自分と両親

数日前に両親が日本からわざわざベルリンに遊びにきてくれた。
久々に会う両親は、病気をしたこともありだいぶ小さくなっていたことに
本当にびっくりした。

まあ、久々と言っても去年の夏に僕が一時帰国した時にあっているので
一年も経って無いんだけどね。

そして、このnoteを両親が読んでないという事を祈って今から
自分の今感じている事を書くとします。

まず、両親と会う前にいつも僕は、心の中で仲良くしよう
優しくしようと強く思っている。

でも、実際会うと突然僕の思考は、17歳になってしまい
生意気な態度?だったり、言葉遣いも非常に丁寧なつもりだけど、
心の中では、反発しまくっている。

例えば、両親が気持ちよく話しているのに、心の中では
何言ってんの〜とか思ってたり、同じ話これで3回目なんですけど〜
反発心がある。でもだからと言ってそのことを
本人には直接に言うわけでもなく、むすっとした顔をしている自分がいる。
こんな感じだけど両親に対しては、とても気を使ってる自分がいる。
この気を使ってるのは、お客様に対するのとは、違ってとても違和感がある


こんな気持ちをいつも思っているのは、自分が辛くなるので
今日は、この事を自分なりに深堀してみた。
そうすれば、何か変わるんじゃないかと思って。

まず、僕は17歳で家を出て働き始めているので
両親と一緒に暮らしたのは17年間。
なので、お互いの記憶は17歳の僕で止まっている。

昔、実家に帰って夕食をご馳走になった時に
すげ〜分厚いトンカツとかいろいろなお肉が出てきた事があった。

おいおい、完全に成長期の僕の記憶で止まってる〜

僕は、もう40過ぎてますけど〜(その当時)お浸しとか食べたいんですが

もっと、さかのぼると昭和の教育は学校でもそうだけど
とにかく、叩かれたり持ち上げられたり、
みんなの前で罵られたり、もはやこれはなんかのプレーですか?
って思うくらい酷かった。
でもその当時の僕にとっては、悪い事をすれは制裁を受ける、
完全に普通のことだった。

それは、家でも同じで小さい頃悪いことをすると
家から出されたり、普通にピンタされたり
もはや恐怖でしかなかった。でもこれは両親の名誉のために
書くけど、あの時代はみんなそうだった。

だからといって、僕の心の中のトラウマが消えるわけでは、
残念ながらないけど。

なんとなく、今でも両親に敬語を使うのは
幼少期の体験から来る物だと思った。これは、人によって
違うと思うけど、僕にはトラウマになっている。

でも、これから両親に対してどう向き合っていけばいいのか
考えてみた。

もはや、トラウマはしょうがないので記憶は書き換えられるのだから
良いふうに書き換えてしまえば、とか思ったり。無理無理
あと、この思いを両親にぶつけるとか、、、

自分で出した答えは、僕たちに将来を見せてくれている人。


人の振り見て我が振りなおせという言葉があるけど、
まさにこれだ。他人行儀だけど僕に見せてくれてると人と思えば
反発することもなく、将来こういう事に気をつけなくてはいけないんだ
とか、逆に勉強になる。
そう考えると、心が楽になる。
これは、両親が帰った後に書いているので
次回会った時にどうまた自分が感じるのか
今は、とても楽しみです。

最後に、特に両親が嫌いなわけでもない
もはや、彼らがいなければ僕はここに存在すらしていないのだから
感謝しかない。だからもっと優しい気持ちで両親と会うために
考えたことです。


こんな事を小さくなった両親を空港で見送りながら思った今日この頃。







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