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一度は日陰に逃げた元"炎上芸人"の僕が、数年ぶりに口を開く理由

2020年、こんなハズじゃなかったのに。

...なんてことをつぶやいているのは、支持率が低下している安倍首相やトランプ大統領だけではないはずだ。

今年の僕は、大学を卒業してから、卒論でもテーマとしていた演劇やオペラに関連する活動の割合を増やし、舞台芸術の制作現場にも徐々に参加していくはずだった。

ところが今や、愛する舞台文化そのものが死の淵にまで追いやられている。僕一人の将来について考えている場合ではなくなってしまった。こんなハズじゃなかった、と一番叫びたいのは僕なのかも... とすら思う。

いや、僕だけじゃなくて、みんなだってそうかもかもしれない。

花見に行けないのも、海水浴に行けなくなりそうなのも、全部そう。海外どころか国内の移動すら制限され、養護施設にいる家族に会うことすら認められない。愛する人の死に目どころか、亡き骸にも接することができない

僕だけでなく全員が、何らかの形で「こんなハズじゃなかった2020年」を過ごしているのだろう。「無知の知」ならぬ、「当たり前だったことへの気付き」について、随所で話を見聞きするようになった。


一体誰が、こんな2020年を想像していただろう。

そして一体誰が、こんな危機的状況にあってさえもバラバラになっていく人類の様子を予見していただろう。


アメリカでは今日も、各地で抗議デモや暴動が起きている。

言葉はますます鋭利になり、日本でも悲しい事件が起きてしまったことは記憶に新しい。

9.11以来の規模で、根拠なき(少なくとも、確固たる根拠の提示なき)陰謀論が世界的に流布しているのも、コロナウイルスにまつわる社会的現象として特筆すべきものだろう。

検察庁法の改正問題では、発言したタレントが叩かれ、発言しなかったタレントまでもが非難に晒された


なぜ、人の憎しみ合いのハードルはここまで下がってしまっただろう?

そして、その原因を作っているのは「一部のならず者」なのだろうか。

だから、我々は今こそ錦の御旗を振りかざし、そんな奴らに正義の鉄槌を下さなければならないのだろうか。


そんなことを考えれば考えるほど、僕は、僕自身が「激しかった」あの頃を思い出さずにはいられない。

インターネット老人会の会員諸君にとっては、ご存知の通りだ。10代の頃の僕は、控えめに言って「サイテー」の男だった。実際の人間性はそうではないと信じたいけれど、SNSやメディアを通して見た僕の姿は、それはもう、酷いものだった。

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当時の僕は、「激しかった」のだ。誰かに届く言葉の刃を気にすることもなく、自分自身の何かを誇示しようとした。何を誇示しているのかを知られないようにするためにも、刃を磨くことにばかり執着していた。そんな僕の激しさは、一部の支持を除けば、みんなから大いに嫌われた。

そしていま... 僕の濁りきった目(これでも、数年の充電期間を経てかなり澄んで見えるようにはなってきたはずだ)からでもわかることがある。


今度は、みんなが、「激しく」なってきたのだ。


木村花さんの訃報に接したとき、思わずツイッターにこんなことを書き走った。

フランクル『夜と霧』を課題図書で読んだのが中1の頃だった。その後に触れたアーレント『イェルサレムのアイヒマン』に衝撃を受けたのも、たぶんそれくらいの時期の話だ。それ以来僕の永遠の課題(今でも全容を理解しきれてはいない)となっている「悪の陳腐さ*」こそ、今回の憎しみの連鎖について考える入り口、もしくはヒントになり得ると思った。

* アイヒマンを根拠とする悪の陳腐さ自体については、のちの研究によって否定されていることを、念のため記しておく。

どうして人間は、誰かのせいにしたり、誰かを悪者に仕立て上げようとするのだろう。その裏に一人一人の「欲求」なんてのがあるとするならば、それは一体どのようなカタチをしているのだろう。


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アーレントが見守ったような「歴史的戦争裁判」が存在しない2020年。

「みんなが激しくなった」いま、僕が選ぶことのできる観察の対象は、人類全体でも、社会でも、特定の他者でもなく、「自分自身」でしかあり得ない。これが僕の信念だ。


リモートワーク期間。PCやスマホの画面を除けば、飛び込んでくる景色や音にはもはや目新しさがない。食事もルーティン化してきた。これって実は、ちょっとした座禅を組んでいるのと同じくらい、自分の内側に触れるのに適した良い環境なんだと思う。

そんなわけで、とりあえずこれからしばらく、いま僕が「自分自身に」感じていることを淡々と書いていく。自分の、自分による、自分のための観察と言語化だから、スキ!もシェア数も気にしない。

いろいろとタイミングが合ってしまったので、発信活動は note にとどまらずもう少し広がっていくことになる。そういったこともいずれ、お知らせできるはずだ。


こんなハズじゃなかったけど、結果的にはよかったよね、2020年。

そう笑って話せるようになれればいいな。まあ、お時間のある方はたまにでも覗きに来て、のんびり付き合ってくれると嬉しい。


2020年6月2日 東京アラート発令。

みなさん充分にお気をつけて、無理のない「控えめ」生活を。

Tehu / 張 惺


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