見出し画像

mRNA製剤の勧奨に見るアダム・スミスの「道徳感情論」というエクスキューズ

昔々あるところに、「mRNAは10年前からある技術」と平気で嘘を付くテレビのコメンテーターがいました。その後、その方に煽られて豚にされた皆さんが我先にと市役所に押し寄せてまで抗生物質を打ってくれと喚き散らす映像が流れ出してさすがにテレビを捨てました。

今回のmRNAの一部の塩基は遺伝子をいじられていて、それはノーベル賞をとるのではないかと言われているような新しい技術でした。10年前からある技術ではありません。

最初に言っておきますが、この記事はそのコメンテーターやmRNA製剤を批判する記事ではないです。

専門家でもないような人が平気で嘘を付いてしまうことを考えると、その人が嘘つきだとか、倫理が無いとかって話よりも、システムとしての宿命的な欠陥を指摘せざるを得ない。要するに、資本主義においては、他者への共感は宿命的に奪われるということ。宿命的に道徳は機能しない。そうなっていくのです。

これは馬鹿じゃなければ考えれば分かる話で、アダム・スミスもバカではなかったから、分業と同時に共感という概念を説明し、システムの欠陥を克服しようとした。
でも、彼も分かってたと思いますよ。彼の道徳的な主張は論理的な話じゃなく、単なる期待でしかない。だから、結局のところ機能していない。要するに、アダム・スミスは非常に無責任な世界の破壊者としての経済学の父なわけです。当然わかってるわけですよ、彼も。馬鹿じゃないから。だからエクスキューズだと言ってるんですよ、道徳感情論は。

分業の細分化というのは、翻って、社会の中に分からない部分が必然的に増えてゆくことを意味します。
要するに、他人を容易にだますことが出来る。食品添加物入れまくり、ゲノム編集しまくり、農薬ぶっこみ放題、、、ということが可能になる。実際日本ではそうなっている。キリスト教文化が残る西欧では罪の文化によって正義がある程度担保されるが、心に正義のない恥の文化である日本では他人なんかどうなってもいいという人間があふれかえる。これは宿命。

資本主義は競争なわけですから、騙して金儲けすることと、道徳的に他者に共感して商業活動を自制することを比べたときに、騙す方を優先するに決まっている。だからシステムの欠陥だと言っているんです。

昨今の行動経済学や、それが応用された認知バイアスマーケティングにしても、もう、騙すことを平気で社会が許容してこの悪の経済学が実社会で応用されている。行政がそれを監視したり管理したりすることもない。

もう一度言います。
分業が細分化された社会なのに(社会に分からない部分が沢山あるのに)、人間の認知機能の欠陥を悪用する認知バイアスマーケティングが普通に行われている(科学的に他人を騙してモノを売ることが可能な)社会なんです。これは地獄です。もうめちゃくちゃ。
こんなことがまかり通っているなんて、ハッキリ言って終わってます。
「牛丼シャブ漬け」の方法論はもう一般的なマーケティング手法なんですよ、みなさん。

それに疑問を抱くことなく、楽しそうにマーケティングの勉強をしている人ばかりなんです。もう終わってますよ、ハッキリ言って。
こういう人は自分で自分が入る檻を作っているだけなのに、それが理解できない。自分だけは仮に免れたとしても、子供や孫が捕らえられる可能性がある。要するに、生き方が論理的ではない。近視眼過ぎる。
そういう人たちばかりだから、抗生物質を求める豚になってしまう。
企業も率先して職場で強要してきた。
本当に終わってますよ。経済学部を出た人が人事にいないのでしょうか?
頭が悪すぎます。

わたしはもう随分前からこの主張をしてるんですが、とうとう抗生物質によって多くの人が捕らえられてしまった。何のために大学まで行って勉強してるのかさっぱりわからない人であふれているのが日本です。

おわり

この記事が参加している募集

最近の学び