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なぜ全日本吹奏楽連盟理事長は指揮者を兼任してはいけなくて、なぜ全日本吹奏楽コンクールにおける評価システムを変更すべきなのか(教育評価研究者・教育関係者の立場から)

0.前書き

この記事を読まれる上で、下記の点をご考慮いただけると有り難く思います。
簡潔にご覧になりたい方は、「2.仮説」まで読み飛ばしてください。

・話の中で特定の団体が出てきますが(読んでいただければ分かりますが、団体の名前を出さなくても少し事情をご存じの方であればすぐ分かってしまうものなので)、その団体や、いわんやその団体に所属する生徒を批判する意志は全くありません。
※団体の方には申し訳ありませんが、数年間見ていて、吹奏楽連盟内部から変革や自浄作用等の動きが起こるとは思えませんでした。こうして世間に訴え、世論を喚起する形でしか変革が望めないのではと考えたため、このようにさせていただいております。
※匿名での訴えは卑怯かとも思いますが、私一個人の主張のために、私の周囲の人間や所属団体に迷惑をかけることができないので、名前を出さない私をお許しください。

・むしろ、吹奏楽に携わる生徒達を守るためには変更がなされなければいけないのではないかという提言をすることが目的です。

・現在、将来吹奏楽に携わる生徒のより多くが幸せになり、日本の学校教育に広く行き渡っている吹奏楽が生徒の教育的成長により資するようになることが私の願いです。

・事実に基づいて現状を分析し、可能な限り客観的に話を進めたいと考えています。

※もし、読まれた上で、私が上記の点に反している、あるいは生徒達のために改めた方が良い点があると思われたのであれば、私の筆力や思考力の至らない点かとも思われます。表現等を改めた方が良いとお気づきになられた場合は、コメントにてご教示いただけると有り難く思います。

(追記:noteのアカウントが無くコメントができない方は、Twitterでコメント・拡散等いただけると幸いです。
https://twitter.com/thinksuisougaku/status/1193340080880009216?s=21)


1.きっかけ

私は元々コンクール批判派ではありませんでした。どちらかといえばコンクールオタクと呼ばれる人でした。
私自身、中学・高校在学時は吹奏楽部に所属し、弱小校ながらもコンクールにほぼ毎年出場していました(毎回地区予選敗退)。
どのようにすればより良い演奏が出来るのかと口惜しく思い、勉強のために他地区大会・県(都)大会・支部大会・全国大会に何度も足を運び、特に全国大会のレベルの高さには何度胸を躍らせたか分かりません。朝4時起きで一人名古屋まで新幹線で行って、演奏に涙した体験は今も鮮明に思い出すことができます。

しかし、数年前から全国大会に足を運び、結果を見たり、世間の皆様の感想を拝読したりする度に疑問を抱くようになってきました。

例えば、今年度であれば審査方法に関して下記のような文章が書かれています。(Twitterに公開されている文章ですので、無許可で転載させていただきますことをお許しください)

TBT氏
全日本吹奏楽コンクール高校部門、熱演の連続でした。
高校生、凄い。でも、YDGWの金賞はないな。あれで金賞は他校がかわいそう。理事長への忖度評価はやめてほしいなぁ。
https://twitter.com/tbtknic/status/1185872754731438080

上記文章は審査結果に不可解さを覚えた方がいらっしゃるということで引用させていただきました。
(私は聴きに行った訳ではありませんし、審査内容に不満を持っている訳ではないので、特定の結果に対して何かを言うつもりは全くありません。ただ、不可解さを覚える理由はあるのだろうかという興味によってこの検証に至りました)

また、審査方法自体についての疑問を呈していらっしゃる方もいます。

鈴木英史氏(作曲家)
全国は過去に審査をさせて頂きましたが、最近は作曲家枠がなくなったのでやっていません(出来ません)。
補足ですが、個々の結果についてではなく、審査方法に限界があり過ぎるので変えるべき、との意味です。今後、然るべきところで発言していきます。
https://twitter.com/eieipupu/status/1185913867664183297

(11/10 22:40上記Tweetに関して編集しました。
再度読み返している中で、Twitterからの引用が発言者の方の意図と離れた読み取り方をされかねない引用の仕方であったと考え直しましたので、申し訳ありませんが、より発言者の意図に沿った文面を引用させていただくことにしました)

中村睦郎氏(指揮者・指導者・ユーフォニアム奏者)
Aを支持する人が4人、Bを支持する人が2人、Cを支持する人が3人で、一番支持の少ないBが採用になるってどんな理屈なのだろう。
多数決ならAだよね。
https://twitter.com/NAKAMURAMUTSUO/status/1186228275372158977

私自身が吹奏楽に傾倒する人生を送ってきたからこそ、日本において吹奏楽が大きな魅力を持ったものとして沢山の生徒に受け入れられているからこそ、そしてその教育に資する力を信じているからこそ、今のままではいけないと考えています。

私は、教育評価を研究することもあれば、教育者として実際に生徒と関わることもあります。
教育評価研究者や教育者の観点から問題を詳細に洗い出してみました。


2.仮説

私がこの記事で検証する仮説は2つです。

仮説1:全日本吹奏楽連盟理事長が、その主催コンクールにおいて特定の団体で指揮をしていることが、結果に何らかの影響を及ぼしているのではないか

仮説2:全日本吹奏楽コンクールにおける評価システムは、(以前の評価方法や、他支部の評価方法と比べて)教育的効果が低いのではないか


3.現状

・大阪府立淀川工科高等学校の指揮者である丸谷明夫氏は、2013年から全日本吹奏楽連盟理事長を兼ねています

全日本吹奏楽連盟とは、全日本吹奏楽コンクール(いわゆる吹奏楽コンクールの全国大会。以下:全国大会)を開催している一般社団法人です
(一般社団法人全日本吹奏楽連盟 定款 第4条(1)より)。

大阪府立淀川工科高等学校(旧・大阪府立淀川工業高等学校。以下:淀工)とは、1974年に全国大会に初出場して以来、本年度で40回目の出場、うち32回金賞を受賞しています(wikipediaより)。

・全国大会において、審査員は理事長を長とする理事会で選出され、選出された審査員を委嘱する権限は理事長が持っています

審査員は理事会で選出し、これを理事長が委嘱する。
全日本吹奏楽コンクール実施規定 第17条より抜粋)

・丸谷明夫氏理事長就任直後の2013年度より、実施規定・内規が変更され、全国大会における審査方法が変更になりました。(『朝日新聞』より)

2013年度より前の審査方法
9人の審査員が上述の課題曲と自由曲のそれぞれに対し、「技術面」「表現面」に分けてABCDEの5段階で各々評価を行う(つまり審査員は、課題曲の技術面・表現面、自由曲の技術面・表現面の4点についてABCDEの評価をそれぞれ行う)。その後、ABCDEの評価を得点化し、その得点の上位順から●金賞・●銀賞・●銅賞のいずれかの賞が与えられる。ただし、審査の公平性をより高めるため、9人の審査員の審査のうち「最も高い評価をした審査員1人・最も低い評価をした審査員1人」の評価はカットされる(カット対象となる評価が同一の場合は、いずれか1人の評価のみをカット)。よって得点化されるのは9人の審査員の評価のうち、最高点・最低点間の評価を行った7人の審査員の評価となる。この上下カットによる審査方法は第44回(1996年)大会から実施されている。結果発表後、各演奏団体の代表者には各審査員から合計9枚の自団体の審査票が渡される。審査票には表があり、課題曲・自由曲の技術・表現の評価がA〜Eのいずれか1つにそれぞれ○がつけられている。特記事項の欄が表の下に設けられているが、書いてあることはまれである。審査員名も書かれておらず、どの審査員の評価かわかることはない。審査結果の一覧は、2012年度までは、開催日の翌年1月発行の「会報すいそうがく」に公開されていた。それまで出場団体も順位がわかることはなかった。(wikipediaより。太字引用者)
2013年度以降の審査方法
第2条 審査員は、各部門及び前半の部・後半の部ごとに、課題曲と自由曲を総合し、A(金)・B(銀)・ C(銅)の3段階で評価する。
第3条 審査員は、各部門及び前半の部・後半の部ごとに、審査説明会で示されたA・B・Cの数を厳守 し、審査を行う。
2 A・B・Cの数については、その年度ごとに理事会で定める。
第4条 賞の基準は次のとおりとする。
① 審査員の過半数がA評価・・・金賞
② 審査員の過半数がC評価・・・銅賞
③  ①・②以外・・・・・・・・・銀賞
 ※ 各賞の数については制限を設けない。

第5条 第4条に基づいて、理事長が賞を承認・決定する。
(「全日本吹奏楽コンクール審査内規」より。太字引用者)


4.検証

【評価システムの変更について】
3.で挙げた評価システムの変更点をまとめると下記の通りです。

・得点制の廃止
・上下カットの廃止
・課題曲・自由曲それぞれの評価から、総合の評価へ
・技術点・表現点それぞれの評価から、総合の評価へ
・各賞の数を考慮できていたものから、賞の数は自動的に評価結果で決定するものに
・審査内訳が一般に開示されないように(翌年1月の会報「すいそうがく」で審査結果の内訳が公表されていたものが、現在は内訳は公表されず、金賞~銅賞の結果のみしか開示されなくなりました)

上記変更点のうち、なんといっても影響が大きいのは得点制の廃止です。

仮説2:「全日本吹奏楽コンクールにおける評価システムは、(以前の評価方法や、他支部の評価方法と比べて)教育的効果が低いのではないか」の検証1

以前:A~Eを最終的に得点化して計算し、その点数をもとに順位を決め、その順位と得点分布をもとに金賞/銀賞/銅賞のラインを決めていた

変更後:ABCの数で自動的に評価を決める=得点化しない制度に

同じではないかと考える方もおられるかと思いますが、評価の観点からいうとこの二つは全く違います。
ちなみに、金賞~銅賞の数に関しても変化があったのか気になったのでグラフを作成してみました(データ参照元「吹奏楽コンクールデータベース」)。
どうやら2013年以降銀賞が圧倒的に増加したようです。このデータでどうこう言うつもりはありませんが、どうやら審査方法の変更は結果にも影響はしていそうです。

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この審査方法の変更がどれだけ重要な変更かを考えるために次のような例を考えてみます。
仮に、2013年より前の大会で9人の審査員から団体αが「AAAAAEEEE」という評価を、団体βが「AAAAEEEEE」という評価をもらったとします。(簡略化のために、課題曲自由曲や技術点表現点の区別は抜きにして考えます)
上下カットされて、αは「Aが4つ、Eが3つ」、βは「Aが3つ、Eが4つ」になります。
点数化されて序列化されても、αとβにさほど大きな差はつかず、ある程度近い順位になるかと思われます。αやβより上にはAやBを沢山もらった団体が、下にはDやEを沢山もらった団体がいることになります。

しかし、2013年度以降の大会で団体αが「AAAAACCCC」、団体βが「AAAACCCCC」をもらったとします。
つまり、たった一人の審査員がAかCどちらをつけたかしか変わりません。
上下カットはありませんし、点数化もありません。
規程に従って、審査員の過半数からA評価をもらった団体αは金賞を、過半数がC評価だった団体βは銅賞をもらうことになります。

もちろん現実にこのようなことが起きるかは分かりません。しかし、この例から分かることは、「この評価制度は、たった一人の評価で最高の評価にも最低の評価にも変わりかねない、評価システムとしては非常に妥当性が低く大まかなものである」ということです。

管見の限りでは、地区大会・都道府県大会・支部大会で、この全国大会と同じ評価方法を採用している団体は決して多くないと考えています(私の知識が足りないところでもあるので、ご教示願いたいです)。
大抵は、課題曲/自由曲別で、技術点/表現点別で、10点満点なり100点満点なり点数化をする→上下カットをする→序列化して、金賞~銅賞の区切りを決めるというプロセスだと理解しています。
最上位大会まで残ってきた素晴らしい団体の数々が、妥当性が低い上記のシステムで評価されることは、教育的効果が高いとは言えないと考えます。少なくとも点数制に戻すべきと考えています。


仮説1:「全日本吹奏楽連盟理事長が、その主催コンクールにおいて特定の団体で指揮をしていることが、結果に何らかの影響を及ぼしているのではないか」に対する検証

また、この制度は「過半数の審査員から気に入られる演奏であれば、その他の審査員から最低評価をつけられようと金賞が取れる」ということでもあります。

ここで、連盟役員と審査員との関わりの話になりますが、支部大会や地区大会などにおいても、その大会を運営する吹奏楽連盟の役員が審査員の打診をすることになります。
もちろん、審査員の審査内容も役員の人たちは確認をして、例えば他の人が非常にいい評価をつけている団体に一人だけ悪い評価をつけたり、その逆のことをしたりということが多ければ、「あの人の審査は妥当ではないのでないか」と評価されて、次年度以降呼ばれないということは往々にしてあります。(私は連盟に携わったことはありませんが、役員の人や審査経験のある方に聞いていただければ分かる共通認識かと思います)
それによって、より妥当な審査が出来るようになる訳なので、もちろんそれ自体は悪いことではありません。

しかし、上述の規程にあるように、コンクールに呼ぶ審査員を決めるのは理事会、そしてその中で一番の権限を持つのはもちろん理事長です。
そして、その理事長が指揮をする団体は毎年(少なくとも理事長就任後は毎年)出演をしています。
そして、審査員は審査内容によって次年度以降呼ばれないという可能性はもちろんある訳です。

そうした構造の中では、利害関係に基づいた忖度が発生する状況があるわけです。
今実際に存在しているかどうかではなく、忖度が発生する可能性のある構造が出来上がってしまっているということです。

2013年度の就任以降、丸谷氏が指揮する淀工が7年全て全国大会金賞を受賞していることに対するコメントも見ることがありますが、就任前も出場33回中25回金賞を受賞している訳ですから、7年連続金賞を受賞してもおかしくはありません。
実際の演奏の内容がどうだったとか、団体の実力がどうだとかいうことを主張するつもりは全くなく、ただこの構造がおかしいということのみを主張したいのです。

評価について考える際に、評価と利害関係を切り離すことはとても大切なこととして知られています。
例えば、文科省のページを見てみてもこんな文言がすぐ拾えます。

なお、審査委員は、本人が利害関係者とみなされる提案に係る個別の審査には参加しないものとする。(「教員免許更新制の審査基準」についてのHPより)

私も、昔英検の2次試験(スピーキング)に待機していたら、たまたま私の試験官が私の通っている学校の先生だったために、別の試験官に変更になったことがあります。皆さんも何かしらそういった経験はお持ちではないでしょうか。
これは、評価・審査と利害関係が結びつくと、評価の妥当性が下がったり、不正に繋がったりするという考えのもと行われるものです。
(追記 11/13 10:30 この状況において、試験官が自身が勤務する学校の生徒の試験を評価することの問題は、上記に加えてたとえば当該受検者が合格した際に「私情が介入したのではないか」と周囲から疑われること、あるいは不合格だった際に「嫌がらせをしたのでは」と受検者や周囲から疑われることもあるのではないかということに触れた方が、より今回の問題の理解に役立つかもしれません。実際の評価の妥当性云々だけでなく、その構造にまつわる疑念が評価者/被評価者に向けられ、それは双方にとって不利益であることは一考に値するのではないかと考えます。)

こうした状況から、仮説1:「全日本吹奏楽連盟理事長が、その主催コンクールにおいて特定の団体で指揮をしていることが、結果に何らかの影響を及ぼしているのではないか」に対しては、「理事長が特定の団体の指揮をしていることは、結果に何らかの影響を及ぼしている可能性がある」と結論付けることができると考えられます。
(追記 11/10 23:55 より正確に表現をするならば、「理事長が特定の団体の指揮をしていることは、結果に何らかの影響を及ぼしている可能性を否定できない」と書いた方が良いかと思い至りました。
実際に影響があるのか、審査結果が妥当だったのかを糾弾したいわけではなく(そのような検証をできるともするべきとも思いません)、構造的問題から演奏や結果、団体が世間から疑いの目を向けられてしまうことになってしまう、それではせっかく結果を手にした生徒たちが悲しい思いをしてしまう可能性があるのではないかというのが述べたいところです。)


仮説2:「全日本吹奏楽コンクールにおける評価システムは、(以前の評価方法や、他支部の評価方法と比べて)教育的効果が低いのではないか」に対する検証2

また、全国大会の評価の特徴として、演奏に対するフィードバックが、評価されたアルファベット以外に無い、ということがあります。
通常の支部大会~地区大会であれば、出演団体が表彰式で受け取る各審査員の講評用紙には、「点数」と「コメント」が書いてあります。何が良かった、何がもっと改善できる点だったということが書かれるわけです。

ここで重要なことは、講評コメントは
1.「生徒や団体が今後に向けて、自分たちの演奏を改善するヒント」であるとともに、
2.「審査員の評価・点数を裏付ける根拠」であるということです。

ここでまた評価の話になりますが、特に教育評価においては私たちがテストなどと聞いてイメージする 'Assessment of Learning' (学習の評価)だけでなく、 'Assessment for Learning' (学習のための評価)という考え方があります。
専門用語になりますが、たとえば形成的評価(Formative Assessment)と呼ばれるもの(単元の途中でテストをして、生徒の理解度を測ることで、生徒へのサポートを考えたり、教師の指導方法を見直したりするものなどがそうです)があります。
コンクールの審査結果は形成的評価ではないのですが、大事なことは、評価は評価される者にとって、次への活かし方を考えさせてくれたり、今後の活動への動機(モチベーション)を与えてくれたりするものだということです。
さらに、評価はもちろん恣意性のあるものであってはいけません。評価された側の人が、ある程度評価に至るプロセスを知ることができるというのは、被評価者の納得や理解を得るためにも、評価者にとって評価を厳密にしなければならないことを再認識させてくれる戒めとしても重要です。
もちろん、実際に評価をしていらっしゃる審査員の方々は全力を尽くして評価をしてくださっていると思いますので、根拠のない審査をしていると糾弾したい訳では全くありません。評価の根拠を明らかにする=講評コメントを書く制度にした方が、評価者と被評価者のコミュニケーションがより明確になり、かつ被評価者も結果やコメントを今後の活動に生かせる=教育的効果が高いと考えます。

以上の点から、
1.理事長と出演団体の指揮者両方を行うという構図を無くす
2.全国大会の審査制度を得点制に戻す
3.支部大会等や他コンクールで主流であるように講評コメントを書く制度を採り入れる
という全国大会に関する三点の変更により、日本において教育に寄与してきた吹奏楽は、さらに教育に資するものになることができると考えます。

この記事は、変わらない制度を草の根から変えていく一助になればという思い、またこれを叩き台にしてより良いコンクール・吹奏楽教育を考えていくきっかけになればという思いで書きました。
中々疑問に思っていても、詳細に考える時間は取れない方が多いかと思いましたので、半日かけて書き上げてみました。

吹奏楽に関係ある人たち・ない人たち広くに問題意識が行き渡ることを願います。

立場上自身直接発言できない関係者の人たちも、拡散・共感・批評などの形で広めてくださることを願います。