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触れてはならぬ

エッセイ染みた記事を書いたり、SNSで発信したりしていると、たまに特定界隈の人間から激しい誹りを受ける事がある。
人間なんて生き物はどう足搔いても全体の2割からは嫌悪される(そして6割にどうでも良いと思われる為、好いてくれる人間は全体の2割に留まると言う事になる)から、逐一誰かに嫌われる事を恐れては発信する事等とても覚束無い。だからと言う訳でもないが、テキストコンテンツを手掛ける人間は感覚的に言うと比較的メンタルが頑丈に出来ていると言うか、煽りやら脅迫紛いのクレームに対し耐性が高い人が多いように思う。少なくともワタクシはそうだ。

然し、そんな中でも稀に「この話題はこれ以上自分が触れるべきではない」と本能的に感じる事がある。それらの話題にはある共通点が存在する。それは

【界隈が一枚板じゃない事】
【界隈の関係者が矢鱈攻撃的な事】

である。

ワタクシは割と色々な事を話題として記事を書いたりSNSで発信したりするが、近頃「これはもうワタクシの口からは言及しない事にしよう」と思った事柄がふたつばかりある。それは【セクシュアル・マイノリティ(セクマイ)】と【AIイラスト】である。

前者に至っては、そもそもワタクシがnoteと言う場を借りて何らかの発信をする切っ掛けになった事柄である。何を隠そう、ワタクシもセクマイの一介…アセクシュアル(無性愛者)なのだ。
noteで記事を公開し始めた頃のメインコンテンツは【アセクのたわごと】と言うエッセイだった。自身の経験を軸に、セクマイにまつわる悲喜交交をなるたけ重くならないよう綴る事を心掛けたシリーズである。身近な人からは「テクパンの綴った文章が、苦しむセクマイの救けになるかも知れない」と励まされ、その言葉に支えられ続ける事が出来た…のだが、一部のセクマイ当事者からこのエッセイに対し反発が来た。

先程、発信を断念せざるを得なくなった事柄の共通点のひとつとして【界隈が一枚板じゃない】事を挙げた。セクマイ界隈はその典型と言っても良く、同じセクマイ同士でも一聴して俄には信じ難いような差別が平然と行われている。詳しくは生々しくなるので割愛するが、ワタクシの長い知り合いのセクマイの女性は、とあるアライ(マイノリティへのサポートを行うマジョリティの人間、或いはそれらの団体)の集団と、そのアライに煽動されたセクマイの団体から俗に言う【名誉男性】呼ばわりをされて、何年もの間陰湿な嫌がらせを受けていた事を近頃になってカムアウトされていた。
そして…ワタクシが書いた【アセクのたわごと】も「浅い知識で偉そうに語るな」等のクレームがちらほら届くようになった。聞けばワタクシ含むアセクシュアルは、マジョリティからも、セクマイの中で特にLGBTと総称される他のセクマイからも差別の対象にされる機会が多いらしい。これ以上執筆を続ければ我が身に危険が及ぶを感じたワタクシは【アセクのたわごと】の執筆継続を断念したのである。

AIイラストについてはもっと酷かった。
元々ワタクシはAIイラストについては肯定も否定もしない立場をとっている。AIを御するのは飽くまでも人間だし、結局は良心の問題だからである。
ただ、日本人は割と著作権に関しては無頓着な人間が多いので、AIイラストについては今の日本人に扱わすのは時期尚早であり、法整備がしっかりしないとなかなか普及は難しかろうな…とは思っていた。
近頃は幾つかの企業で開発中のAI生成システムに置いて、ネットの海に存在するデータを無作為に取り込むのでは無く【生成に必要なデータを広く公募する】試みがあるようだが。

そんな事をとある場で掻い摘んで呟いたら、界隈(否定派から肯定派まで)の広範囲から噛みつかれる事甚だしく、やれ「嘘つき」だの「門外漢が生半な知識で偉そうに語るな」だの「不勉強が過ぎる、一席振りたいならせめて後50年は勉強しろ」だの、甚だしきに至っては「AIに喰わせる価値の無いゴミみたいな絵しか描けない癖に!」と言う内容のものや、ワタクシの発信を恣意的に解釈し「お前が言及しているのは二次創作の話だ、AIイラストとは無関係の話だ、同列に語るな」と宣う誹りの声もあった。

別にワタクシはディベートをしたかった訳ではない。単にお気持ち表明をしただけである。
にも関わらず、肯定派からも否定派からも(割合としては否定派の方が多かったが)此処まで悪し様に言われるのならば、ガチでディベートを挑んだ日には完膚無きまでにボロクソに貶されていたのでは無かろうか。
俗な言い方をすれば【AIイラスト過激派】とでも言うべき人間の差別意識、そして特に否定派のAIイラストに対する深い憎悪が垣間見えた気がした(それでいて、こちらが「自分の絵をAIの素材に使われる恐怖は良く判る」等と言おうものなら「お前に何が判る!」と噛みつかれるのだから、会話にならない)。

興味深い事に、AIイラストを頭ごなしに否定する人間の殆どは一次創作者であり、アナログ至上主義者であり、絵を描く行為を過度に高尚に捉えている人間が多い。IllustratorやPhotoshopで描いたイラストに「卑怯だ」と痛罵を浴びせる行為と、AIイラストを頭ごなしに否定する姿勢は何処か同じ雰囲気が漂う。そしてそう言う人間は、例えば独学で絵を描く術を身に着けた人間を見下す傾向が強い。偏見かも知れないが。

憎悪と差別意識は時にヒトの眼を曇らせる。
そして、憎悪と差別意識に囚われた人間は、平気で自分とは異なる意見を発する者を貶め、嬲りものにし、その行為に一切の罪悪感を感じない。
自戒を込めてこれらは肝に命じようと思うと同時に、発信する内容の吟味は大切だな、と思う次第である。

余談

日本人が著作権に無頓着な例として、ワタクシは下記の例を列挙した。

ワタクシの母校の文化祭での話。
教師が少年向け漫画雑誌の漫画をコピーして切り貼りし、それでポスターを多数作って掲示していたのを見てモヤモヤした気持ちになった経験がワタクシにはある(当時、生徒が教師に意見なんぞしたら鉄拳制裁待ったなしだったので、その時はただ黙るより他に術が無かった)。

この体験談を否定派に「二次創作」呼ばわりされて「同列に語るな」と罵られた訳である。
個人的には自分で描いた訳でもない、それこそプロのクリエイターが商用に描いた漫画を無許可でコラージュの材料に用いるのは二次創作とすら言えないとワタクシは考えるのだが、如何なものだろうか。
元絵描きの端くれとしては「二次創作と主張するならせめて素材位テメェで描け(書け)や」位には思ってしまうのだが。

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