ジェラテリアは孤独な充電スポット
ジェラテリアは立ち食い蕎麦屋に似ている。
違うところは、あらゆる食物がジェラートに変貌しているところ。
ミルク、フルーツ、いもくりなんきん、とうもろこし、塩や胡麻など調味料。
それらは一度解体されて、まぜられ、ねられ。
原料が生かされた味を保ったまま、それぞれ銀色の入れ物にお行儀よくおさまっている。
そのような光景はデパ地下の片隅によく見つける。
夏は水分補給に、冬は乾燥した喉を潤しに、
疲れた買い物客たちが短い列をなす。
その列はすぐにさばかれて、色とりどりのジェラートもおのおのカップやコーンにおさまって、人々と一緒に散り散りになる。
簡易的なスペースで人々はほんの短い時間、食べるだけにとどまって、エネルギーをチャージし、去っていく。
そのスペースは、座り心地の良い椅子があるわけでもないし、眺めの良い場所でもないけれど、そこにいる人々からは満足感が伝わってくる。
日本橋高島屋の1階にあるジェラテリアには、背が高くて面積の小さい丸いテーブルが2つあるが、ほとんどの人がそこからあふれる。
だから、ジェラートを持った人が同じフロアに点々と存在しながら、ひっそりと食べている。
両手ともに食べるためだけに働かせてスマホを見ている余裕はない。
わたしはふだん、自分のことを好きだとも嫌いだとも思っていないけれど、店外の壁に沿ってジェラートを食べているときは、自分のことを好ましいと思う。
無防備で、まぬけで、のどか。
あくまで風景の一部として存在している自分。
そして、同じフロアには同じ風景を作っている同士がいる。
わたしはジェラテリアをジューススタンドのように楽しむことがある。
いちごとミルク
カシスとミルク
ピスタチオとミルク
というように。
ミルク味は大抵、どのお店にも置かれているが、銀座のリビスコというお店には「牛乳」味が存在していた。
ミルクではなく、牛乳。
わたしはその日、牛乳と巨峰を選んだ。
ミルク味と変わらないと思って食べたら、紛れもなく牛乳だった。
ミルクよりさっぱりしていて独特の風味があってなつかしい味。
わたしは、深く座ると足が浮いてしまう椅子に腰をあずけながら、巨峰牛乳をすすった。
その時のわたしは、一人きりで、とても愉快だった。
何人かで食べるのもいいけれど、ジェラートは1人が似合う気がしている。
ひとりひとりが隙間時間にやってきて、エネルギーをチャージして去っていく。
着飾らず、それぞれが素のままで食べる。
そこに滞在する時、わたしたちはみんなひとりぼっちになる。
バタバラな方向を向いて、寄り添わず、自立した空間。
都市にはそういう、孤独なままで満たされる充電スポットが点在している。
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