推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。~現役ドルオタと読む「推し、燃ゆ」(宇佐見りん)~

 だれかを「推す」ということ。
 変わり映えのない日常の中で推しに関する情報をチェックし、推しが出演するテレビやコンサートをドキドキしながら心待ちにし、推しに対しての心無い投稿に少しざわめく。
 日頃何気なく感じていることが、一気に言語化されたようで思わず胸が苦しくなった。

 デビュー作「かか」で文藝賞・三島由紀夫賞をW受賞した著者の第二作は、そんな「推し活」を圧倒的な表現力で書き上げた作品だ。著者は本作で芥川賞を受賞した。
 ポップな表紙に釣られて、耳障りのいいだけの物語だと思って読むと手痛いしっぺ返しを食らう。

 主人公の女子高生、あかりはいわゆるアイドルガチ勢だ。
 推しのプロフィールはオレンジペンに赤シートで隠して覚え、ファンブログを運営し、推しの誕生日には似顔絵の描かれたホールケーキをインスタのストーリーに上げる。よくいるタイプのガチ勢である。
 現実に生きにくさを感じる彼女にとって、推しは真実「背骨」であった。

推しのぜんぶが愛おしかった。

宇佐見りん 「推し、燃ゆ」

 しかしある日、突然推しが炎上する。ファンを殴ったらしい。なんで、どうして―――。


 だれかを「推す」ということは、決して心地いいことだけではない。ファンというのはあくまで消費者で、搾取する側にすぎないのだ。

ステージと客席には、
そのへだたりぶんのやさしさがあると思う。

宇佐見りん 「推し、燃ゆ」

 この感覚にはとても身に覚えがある。
 私たちは今日もそのやさしさに付け込んで、自己満足的で一方的な関係を勝手に構築するのだ。

 推しは決してあかりを直接的には救わない。
 あかりがいくらお金と時間とエネルギーを推しにつぎ込もうとも、推しがあかりを認知することはない。

 けれど、あかりはこう言う。

推すことはあたしの生きる手立てだった。
業(ごう)だった。

宇佐見りん 「推し、燃ゆ」

 もしもあなたに推しがいるのなら、その言語化できない心の動きは、きっと本書に描かれているだろう。
 焼けつくようなリアル焦燥感。これらをぜひとも目の当たりにしてほしい。

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