見出し画像

『ハニーボーイ』('19・米)【壮絶な過去をあえて追体験することで、父親から受けた”痛み”を克服する】

シャイア・ラブーフの波乱に満ちた幼少時代をもとにした、彼の半自伝的映画。

若手人気俳優のオーティスは交通事故を起こし、療養所でしばらく治療に専念することになる。そこでカウンセラーからPTSDの兆候があることを指摘され、原因を解き明かすうちに心の奥にしまっていた幼少時代の父との日々を回想することになる…。

幼い頃に両親が離婚し、その後父親ジェームズ(演じるのはシャイア)と2人きりの生活を送ることになったオーティス(ノア・ジュープ)。ジェームズはかつて性犯罪に関与した疑いで逮捕され、現在アルコール依存症のリハビリ中、と問題を抱えており息子への接し方も父親らしからぬもの。仕事も安定せず、人気子役として活躍するオーティスに家計を助けられているため、そのあたりの劣等感もあってなかなか素直になれず、息子に「愛してる」の一言さえかけられない。
”家族に愛されない苦しみ”は、ごく平凡な家庭で育ってきた人間にとっては到底想像しえない世界だが、主人公のオーティスは幼い頃からずっとこの闇と向き合って生きてきた。あえて演技に打ち込むことで、何とかその寂しさを紛らわせ、子供なのに子供らしさを捨てることで現実を耐え抜こうとする彼の姿は実に痛々しい。劇中で「親父が唯一くれた価値あるものは“痛み”だ」というセリフが飛び出すが、シャイアの分身であるこの役は、ハリウッドの第一線で幼い頃から活躍してきた彼が直面してきた”痛み”をあえて振り返る内容になっている。

筆者がシャイアを知ったのは、今から14年前。『トランスフォーマー』('07・米)でのどこかひょうきんだが勇敢な主人公サム役が印象的で、それ以降も大物俳優と互角に渡り合う、年齢を感じさせない圧倒的な演技力にいつも魅せられてきた。しかし、事あるごとにスキャンダルが取り沙汰されるようになり、俳優としての才能豊かな彼の印象よりも、「お騒がせ俳優」としての印象が世間では一般的になってきてしまっているのがとても切なかった。

その前提で本作を鑑賞すると、(どこまでが事実かはさておき)シャイアが幼い頃から置かれてきた環境がいかに過酷なものだったかを痛感し、スクリーン外での問題行動の裏側に何か根深いトラウマがあるのだろうと、誰しもつい思いを馳せてしまうに違いない。シャイアが人気を博したディズニー・チャンネルのTVシリーズ「おとぼけスティーブンス一家」(2000年~2003年)などで見せるあの大人をも食ってしまう存在感は、良い意味で子供らしくない見事な演技だった。あのませた雰囲気が彼の最大の魅力のひとつであったわけだが、もしかするとそれは彼自身が望んで醸し出していたわけではなく、前述の父親との確執を耐え抜くために身に着けた”武器”だったとしたならば、実に悲しいことである。

そんな彼にとってトラウマでしかない体験を、大人になった今なぜわざわざ映像化することになったのか。映像化を通して追体験することが、シャイアにとっての最大の治療になり得たからだという。アルマ・ハレル監督は、「彼にとって、父のトラウマから抜け出すには、父を理解し、共感することだけだった。役者として上手く演じるためには、その役を深く理解する必要があります」とTHE RIVERのインタビューで語っている。シャイア自身が父親役を演じることにこそ、大きな意味があったのだ。

脚本を書きながら、父親のことを根本的に理解するために、なんと彼は7年間一度も口をきいていなかった父親との対話に踏み切った。黒歴史の当事者である父親と一緒に内容を読み合わせ、映画を構築していったという製作プロセスには驚くが、当時ちょうどシャイアがセラピーを受けていた最中というのもあり、この行程こそが彼にとっての最大の”治療”になっていたのかもしれない。父親も本作の出来栄えには満足していたとハレル監督は話しているが、父親はいったいどのような心情で本作を鑑賞していたのかは大いに気になるところではある。

そんな複雑な製作背景を理解したうえで、主人公オーティスを演じ切らなければいけなかったノア・ジュープ(撮影当時14歳)。わざわざイギリスからLAまでやってきたオーディションでこの役を勝ち取ったというが、シャイアと長く時間を共にすることで信頼関係を構築し、徐々に役作りをしていったとインタビューで語っている。家庭環境はシャイアとは違えど、同じく幼い頃から子役として活動してきたからこそ、共感できる部分もあったのかもしれない。劇中でのどこか愁いを帯びた眼差しが、幼い頃のシャイアを彷彿とさせるほど、見事なオーティス像を創り上げている。

さらに、オーティスとジェームズの行き場のない感情を投影するかのように、光と影のコントラストを多用した映像も特筆すべきポイント。特に2人が暮らす敷地内のプールも作品の中で重要なロケーションになっており、あの狭苦しく閉鎖的な空間は、まさに逃げ道のないオーティスの感情を揶揄しているといっても過言ではない。

シャイアにとって一世一代のプロジェクトとなった本作。その後公開された『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』での高評価も記憶に新しいが、事務所からの契約解除や元恋人から起訴されるなど、今もなおトラブルが多く続いている。彼が心穏やかに映画に携われる日が一刻も早く来ることを1ファンとして祈るばかりである。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?