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R.I.P. 翻訳家 天野健太郎

2018年11月12日に永眠した
華文文学の邦訳・出版に尽力してきた
翻訳家―天野健太郎さんに
敬意と感謝を捧げる

日本語に訳された物語がすらすらと

天野さんを知ったのは2015年に呉明益(ご・めいえき)さんの『歩道橋の魔術師』(白水社)の邦訳が出版された時だった。3日連続の刊行記念イベントは大盛況に終え、天野さんは通訳したり、聞き手を務めたりしてた。

恥ずかしいことに、私は台湾人でありながら、当時既に台湾の人気作家である呉明益さんの作品を初めて読んだのがこの邦訳の『歩道橋の魔術師』だった。いまは無き、1992年まで台北に位置した「中華商場(ちゅうかしょうば)」を舞台に、歩道橋でマジック道具を売る魔術師の物語を始め、9つのストーリーを短編で描く作品だった。

(表紙写真は出版社HPより引用)

自分でも不思議に思っていたが、読むと内容がすらすらと入って来て、まるで普通に最初から日本語の小説を読んでいるようだ。これは間違いなく、天野さんの訳文が呉明益さんの物語の魅力を最大限にしたのだ。

台湾文学の「入門書」を作った

本を読むのが遅い自分は何かを語れるほど本は読めていないが、『歩道橋の魔術師』に出会うまで、わざわざ中国語原作のものを日本語で読む必要などないけど、翻訳が気になり、色んな本を邦訳で読むこともしばしばあったが、読んでいていつもどこかぎこちなかった。翻訳だから仕方ないと思った。そんな中、気持ちよく一冊の「小説」として楽しめた邦訳は『歩道橋の魔術師』が最初だった。

イベントで聞いた話によると、呉明益さんには他にもっと評価の高い作品もあるが、長編が多いのだ。読者に浸透するには気軽に読める『歩道橋の魔術師』で日本の市場に入らなければという天野さんの見解で『歩道橋の魔術師』を最初に選んだようだ。

その選択に私はとても感謝している。失礼かもしれないが、台湾文学においてとても良い「入門書」が出来上がったのだ。台湾好きがもっと台湾を知りたい時や、台湾好きじゃなくてもおすすめの台湾の本を聞かれる時、まず『歩道橋の魔術師』の名を上げてきた。

「もっと台湾」と
「台湾カルチャーミーティング」

『歩道橋の魔術師』以降、天野さんの活動を注目するようになった。色々調べると、台湾の本を日本に紹介する「聞文堂」の代表であり、「もっと台湾」というサイトを運営していた。日本での翻訳出版に繋ぐため、台湾文学を紹介したり、試訳の一部を掲載してみたり、その努力の痕跡を窺える。あたりまえだけど、こういうのを見ると台湾人として喜ぶよね。

そして、2016年より東京虎ノ門に位置する台湾文化センターで天野さんが企画する「台湾カルチャーミーティング」が始まった。題材は文学に偏ることなく、建築や音楽と食文化もテーマにして、関連する台湾の方を招いて開催した。2018年までまる3年、ゲストの作品の邦訳有無にかかわらず、日本に知ってもらうことに力を入れてきたのだ。

亡くなられる10日前の11月2日には、特別編として東山彰良さんを招き、『僕が殺した人と僕を殺した人』三冠受賞記念トークの聞き手を務めた。ユーモア溢れる東山さんとのトークが弾んで盛り上がる一方、天野さんの憔悴とした姿が気になるのはその場にいた人たち皆一緒であろう。

「本は面白いことに、台湾好きじゃない人も読める」

「台湾カルチャーミーティング」に足を運んでいるうちに、天野さんにも顔を覚えられるようになった。2016年の秋、私が当時参加しているほぼ日の塾(第2期)の課題に天野さんと『LIP』編集長の田中佑典さんの対談を企画し、それに快諾してくれた。

対談当日、用意したレンタルスペースにやってきた天野さんは帽子とサングラスにマフラーと、個性的でおしゃれな格好だった。この時はまだいわゆる「肉付きがいい」時だった。初めて対談を自分で仕切る私の緊張をほぐしてくれる訳もなく、田中さんが来るなり対談に入った。

対談は無条件に面白かった。
そして出来上がったのはこちら:

もっと良くできたはずという悔しさはいまも抱いているが、天野さんは公開時に「よくまとまったと思う」とツイートしてくれたのは嬉しかった。(2年前のツイートに遡れず、このようなことばだった。)

対談の中で、印象に残った天野さんの言葉があった:

(対談より一部抜粋)

本は面白いことに、
台湾好きじゃない人も読めます。

台湾ブームはあるけど、それは半分であって、
おそらくもう半分の読者は
「台湾は知ってるけど、
 別に行かない。
 でも本は面白そう。」
という方なんです。

本はちゃんと最初から最後まで、
一つの世界をまとまったものなので、
全然関係ない人も読めます。

台湾のためではなくて、
面白いから読む人が結構多いです。
それは、面白いですね。

そうか、天野さんは台湾が好きで台湾のために翻訳するだけではなく、その作品が面白いから日本に紹介したい、だから翻訳しているのだ。

文学研究専攻出身の私はなんとなく文学に高い価値を付けたがってて、台湾文学で日本に紹介する行為、もしくはとある言語の文学をもうひとつの言語に訳す行為はきっと学術的意義があると思い込んだ。

でも一冊の本の中で一つの世界がまとまり、翻訳とはいえ、作品自身の魅力を最大限にして読者に届ける。その翻訳家としての責任感とプロ意識を天野さんはしっかり持っていた。

反感を買っても、尊敬すべき翻訳家だ

天野さんの訃報を受け、呉明益さんがFacebookに中国語3000字近くの投稿をした。その投稿には天野さんと知り合って以来のことが書かれ、読者に見えない翻訳家天野健太郎の努力があった。呉さんは原作者でありながら、翻訳者が自分以上に丁寧に原文を分析したことに驚いたようだ。特に『自転車泥棒』は単純に中国語だけでなく、台湾の方言の部分。あるいは中国語ではものごとの度合いを特に分けないが、日本語では細かく分ける文章。時には場面の雰囲気をつかむために細部まで呉さんに確認したようだ。

天野さんが翻訳においての疑問を呉さんへの確認が9月頃とのことだが、8月に天野さんは既にその内容を日本にいる台湾人に確認の聞込みをした。すべてはもっと適確に翻訳するためだった。(私もその時少しだけ協力したが、本当に細かく聞かれていた。)

一方、天野さんのぶっきらぼうなところや出版において主流と異なる考え方が周りの反感を買ったことも呉さんの投稿にあった。天野さん関連のトークイベントに参加した経験方は分かると思うが、「ぶっきらぼう」、確かにその言葉通りの人だ。でもそんな天野節も含め、私は翻訳家天野健太郎を尊敬しているのだ。

文学に限らず、日本の本が台湾に翻訳されることが多すぎるぐらいだが、逆に台湾の本の日本邦訳を出版することは本当に難しかった。天野さんのようにしっかりと考えを持つ方と、日本で出版の契約をこぎつけた太台本屋 tai-tai booksの黃碧君さん(=エリー店長)のような情熱のある方がいなければ、台湾文学が日本語に翻訳されることはいまよりも少なかったのであろう。

人々は翻訳者を憶える

呉明益さんの投稿では、天野さんが訳者について嘆いていたのも記された。

「訳者は著者の陰にいる人物で、いくら良く訳しても、それは著者が傑作を書いただと思われる。でもしくじってしまうと、著者と違って、訳者はシビアな出版市場と向き合わなければいけない。」

「他感歎譯者就是在作家身後的人物,譯得再好,讀者也認為是作者寫得好的緣故。但一旦失敗了,和作者不同,他們得面對無情的市場。」

(原文は呉明益さんのFacebook投稿より引用、訳文はQによるもの。)

でも呉さんは言う、『歩道橋の魔術師』も『自転車泥棒』も、天野さんとの共作であって、天野さんの嘆きは間違いであり、「人々は翻訳者を憶える(人們是會記住譯者的)」のだと。この一言はユーザーの大きな反響を呼んだ。

勇気づけのメッセージ

少し脱線になるが、翻訳について天野さんの考えを窺える文章はここにもあった。クラウドファンディングが成立し、2019年4月にサウザンブックス社より刊行予定の台湾書店を紹介する本――『書店本事』の翻訳に天野さんも参加する予定だった。翻訳・出版の現実面も踏まえつつ、発起人と応援者に勇気づけるメッセージだったと思う。

最後の最後まで

(表紙写真は出版社HPより引用)

天野さんの最後の訳作となる呉明益さんの『自転車泥棒』が11月7日に発売し、本屋に並ばれ始まり、天野さんはいつもの如くツイッターで関連ツイートを見つけてはリツイートした。そして、最後の投稿は11月8日のこのツイートだった。

少し前まで香港ミステリー作品『13・67』仕様の「もっと台湾(ちょっと香港)」のユーザー名を変えたのだ。このアカウントの天野さんの気ままなツイートを読めなくなるのを考えると悲しくて仕方がない。

歩道橋の魔術師が帰ってくるが、天野健太郎という翻訳の魔術師は永眠した。

この道は続く

『自転車泥棒』の刊行に伴い、今週末11月17日(土)に台湾文化センターで刊行記念トークが予定されている矢先に天野さんが亡くなられたことに、呉明益さんも読者も残念がっているが、一番残念に思うのはやはり天野さんではないかと思う。

私は出版について全く知らないだが、台湾の本を日本語の読者に紹介する新たなる1ページを作ってくれた天野さんと、当初天野さんに「聞文堂」を作ろうと提案した黃碧君さんに私はとても感謝しているし、応援したい。きっと私と同じ気持ちの方は多いと思うし、この道はこれからも続くと信じる。続けなければいけないと思う。

もともと人が亡くなられてからその偉業を謳うのも追憶するのも、良し悪し問わず、「故人の何を分かっているのだ」と思ってしまうため、追悼文を書くことにあまり気が向かないが、訃報を受けてから数日経っても気持ちが落ち着かず、書かずにいられなかった。

「まあ、いいんじゃない?好きのように書けば?」と、鼻で笑いながら天野さんが言ってくれるのを勝手に想像し、2日間かけて書いてみた。

話が盛り上がる時のあのくしゃっとした笑顔をもう一回見たいな。
天野さん、あっちでも自由気ままに色々論じて語ってくださいね。

改めて、謹んで心よりお悔やみ申し上げます。


<関連note>

作家の李琴峰(り・ことみ)さんもnoteで追悼文を上げた。『自転車泥棒』の「訳者あとがき」の文章や「命を削る翻訳」について、共感した。是非ご一読を。


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