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東大哲学者が2023年を振り返る

2023年のキーワードを1つ挙げろと言われたら「生成AI」と多くの人が答えるのではないでしょうか。それほど ChatGPTをはじめとしたAI関連のサービスは私たちの生活と身近になり、同時に「AIと人間」にまつわる問題も世間を騒がせました。

今の世の中を哲学者はどのようにみ見ているのか?哲学クラウドを監修する東京大学の梶谷教授に「AIと人間 ~本当に重要な問題とはなにか?~」と「2024年に向き合うべき”問い”とはなにか?」という2つの問いをテーマに2023年を振り返ってもらいました。


AIと人間 〜本当に重要な問題とはなにか?〜

人間の能力とは何か?

私たちが直面する危機は、多くの場合、想像するほど悪くはなく、思っているよりも深刻である。

生成AIについても同じようなことだと思う。生成AIは人間の能力を超えていて、それが人間から仕事を奪ったり、人間を圧倒すると言われ、私たちは恐怖する。しかしコンピューターは、とっくに人間の能力を超えている。いや、移動能力の点で言えば、車も人間の能力を超えている。

問題は「人間の能力とは何か」である。

時代ごとに変わる「人間の能力」

人間の能力として強調されるのは、時代ごとに違う。

<肉体労働の時代>
畑仕事や荷運び、手仕事など、肉体労働が主流だった時代、人間の能力とは身体的なものだった。そうした様々な肉体労働に機械が取って代わった時、そのつど多くの人が失業し、人間性が否定されたとか疎外されたと騒いでいた。

<知的能力の時代>
その時代が過ぎると、知的能力こそが人間の本質だとされた。データの整理や計算、分析、それに基づく予測など、機械にはできないと思われていた。それがコンピューターの登場によって乗り越えられた。

<創造力の時代>
その後、コンピューターもしょせん人間の作ったプログラムに従って動いているだけだから、経験に支えられた仕事や創造的な仕事はできないだろうと考えられた。

ところが、いずれも既存のものの積み重ねや組み合わせなので、深層学習を自律的に驚異的なスピードで行うAIにとっては、むしろ得意分野である。知的労働の最たるものとされている(そしてエリートとも言われる)医者や弁護士も、基本的には経験の積み重ねがものを言うので、かなりの部分AIに取って代わられるだろう。

<共感力の時代>
今度は感情や共感こそがAIにはない人間独自のものであり、介護や教育のような人間的な関わりが根本にある仕事がこれからも重要だとされる。

しかし、感情労働は働く人に多大な負担をかけるし、また感じの悪い人間、不愉快な人間もいる。そういう点では、感情がないのに表面的には親切にふるまえるAIは、実はこうした“人間的な”仕事に向いているとも言える。

私たちは「AI」で騒ぎすぎているのではないか?

技術は人間の能力の延長であり、人間的な能力として重視するものを技術によって代替しようとしてきたのであるから、シンギュラリティというのは、歴史の中である意味何度も起きていて、「AIが人間の知能を超える!」というのも、特に目新しいとは思えない。つまり騒ぎすぎである。

今までそうしてきたように、産業や労働のあり方を転換すればいいことで、個人レベルでは、苦境に陥る人がかなりいるが、社会全体としては対応するだろう。

では問題はどこにあるのだろうか。

合理化が「人間」までもコストに変える

技術というのは、中立的ではなく、人間の欲望や都合によって方向づけられる。技術が人間の能力の延長だとしても、その進歩が人間を代替し、無用のものとするほうへ向かうのは、必然ではない。にもかかわらずそうなっているのはなぜか。

その一つは、人間を天然資源(natural resources)と同様に、生産過程における材料(human resources:人材)と見てコスト計算に入れ、価格競争においてカットすべき無駄とみなす考え方である。

これは資本主義社会では、当たり前のどうしようもないことのように思われるかもしれないが、実際には1980年代以降に世界を席巻した新自由主義の産物である。そこでは会社の利益が最優先され、あらゆるものがコストの観点から合理化の対象になる。

その先にあるのは、その利益を直接得られる富裕層への富の集中と貧困層の拡大である。

最も優先すべき「価値」とはなにか?

しかし新自由主義は、資本主義の一形態にすぎない。保護主義のように必要な規制を行ったり、社会福祉や教育に競争原理を持ち込んだりしない資本主義もある。そこでは人間はたんなるコストとは見なされなかった。生活の安寧や労働の意義を大事にする余地があった(必ずしも実現されていたわけではないが)。

つまり問題は、どのような価値を最優先するかである。貧富の格差が拡大しても社会全体の富が増えればいいのか、多少の格差があっても、それぞれの人の生活と尊厳が守られるほうがいいのか。これは、ある程度は国や組織が選び、決定できることである。

実はこの問題もまた目新しいことではなく、資本主義社会の成立以来、ずっと問われてきた。にもかわらず、それに気づいていない。私にはこちらのほうが深刻な問題に思える。AIの新奇さに目を奪われ、本当に重要な問題が見えなくなっているのだ。

価値観は選ぶことができ、それに応じて制度を作ることができる。「世の中の流れがそうだから仕方がない」のではない。組織単位、地域単位でできることがある。それをしないのは、無知と怠慢であろう。

2024年に向き合うべき“問い”とは何か?

問いは自ら見つけ、他者と共に練り上げるものである

哲学者が「向き合うべき”問い”」などと言うと、興味を引くかもしれない。しかし、そんなものはない。厳密には、自分にとっての問いとして練り直す必要があると私は考えている。

「AIと人間」に関するテーマもそうだ。「人間らしさとは?」といった問いが世間でもてはやされるが、それは本当にあなたが解くべき問いなのだろうか。

私は学校や会社、地域コミュニティなどいろんなところで哲学対話をおこなっているが、そこである重要な違いに気が付いた――ある組織で哲学対話が根づき、その効果が波及して全体が変わるかどうかは、哲学対話がActivityとして行われるかどうかではなく、Spiritとしてあるかどうかによって決まる。

Activityとは、実際に”向き合って”対話をすることである。これはやっている間は存在するが、やっていなければ存在しない。ところがSpiritとしての対話は、哲学対話的な価値、哲学対話で大事なこと――自ら問い考えること、他者を受け止め尊重すること、そのことによって他者と共に自由になること――がすでにそこにあるということだ。

多少なりともそうしたSpiritが日常的にあるところでは、哲学対話は定着するし、それで組織がはっきり変わっていく。そうすれば、おのずと問う人が増える。各自が自分にとって重要な問いを見つけつつ、他の人と一緒に練り上げていくことができる。

対話的Spiritこそが真の変革をもたらす

多くの会社では業績を上げることが至上命題であり、そのための課題に追われ、問い、考える余裕を失う。哲学対話を導入する会社もActivityとしてはやっても、そこにSpiritはほとんどないように思う。

けれども、どう呼ぶかはともかく、哲学対話的なSpiritをもたず、したがって自ら問い考えることが許されず、他者を受け止め尊重することもなく、自由を感じられない、閉塞そのもののような組織で、イノベーションだの先の見えない時代に生き残るだの、答えのない問いに立ち向かうだの、本気でできると思っているのだろうか。

今一度冷静に考えてほしい。どういう組織だったら、これからの世界を生きていけるのか。個人ではなく、コミュニティとして、どんなところでどんなふうに生きていきたいのか。そこで大事なことは何で、どうすればそれが実現できるのか。誰かどこかの話ではなく、自分自身の組織の話として。

そうしたことを問うて、共に取り組んでこそ、真の変革をもたらすことができるのだ。一年を振り返り次の年を展望するこの時期に、あらめて自分が問うべき問いが何か考えてほしい。

あなたは2024年にどんな問いと向き合いますか?

さて、何のキッカケもなしに2024年の問いを考えろといっても乱暴すぎるだろう。そこで最後に思考を刺激する映画を紹介しておきたい。

「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」

マイケル・ムーアは、ドキュメンタリーを一級のエンターテインメントに変えた映像ジャーナリストである。「ボウリング・フォー・コロンバイン」でアメリカの銃社会を、 「華氏911」で同時多発テロを、「シッコ」でアメリカの医療制度の問題を取り上げた。「世界侵略のススメ」は、ヨーロッパ諸国に出向いて、そこにある優れたものを“奪う”という趣向の映画である。

イタリアの会社は有給休暇が8週間もある。フランスの小学校では、給食に手作りのコース料理が出る。ドイツでは18時以降や週末に会社が社員に連絡を取るのは違法である。フィンランドの学校では、宿題がないのに世界トップレベルの学力を誇る。こうしたにわかには信じがたいことが紹介される。

「信じがたい」のは、それだけ日本がアメリカ化されているということだ。
けれども、人間が幸福であること、豊かさを求めることが当たり前の社会、しかもそれを人々が自ら勝ち取り守っている社会が可能であるということを教えてくれる。

翻って、日本では何がそうすることを妨げているのか、どうすればそちらに向かっていけるのか。そちらに行かないなら、どこに行きたいのか考えずにはいられない。

ぜひとも、2024年に向き合う「問い」を考えるうえで参考にしてほしい。


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