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なぜサッカーファンは審判を責めるのか?

いえ~い、みんな今日も審判の悪口言ってる~??

サッカーと言えば勝敗はつきもの。そこに大きくかかわっている審判の判定については、我々サッカーファンは常に文句を言ってきました。こっちのファウルだけ取る、相手のハンドを見逃す、さっきの失点はオフサイド、ジェフをJ1に昇格させてくれない、などなど、口を開けば審判をあげつらっています。朝飯の前に文句、昼飯に罵倒、夜寝る前に思い出して誹謗中傷をして、寝言で悪口を言っているパターンも。審判は試合を成立させるために必須の構成要因であるにもかかわらず、彼らを明確な「敵」として認識している人も存在します。

普通の人にとって、サッカーファンの印象が「何かに怒ってる人たち」で固定されてる場合もけっこう多いんじゃないでしょうか。その印象はある程度間違っていません。サッカーファンは怒っています。そして、けっこうな確率で審判に怒っています。

もちろん、全然そんなこと言わないサッカーファンもいますよ。そして、他のスポーツでも当然審判に文句を言っている人もいますし、神宮球場で「審判やめろ~!」と試合中ずっと叫んでいるおっさんも見ますし、球審の白井さんは毎回ガチギレしています。ただ、応援団体全員で審判にブーイングをするなど、サッカーのほうが野球やバスケなんかよりも審判への圧力が強いように感じます。

では、サッカーファンは審判への攻撃性が高い異常者が集まっているということでしょうか?その可能性も考えられますが、統計的に考えるとなんかおかしいですよね。あるいは、逆にサッカーの側に審判への憎悪を増幅させる理由があるのでしょうか。だとしたら、サッカーファンの友人たちを見ていると「私以外は全員異常者だな」と思うのですが、彼らはただの犠牲者かもしれません。

というわけで、サッカーでなぜ審判批判が苛烈になるのかについて、サッカーという競技の特性から考えてみました。「審判の質が日本では低いから批判するんだ!」という人もいるかもしれませんが、ここでは海外と日本の判定の質は問わないこととします。理由は、もちろん海外にも優秀な審判がいますが、マテウ・ラオスやジョナサン・モスやマイク・ディーンが普通に審判しているリーグが全員高レベルだとは思えない上に、海外でもむちゃくちゃ審判に文句言ってるからです。


サッカーという競技の特徴

身体接触が非常に多い

ご存じの通り、サッカーは身体接触が非常に多いスポーツです。バスケ、ラグビーなども身体接触がサッカーよりも多いじゃないか、と思うかもしれませんが、ここで「多い」というのは、テニス、バレーボールなどと比べて、ということです。身体接触を伴う判定は、個々人の体の使い方や接触の有無など、処理すべき情報が多く非常に難しい判定となります。また、それは素人目には「ファウルのあり、なしのどちらとも取れる」という状態でもあるため、身体接触の判定機会が増えれば増えるほど、観客の不満は増大していきます。

ほぼ格闘技

ルールが複雑で理解が難しい

サッカーのルールですが、非常に難解です。まあ、「Ineligible receiver downfield(無資格捕球者 (ineligible receivers)のダウンフィールドへの侵入)」という法律用語としか思えない反則があるアメフトよりは遥かにイージーですが、それでも他のスポーツと比べると難しいルールが多いと言わざるを得ません。オフサイド周りの複雑さは言うまでもないことですが、毎年のように変わるハンドの解釈は選手や記者でもきちんと理解できている者は少なく、いわんや一般人が理解することはかなり困難だと言わざるを得ないでしょう。陰謀論なんかにも多いのですが、知識の不足=なんかズルをしている、という認識に陥りやすくなります。

フィールドが広い

サッカーは他の球技と比べると、かなりフィールドが大きいです。同じ規模のフィールドで少人数でやっている審判はラグビー、ラクロスくらいでしょうか。105×68mの範囲を、VARを除けば1人の主審と2人の副審でカバーするのはかなり大変です。アメフトも同規模の広さですが、審判は7人もいますね。この広さのフィールドに対して少ない人数で審判を行うと、先日の町田VS秋田戦の超ロングシュートのように、「審判が判定することが物理的に不可能」という場面が起こる可能性が高くなります。(32秒頃)

なお、野球も広いですが、サッカーなどのように常時身体接触を伴うスポーツではないので、判定のほとんどはストライク or ボール、ホームラン or ファウルの有無、アウト or セーフの状況に限られるため、難易度は比較的下がります。

高速の動的な状態での判定が多い

フィールドが広い上に、プレースピードがかなり速いのがサッカーです。そのため、審判も高速移動をしながら判定を下すことが多くなります。一般的に言って、高速状態で物事を判断することは、低速で判断をするよりも難易度が上がりますね。テニス、バレーボール、野球などはかなり静的な時間の長いスポーツなので、審判の負担はサッカーよりも軽いはずです。バスケも速いですが、コートの広さはサッカーの比ではありませんし、ラグビーもサッカーほどのスピード感はありません。ラクロスは知りませんし、クリケットも知りません。

審判の解釈による部分が大きい(ように見える)

たとえば、ハイボールに対しての空中戦で、ボールに対してではなく相手選手にのしかかるようにジャンプしたら反則になるのですが、ここで「どれくらいのしかかったらファウルになるのか」は主審の裁量にかなりの部分が任されているように見えます。ハンドの「意図的に手を使ったかどうか」というのもそうですね。実際には、ある程度きっちりとした基準があるのですが、それは見ている素人にはわかりません。そのため、同じ(ように見える)プレーでも、ある審判ではファウルやハンドになったのに、別の審判ではそうならなかった、あるいは同じ審判だったのに判定が逆になったという風に我々には見えます。これは、バスケのファウル、野球のストライク or ボールや、ラグビーのノックオンなど、他のスポーツでも同様の構造となっている判定が大なり小なりあるかと思いますが、サッカーは特に反則周りはかなり広範囲で審判の解釈に委ねられているという共有感覚(共有幻想)があります。

これは解釈の余地なし

得点数が少ないため、1つの判定が勝敗に与える影響力が大きい

メジャースポーツの中で最も得失点の数が少ないのがサッカーです。0-0で終わることがそれなりにレアケースではないスポーツというのが、他に思い浮かばないくらいです(野球はたまにある)。そのため、1得点の価値というものがかなり大きく、失点のダメージが致命的な場合が多いことになります。高速、審判の裁量が大きいという特徴が被るバスケは、得点数・得点機会が多くなるため、自然と1つの判定の得点に対する比重というものはサッカーよりも減少しています。もちろん、勝負どころのラストプレーなど、場合によってはサッカーを超えることもあるかと思いますが、それでも全体としては、判定が勝敗にダイレクトに影響を与えるのはサッカーのほうに軍配が上がるかと思います。ラクロスについては知りません。

試合数が少ないため、1つの判定がシーズン全体に与える影響力が大きい

野球、バスケなどに比べると試合数が劇的に少ないです。そのため、1試合の価値というものは自然と上がると同時に、その勝敗に影響を与えるジャッジの価値も爆上がりします。試合数が多いと、判定が不利に働いたとしても、別の機会では有利に働くこともあったりして、1シーズンの中で結局実力通りの成績に吸収されていくんですよね。サッカーだと試合数が少ないので、同一シーズンには収支が合わない可能性がけっこうあります。数シーズンの長期的な視点では判定の有利不利はトントンだと思うのですが、それで均衡化されたとしても、納得感は薄くなりますよね。

昇格・降格制度が基本的にあるため、1つの判定がクラブの将来に与える影響が大きい

基本的にサッカーの主要リーグでは昇格・降格制度があります。1試合の勝敗に与える影響もそうなのですが、シーズンが終わったときに昇格・降格があることで、1つの判定がクラブの昇格・降格・残留の道を分けてしまうように見えてしまうことがあります。よくよく考えたら「そうなる前にちゃんとせえよ」という話なのですが、実際目の前の判定で降格が決まってしまったら、そんな理性的なことは考えられるわけがありません。この制度があることが、アメフトなどのアメリカンスポーツとサッカーの大きな違いですね。ちなみに、この降格がないというのはかなりファンの心に余裕を持たせる制度です。20年以上NFL激弱街道を驀進するニューヨーク・ジェッツのファンでさえ、特に暴動などは起こしていません。サッカーだったらバス囲み50回くらいしてると思います。

これが審判のPK判定の結果だとしたら?

判定に抗議する態度をよしとするカルチャー

サッカーにおいて、選手が判定について審判に抗議するのは日常の風景です。そのため、ファンが審判の判定にスタジアム全体でブーイングなどで意思表示をする機会も極めて多い。ラグビーは基本的に審判と話すのはキャプテンだけだし、野球は過度な抗議は即退場の流れがあるので、こうまで抗議が容認されるスポーツもなかなか珍しいかと思います。逆に判定に抗議しないと「勝敗に興味がない」とみなされちゃうことさえもあります。アメフトとかバスケもサッカーに近いですね。ただ、基本的にアメリカのNFLとかNBAってサッカーのように応援を集団でやることが少ないので、判定に対してスタジアム全体でのブーイングはあるんですけど、それが継続的に続く状況ってそんなにないんですよね。Bリーグは割と応援が一体となっていますが、コールリーダー不在でチーム側が応援をコントロールするので、審判に矛先が過度に向かない構造になっています。

だいたいどのスタジアムにもいるおじさん

サッカーファンが審判を責めるメカニズム

まとめると、サッカーの審判の競技面での特徴は「広いフィールドで行われ、身体接触が多く、展開が早く、複雑なルールを持つ競技を、3人という少人数で状況を解釈し、判定を下す」ということになるかと思います。めちゃ大変ですね、このスポーツの審判。

このような特徴を持つスポーツで判定をすると何が起こるでしょうか。まずは、いわゆる「誤審」が起きやすくなります。前述の町田VS秋田のロングシュートなんかは「物理的に無理」というものの代表的な例ですが、その他にも「展開がスピーディーすぎて物理的には追いついてるけど処理しきれない」というのもけっこうあるはずなんですよね。

ただ、それでも、明らかな誤審というのは、めったに起こるものではありません。起こったら目立ちますが、明確に誤審と言えるものは判定数の割合からしたら本当にごく少数でしょう。そうすると、じゃあ我々は何を誤審とかひどい判定と呼んでるのか。それは、明らかな誤審と完全に正しい判定の間の「反則と言われたらそうかもしれないんだけど、審判によっては反則を取らない(ように見える)」みたいなゾーンで、その中で自分たちのチームに不利な判定を「ひどい判定」と呼ぶことがあるんですよね。

接触やそういう場面で自分が応援するチームに不利なジャッジが下ったとしたら、思わず「ひどい」と言いたくなりますよね。私も言いたくなりますし、実際にスタジアムでは「ファウルじゃないだろ」「審判団は片眉を剃り落として高野山で山籠もりしろ」と言ったこともあります。しかし、実際に現地でリアルタイムで見たらあからさまに贔屓しているように見えても、後で映像を見返してみると、本当にどっちとも取れるものだったり、ああこりゃ審判が正解だわ、となったりするんですよ。審判の間ではある程度明確な基準があるんだから、当然と言えば当然です。でも、我々観客にはそれが瞬間的にはわからない(後から見てもよくわからないことも多い)。

で、これが「得点・試合数が少なく、昇格・降格制度があるため、1つの判定の影響は大きい」という特徴と合わさると、悪魔合体してとんでもない凶器と化します。得点数が少ないために1つの判定が試合に与える影響力が爆上がりし、さらには試合数が少ないためにそれがシーズンに与えるダメージが増大し、ひいては昇降格制度があるためにチームの将来に与える震撼が全米級になります。「あー、あの判定がシーズンを分けたなあ」「あの判定なけりゃ今頃はJ1に」なんてことを思ったことがある人もいるんじゃないでしょうか。

このどちらとも取れる(と見える)判定と、そのチームに与える重要性によって、「クソ判定だ!」と言ってしまう準備がしっかりと整います。そして、最後に後押しするのが「審判に抗議することが推奨される」カルチャーなんですよね。サッカーでは、ほとんどの選手が審判の判定について異議を表明します。南米の選手なんて、あからさまに自分のファウルでも「抗議しないなんて逆に損」くらいのレベルで、文句言ってます。むしろ、「審判に抗議しないのはやる気がない」くらいの雰囲気。選手がそうなら、自然と観客が文句を言うハードルも下がりますよね。

さらに、審判に対しては、自分たちの選手よりもはるかに文句を言いやすいんですよ。あからさまに選手が悪くても、そこはファンだと中々言いづらいじゃないですか。でも、憤懣やるかたない気持ちは止まらない、誰かに何かを伝えたい、そうなったときの恰好の相手が審判なんです。選手が審判に文句を言ってるんだから、私たちもいいじゃない!Do しちゃおうよ!となってもおかしくはありません。集団心理も影響してますね。みんなが抗議してるのなら俺も抗議する!私もブーイング!なら私は公務員!(本気になったら大原)となるのは当然でしょう。

毎試合ある光景

さらに悪いのは、今がSNS時代だということです。ちょっとしたミスとも言えないような判定や、明らかに物理的に判定することが無理という状況でも、背景を伏せて切り取ってSNSで拡散すれば、あっという間にそれは「誤審」として定着します。そして、いったん「誤審」の審判だと名前が広がると中々払拭することはできません。スタジアムで審判名が発表されたときに、「えー、〇〇かよー!」みたいな声を聞いたことがあるかと思います。その審判が具体的に何をしたかは全く覚えてなくても、なんとなく「誤審をした審判だ」みたいな印象だけは刷り込まれてるんですよね。そういう先入観のある審判が圧倒的に正しい判定をしていても、すべて疑わしくなってしまいます。人間は先入観と偏見の塊なので、ピエール瀧が白い粉を鼻から吸いながら「これは小麦粉だ」と主張してもおいそれと信用できないのと一緒です。

そして、このような要因が堆積していって、気づいたら、我々は「誤審だ!」「ファウルじゃないだろ!」「クソ審判!」「バイデンの中身は実はトランプ!」と叫んでいるわけです。

以上が、サッカーファンが審判に文句を頻繁に言うメカニズムです。もちろん、口汚い攻撃やヤジを擁護するつもりは一切ありませんし、言っていいと肯定するわけでもありません。ただ、サッカーは競技的な面・文化的な面から審判を批判の対象とすることへの躊躇があまりないスポーツであって、決して攻撃性の強い人間が集まった異常な集団というわけではないのです。

今後はどうなっていくか

サッカーに馴染みのない人はなぜこんなにみんな審判を批判するのかと不思議に思っていたかもしれませんが、こういう仕組みなんですよね。まあ、仕組みがわかったからと言って、はたから見たら異常な光景だというのは変わりませんが。

ただ、昨今では、審判自身や審判資格を持ったファンが啓蒙することで、審判の判定に対する正しい理解が広まってきた感もあります。わけわからん判定だ審判辞めろ辞めろ辞めろうおおおおおおおお八百長だあああああ国会は解散せよおおおおおおなんて思ってたのに、「ジャッジリプレイ」とかTwitterの識者に丁寧に解説されているのを見ると、おお、そういうことだったのかなんて納得してしまうわけですよ。

VARもそうですよね。試合の中でリプレイが行われることによって、判定が「ただの結果」から「検証可能なもの」になりました。賛否両論ありますが、審判も間違うし、それを是正することができるという共通認識を持つことができましたよね。判定が覆った場合には「やっぱ審判だめじゃねーか」という晒し上げになってしまう感もありますが、それよりも「審判は完全ではない」という認識によって、審判を人間として扱う一助となっているかと思います。また、三笘の1ミリでも有名なゴールラインテクノロジーによる機械的な判定も「機械がそう言うんやからしゃーないな、阪神優勝や」となって、割と納得してますよね。

うわあ…これが宇宙の真理かあ…

じゃあ、判定への理解が進むと、審判への批判は弱まるか?というと、それはないと断言できます。今まで見てきた通り、競技的な構造・カルチャー的に、審判への攻撃が弱くなる要素がありません。サッカーファンは審判に文句を言いたくなる状況に置かれていますし、審判のせいにしておけば、目の前の悲惨な試合結果と自チームの惨状から目を背けることができるんですよ。相手も反撃して来ないですしね。やらないわけがないじゃないですか。

しかし、最近ではスタジアムでの差別行為や暴力行為は厳罰に処される方向性になっています。また、SNSでの誹謗中傷などもあっさりと法的手段を取らせれることが多くなってきました。審判は立場上法的手段を取ることが難しいですが、過度の誹謗中傷によってはあり得るかもしれません。これはサッカーだけには限らないと思いますが、一時の興奮で罵詈雑言を吐き、人生にとんでもない悪影響を与えてしまう可能さえもあります。頭に来てカッとなったときには、この文章を少しでも思い出して、自分は今コントロールを失おうとしていることを自覚し、ゆっくり大きく息を吸いましょう。長期的には誤審による損得はプラスマイナスゼロになると思いますし。

そして、それでも収まらないときは全力で審判を罵って、すべての責任は自分で取ってください。

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