1. インパクト優先型:冒頭に「おっ!」と興味を惹くような結論を持ってくる型。

    2. 寸止め型:ホラー映画でよく使われる「見せない」という手法。周辺情報を盛り込みつつ、核心部分は観客に想像させる。

    3. Q&A型:寸止め型とは逆の型。「導入」だけで問いと答えが揃っている。

  2. 本編(本論):主観のカメラ(近景)。いわゆる自分目線。

  3. 結末(結論):客観のカメラ(遠景)。最後のまとめ。

序論・本論・結論は2・6・2 くらいの割合がベスト

「導入」がつまらない読者は文章を読んでくれないし、長すぎても本論に行かずに離脱されてしまう。また「本論」が短いと主張部分が少ないので、説得力に欠ける。
ようは、どれかが強すぎても弱すぎてもダメ。これらの長さも意識することで、読んだ時のリズムもよくなり、文章全体にまとまりも出る。


『文のおもしろさは構成で決まる - 「主張」編』

■ 文章の第一目的は翻訳して「伝えること」。
そして、第二目的は「なぜ伝えるか」を問うこと。

文章を書くということは、他者を動かそうとする「力の行使」でもある。
「どうして文章を書くのか」「なぜ、多大な労力を使って、考えて、時間を使って書くのか」「なぜ伝えたいのか」。答えはひとつ、「読者を動かすため」

■ 読者に伝えたい!動かしたい!→「主張」が必要で重要

「作品」「芸術」「日記」としての文章なら話は別だが、主張の無い文章は、読者を動かさんとする意思の無い文章とも言える。筆者なりのカメラ(筆者の視点)が無く、読者からしたら他人事でしかなく、動けないのである。主張をせずに材料だけを提供してあとは読者の判断にゆだねるのは間違い。これでは読者は動かない。

■ 文章の中に“主張”と“理由”と“事実”が含まれ、これらが連動するように

文書を書く上で、下記3つが割合よく含まれ、連動しているかを意識すると良い。

  • 主張:その文章を通じて訴えたいこと

  • 理由:主張を支える

  • 事実:理由を補強する客観的事実

ただし、主張が強すぎると読者は反発するし、「なるほど」と思えなくなる。主張は全体の3割程度にとどめておくとバランスのいい文章になる。

■ 理由は慎重に

例えば、下記文章。

今回のアプリ開発の基本方針は○○としたいと思います。なぜならお客様の意向だからです。

一見、「お客様の意向だから」は “理由” を述べているように思えるが、これは単に「お客様に〇〇という意向がある」との “事実” であり、その意向に至った “理由” は表現されていない。
このように、日ごろから “主張” と “理由” と “事実” を正しく切り分ける意識をすることで、文章が上手になるだけでなく、仕事そのものの進め方まで変えることができる。


『文章に力を与えるために、読者の椅子に座る』

あらゆる文章には必ず読者が存在する

文章を書く上で必要なのは、読者の前や隣に立つのではなく、「読者と同じ椅子に座る」こと。この「椅子」に座っている読者は、実は2人しかいない。

  1. 10年前の自分の椅子。
    その椅子に座っていた頃の自分。何もわからなかった頃の自分。
    読者は「素人(数年前の何も知らない自分)」。

  2. 特定の“あの人”の椅子。
    多数派に向けて書くよりも少数派に向けて、かつ専門的で深い内容を書いたほうが、結果的に多くの人に伝わるし納得感が得られる。(専門用語を多用しろという意味では無い。)

これをイメージするだけで、言葉のベクトルがはっきりする。この「読者」をしっかりとイメージしておかないと、伝えたくても伝わらない・動かしたくても動かせない。

■ 「分かるやつに分かればいい」ではダメ

例えば、

  • 「ちょっと伝わりにくいかな」と思いながらも最後は “えいっ” と送信してしまったメールやチャット。
    → 心の中では「時間がないから」「面倒くさいから」「伝わってくれ!頼む!」があるのでは?

  • 「初心者向けにブログ書きました」
    → 初心者ってどの範囲かちゃんと考えてる?

伝わるための文章を書くにも、下記を自問自答する。

  • 「お願い伝わって!」ではなく「伝わるようにするにはどうすればよいか」?

  • 椅子に座ってる読者に甘え、本来やるべき説明を怠っていないか?

  • そもそも「伝えたい、伝わってほしい」という思いが、自分の中にちゃんとあるか?

■ 文章の”肝”は「説得せずに納得させる」こと

「文章は論理展開が大事」だと上で説明したものの、人間は「正しい」だけでは動かず、肝心の「心」が動かない。正しいだけの文章は、正しさゆえに伝わらない文章となりうる。人は納得して初めて行動に移すので、この仕掛けが必要。

■ 「説得」と「納得」の違い

  • 説得:読者を押し切る

  • 納得:引きのアプローチ(読者に歩み寄ってもらう)

■ では「納得させる」には?

説得に応じない理由は、その文章が「他人事」だから。他人事にしないためにも下記を意識すると自分事化できる。

  • 「仮説」を与える(刑事ドラマのように、犯人は最後に暴く)。
    → 読者に自分事と捉えてもらい、共に議論するように書く。文章が自己完結していると、議論の場に参加できない。「あなたはこの仮説をどう思いますか?」と読者に問いかけ、読者と一緒になってその仮説が正しいかどうかの検証をする。

  • 「寄り道」をする(主張に至るまでのストーリーを見せる)。
    → 自分がこの主張にたどり着いたとき、それはすでに「自分の椅子」の視点。相手の椅子の視点ではなくなっている。 自分が発見した主張を正確な形で知っているのは自分だけであり、すべての読者は「それを知らない素人」である。 たどり着くまでい迷ったこと、回り道したり、行き止まったり。これらを経てようやく「納得」できたのではないだろうか。この仮説と検証などの「無駄な道」も見せてあげる。

  • 小さなウソを書かない。
    → 読者は大きなウソは逆に気にしないが、小さなウソをとても気にする。 小さなウソとは「細部」のこと。この細部に手を抜くと、読者はその文章への信頼を失う。信頼される文章を書くには、自分の頭で分かったことだけを書くこと。わかったような振りをして書いた文章は、誰のためにもならない。もし「小さなウソ」が出てしまうのは、そのことに対して理解が浅いから。「わかる範囲」を広げると、多くの人に伝わる文章が書けるようになる。

読者は文章を読みながら、「ふむふむ。なるほど。」とメモを取るような意識で読み進めるし、「そうそう!わかるー!」と背中を後押ししてくれるような自分肯定が欲しくて読む。伝えたい相手としっかりコミュニケーションするような意識が大切。


『最後に、原稿に「ハサミ」をいれる』

ここでは、文章を一通り書き出した後の「推敲作業」で有効。

「何を書くか」ではなく「何を書かないか」。

あれを書こう・これを書こうと文章を「足し算」で考えてしまうが、文章に大切なことは「何を書かないか?」という「引き算」の考え方。
何を書かないかを考え、これだけは欠かせないと思う事だけを書いていくと伝わりやすくなる。

推敲とは「過去の自分との対話」。

「せっかく書いたのにもったいない」は自分本位の考え方。あくまでも読者視点に立つこと。その文章を書いた過去の自分としっかり向き合う。

■ もったいないを捨てる。
読者は、筆者の「がんばり量」や「悩んだ量」といった「費用や労力へ投じた時間・量」を評価していない。読者が評価するのは、文章の「面白さ・読みやすさ・書かれている内容」。
努力した事実は入れてもいいが、努力の時間を表したいからここは長々書こうというような「なんかもったいないから残した文」があると、読みにくくなり、結果文章のリズムも悪くなる。


私なりの本を読んでの所感

ここからが本番です。

この本は、技術書でもありながらビジネス書でもあった。

正直なところ私は、本のタイトルに「文章講義」とあったので、よくある「文章の技術書」だと思って読み始めたのですが、読み進めれば進めるほど「ビジネス書ではないか」という感想に。言ってしまえば『20歳に受けさせたいビジネス講義』。もっと言えば、『考えるための方法書』のような。

「書く技術」を磨くことは、「考える技術」を身につけること。

というのも、本書を読んでいるとどうも、「書く技術」を磨くことはつまり「考える技術」を身につけることと同意だなと感じました。
書く際には、技術的な面でこうしたほうが良い・ああしたほうが良いなどがもちろんありますし、本書でもそういった技術的なことが言及がされています。それでも、「ただ文を書く」だけでも「頭の整理をする」「物事への解像度を上げる」「ロジカルに考える」「不特定多数に伝える」など、あらゆる恩恵を受けることが可能だなと。

この文章を書いた私自身が真っ先に、曇りから快晴に。

この記事では私なりに「数年前のこの本を読む前の私のため」を意識しての要約をしたつもりで書き始めましたが、結果的に「"今"の私のためになった」が正しいかもしれません。

この「書く」というプロセスを通過することで、本書の内容がより整理され、頭の中のぐるぐるが解消された感じがしましたし、読んでいる時にはいまいち理解してなかったり間違えて認識していたことにも気づかされました。
例えるなら、読む前は雨天であった状態 → 本を読み進めているうちに徐々に曇が晴れてきたもののやはり残る雲 → この記事を書くことでひとつひとつ雲が無くなっていき → この記事を書き切った時には「快晴」になったような感じです。そう、読むだけではやはりどこかに雲が残っているのだと。

「なぜ書くか」。
文章を書くことは、そのまま自分にとっての武器になる。

「文章が書けるは武器になる」という言葉をどこかで聞いたことがありますが、本書を読んでこの言葉の意味が分かった気がします。
書いてある何かを「読む」だけではなく、このように「書く」ことによって、そのモノへの理解度が圧倒的になる。「百聞は一見に如かず」ならぬ「百読は一書に如かず」のような。

何かを調べてそれらを書き起こしていく。
そんなラフな「書く」で良い。

調べていくうちに「なぜ」が繰り返され、文として起こしていくうちに、頭や考えが整理されていく。だからこそ、「説明を受けた人」「読んだだけの人」よりも、「書いた人」にしか分からない”何か”がある。

それが、自分だけじゃなくて誰かに伝わる状態の文(本書的に言う「翻訳」がされている状態)にできていれば、「文章」へと昇格する(おめでとう)。

そこに初めて、「技術」などが乗っかると「おもしろい文」「泣ける文」とかになり、さらに多くの人に伝えれる文になる。
そう、技術はあくまで小手先のテクニックであって、まずは書く。この行為がなによりも大事なんだと。

逆に言えば「伝わらない相手には伝わらなくても良い」という捨てる気持ちも大事。

これは少し投げやりに聞こえてしまうかもしれませんが、「書けない…」と嘆いている時間があるのであれば書きましょう。

※てか、この文章を読んでいる時間を、書く時間に変えましょう!

ここで言う誰かは「数年前の自分」だけでもいい。不特定多数の大人数を想像しなくていい。今の自分が数年前の自分に対して書き、数年前の自分が「伝わったありがとう!」と返答してくれるのであれば、それでいいのだと思います。(もちろんタイムマシンは無いので、真相は分からないままですが…)

もし誰かに伝えたいのであれば、まずは翻訳から。

とは言いつつも、こうして書いている以上誰かに読んでもらいたいという気持ちはあるはずです。

そんな気持ちに対して筆者は、「書くことをやめて翻訳するのである。頭の中の“グルグル”を伝わる言葉に翻訳したものが文章なのである。」と答えています。

  • 書こうとしないで、翻訳する。

  • 頭の中の「ぐるぐる」を伝わる文章に翻訳したものが文章。

  • うまくかけずにいる人は、翻訳の意識がたりない。

まず、この意識。

そして翻訳の相手は「10年前の自分」もしくは「特定のだれか」。

ビジネスマンにとってはもちろん、クリエイターやライターという不特定多数の人に対して何かを伝える場合において、本書で言う受け取る側への「翻訳」意識は、必要不可欠のなのではないでしょうか?

読者には「読まない」という最強の選択肢がある

本書で一番心に響いたフレーズです。

文章を書く時、書き手側の一方的な主張やエゴで書きたい場面もあったり、書かなければならないという半ば強制のような無理やり書く場面もあるかもしれませんが、あくまでも読者に対して「読んでもらっている」という立場を忘れてはいけない。これは身に沁みて納得しましたね。

文章は読まれなければ意味がない。
終始「読者から見てどうか」を考える。

本書が技術的に一番伝えたい事はこれだと思います。
そう。読まれなければ、それは文章では無い。

いわゆる「アート」のような人に考えることを託す・任せるようなモノであったり、自分の事をだたただ残すだけの「日記」として書いているのであれば話は別ですが、ブログだったりの誰かに向けて書いているということは誰かに伝えたいことがあるはずです。
文章に限らず、何かを伝えたいとして作った映画や映像作品、キャッチコピー、広告などにおいても、忘れてはいけないことだと思います。

感情を伝えるために論理を使う。
主観を語るために客観を保つ。

では、読まれるためにはどうすればいいか。
本書でもいろいろなテクニックが紹介されていますが、ざっくりまとめると下記のようなことだと感じます。

感情だけでは他人は動かない。
筆者側の見えてるモノだけでは、他人は理解し難い。
「論理」と「客観」があることで、「伝わる」のレベルが格段に上がる。

「読まれる」ということは、「伝わっている」ということ。
「伝わる」ということは、「自分事」として置き換わっているということ。
「自分事」になった文には、「動ける」だけの材料(論理と客観)がある。

であるならば、「文章は最初から最後まで繋がっている」ことを頭に置いておく必要があるなとも感じます。
唐突で脈絡のない文や箇条書きで事足りる文は、いわばドキュメントのようなものであって、AIなどによる要約で事足りてしまう。伝えるための文章としてはイマイチなのだと。

下手な文章術本よりも、映画に学ぶほうが良い。

もちろん、「書くだけじゃ飽きる!」という人も中にはいると思います。
そんな中、本書でオススメされていた、「映画」「ドラマ」「アニメ」を下記のような意識で見ることで、自然と文章力=考える力にも繋がるとのことです。

  • なぜこのカットを入れたのか。

  • なぜこのカットに、この一文・一言が入るのか。

  • 逆になぜこのカットに、一文・一言が入りそうなのに入らないのか。

映画の1分1秒すべてのカットにはやはり意味があります。意味が無ければ入れないはずですもんね。

もちろん、映画やドラマ以外でも構わないと、私個人的には思います。
例えば、とあるプロカメラマンの撮った写真が好きでいつか私も撮りたいなと思っているのであれば、「なぜこの構図なのか、なぜこの色味なのか、なぜこの画角なのか。さらには、なぜこの構図だと○○のように感じるのだろうか、○○のように感じるのは△△だからなのだろうか、△△ということは××なんだろうか」などとトコトン。
あなたの好きな何かモノでも、スポーツでも構いません。

この「なぜ」を深く深く深く繰り返すことで、「伝えるための手法」が見えてくるはずです。伝えるための手法を自分なりに落とし込んでいくことで、そのモノへの解像度があがり、自分が「伝えれる側」になれるのだと思います。

やはり、テクニックを学んでいる(読んでいる・見ている)だけでは身につかないのです。「なぜ」を繰り返し、それを文なり行動なりでアウトプットする。もしくは、文なり行動なりにアウトプットするためになぜを繰り返す。
「書く」のアウトプットであれば、X(旧Twitter)へ投稿するものとして140文字でも良いのでまずは書き、書きながら翻訳し、誰かに向けて発信する。

映画を「見た」り、この記事や本を「読んだ」り、スポーツ選手の動画を「見た」だけでは、いわば娯楽に過ぎないのです。※娯楽として受け取りたい場合は別ですが。

これからの行動・意識として

私なりにですが、今後の行動や意識としての7か条を考えてみました。

  1. 頭の中にあることを、自分の言葉にする。

  2. 「なんかよくわかんない」部分に、言葉を与えてみる。

  3. 考えるために、まず書き始めてみる。

  4. 作品や映画を見たら、内容、魅力、ポイント、欠点など、あらゆることを自分の頭で整理・再構築してみる。

  5. キレイな文章・美辞麗句的な文章よりも、「正しい文章」を目指す(文章は伝わらなければ意味がない)。

  6. 様々な現場で聴いた言葉やインタビューなどの「話し言葉」を「書き言葉」に変換してみる。

  7. これらをアウトプットし、磨きをかける。

一朝一夕でうまくなるようなものではないかもしれない。
まずは本にもあるように 「人は解を得るために書くのだし、解が分からないから書くのだ」 の姿勢で書きだし続けていこうと思います。

※とか思ってたら、10000文字近くなってしまいました。。。結局、この本で言っていた技術的な部分ができているかが非常に怪しいですね。
まぁ、いいでしょう。この記事を書いた私自身の力になったのですから。

さらなる力をつけたい私は、次の記事を書き始めます。
ではまた!

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