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戦前にも発行されていた雑誌『九州民俗学』

 『九州民俗学』という雑誌名を国会図書館サーチ(NDLサーチ)で検索すると、『九州民俗学』という2001年に創刊された雑誌が出てくる。以下の記事で紹介したように、民俗学関連の雑誌で雑誌名が重複することはしばしば起こるが、『九州民俗学』もそのひとつである。『九州民俗学』は戦前にも発行されていたが、このことはほとんど知られていないだろう。私は『九州民俗学』のことを佐藤健二『柳田国男の歴史社会学 続・読書空間の近代』(せりか書房、2015年)に収録されている民俗学の雑誌リストで知った。(注1)

 この雑誌は図書館や研究機関にほとんど所蔵されていないが、日本の古本屋を先日検索していた際に第1巻第5号の1冊出品されているのを発見したので購入した。以下に書誌情報を引用したい。

書名:九州民俗学 第一巻第五号
大きさ:約23.5cm×約15.9cm、和装本、謄写版印刷
印刷:不明 ※奥付に記載なし。
発行:昭和5年5月 ※奥付に記載なしのため、日付は不明。
編集兼発行:三松荘一 福岡市鳥飼前田 ※奥付に記載なし。下記の「あとの言葉」に記載。
印刷:順天社印刷 福岡市庄一一四
頁数:18頁

盗の宮(筑前国続風土記)
鳥の伝説集 安部幸六
多々良村 土井の風習 三松荘一
筑後河畔のいろいろな話 堀関一談
便所に関する習俗
あとの言葉(編集後記) 三松荘一

表紙
最初の頁

 本書には、福岡の民俗に関する報告が掲載されている。「あとの言葉」には、「この九州民俗学は五十部づつ刷って知人に贈呈して居ますので」と述べられているので、発行部数は50部である。

 X(旧Twitter)でご教示いただいたが、『日本民俗学大系』第11巻 (地方別調査研究)(平凡社、1958年)に『九州民俗学』と発行者の三松荘一について記載があるという。以下に野間吉夫によって執筆されたこの部分を引用してみたい。

まず福岡地方では、佐々木滋寛、三松荘一、梅林新市の三氏が草分けであった。/佐々木氏は昭和四年五月、三松氏の協力を求めて「九州土俗研究会」を発企、福岡土俗写真絵葉書を不定期であったが二八集(一集二枚)まで刊行している。(中略)/三松氏は県立福岡中学の教員をしていた人で、昭和五年一月「九州民俗学会」をつくり、前記佐々木、梅林氏をはじめ安部幸六氏なども賛同合流し『九州民俗学』を一号から八号まで発行、別に特集を出している。

 三松は福岡中学校の教員で三松は佐々木滋寛、梅林新市とともに九州民俗学会をつくり、『九州民俗学』を8号まで発行したようだ。佐々木、梅林は福岡で郷土研究、民俗学の研究、郷土玩具の蒐集をおこなっており、梅林については以下の記事のように拙noteで何度か紹介したことがある。

しかしながら、国会図書館デジコレでも検索してみたが、三松の生没年や詳細の経歴はよく分からなかった。

 興味深いのは、『芳賀郡土俗研究会報』を発行していた高橋勝利の書籍、『方言と土俗』を発行していた橘正一『盛岡猥談集』の広告が雑誌の最後に掲載されている点である。『九州民俗学』も地域の民俗学研究、その成果を発表する小さな雑誌のネットワークにつながっていたといえるだろう。『九州民俗学』の各号の書誌情報も気になるところだ。

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 余談だが、上記で引用した『日本民俗学大系』第11巻によれば、『九州民俗』という雑誌もあったという。この雑誌については、『日本民俗学大系』には以下のように述べられている。

(前略)昭和一八年には土地の佐々木滋寛、梅林新市氏らをはじめ北九州の曾田共助氏、久留米の峯元氏、壱岐の山口麻太郎氏らと連けいをもちながら、「九州民俗の会」を結成することになった。会員には木村修三、江崎悌三、金田平一郎、佐久間鼎、宮本又次、吉町義雄(以上九大教授)、山口麻太郎、目良亀久、曾田共助、松永美吉、井上与一郎、佐々木滋寛、梅林新市、吉野勲、峯元、高橋渡の諸氏であった。(中略)/戦争がはげしくなって、毎月の集まりも中止せざるをえなくなった。この間、会報『九州民俗』と別冊『食物習俗座談会記録』(謄写刷)を出している。

(注1)このリストは、佐藤健二「近代日本民俗学史の構築について/覚書」『国立歴史民俗博物館研究報告書』第165集(2011年)にも収録されており、この論文はウェブでも閲覧できる。

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