とりとめもない日記。ストリップに通うきっかけ。縁のはなし。

ぼくの好きな音楽家がいなくなってしまった。 遠藤賢司さんがいなくなってしまった。(言い慣れているエンケンさんという書き方にしますね。)

ぼくがエンケンさんのライブに初めて行ったのは、渋谷クアトロで。確か『エンケン対日本武道館』という映画が上映されて間もない頃だった。(2009年頃?)  初めてのライブの終演後ぼくはエンケンさんに打ちのめされて、興奮がままにアンケート用紙ビッシリに感想を書いていた。 しばらくすると「すごい感動されたんですね。」と男の人に声をかけられた。 興奮真っ只中のぼくは感動のままをその人に話し、その人はうれしそうに僕の話を聞いていた。同世代の様だけど、ずっと以前からエンケンさんを追いかけている方のようだった。 それからエンケンさんのライブ会場で毎回のようにその人と会い、飲みに行くような仲になった。 自家製のエンケンベストをもらうこともあった。 ここまでは、エンケン友だちが出来たのお話。 

それから数年後、そのエンケン友だちがTwitterの別垢でストリップ劇場のことをよくつぶやいているのを知る。 『お熱いこと。』そんな風に、別世界のことと思ってたまにその垢も覗いていた。  そしたら2015年4月くらいかな?『たなかくんみたいな、漫画描いたりしてる人だからこそ、ストリップを観て欲しい。 5月に凄い踊り子さんが引退する。その人を是非観て欲しい。』 そんなDMが来た。   

レポ漫画には、ストリップ劇場に初めて行ったのは2015年5月と思えるような書き方をしているけど、実際は数年前にも行ったことはあって。 その初めての時も感動して。その後友人を誘って行ったりもしていた。

ただ、通うことはなく、あんなに感動したはずなのに、エンケン友だちに誘われる頃にはとってもストリップが近寄りがたい敷居の高い世界になっていた。 入場料のこともあったと思うけど、そういうのって熱意や好奇心の下にはあんまり関係ないし。今となっては、お祝いの花が並ぶ劇場の入口やポラなど常連さんと踊り子さんの関係性に一見のぼくは尻込みしちゃったのかな?と思う。 

2015年5月。 ストリップ的に言うと5結。 『金は出すし、分らないことはエスコートする。この人が引退する前に観て欲しい。 とにかく1度でいいから来て欲しい。』 決して諦めないエンケン友だちの誘いに、そこまで言うのなら。。。押しに負けてその踊り子さん、HIKARUさんの引退興行(引退興行週であってこの日が引退日ではないです。)のしている川崎ロック座というストリップ劇場へ行った。 現地集合、中ではもうショーが始まっている。 自分が入った時間はフィナーレという全員集合ダンスの時間でした。 6人横に出演の踊り子さんが並んでいて、どうもその中でどこかひっそりと端に寄っている女性がHIKARUさんのようでした。 第一印象は、その6人の中で目立った存在には映りませんでした。

6人が順番に踊る。 どの人も個性があり、生々しい生きている肉体の実感と儚なさ、そこに場内の異世界さ、シュールさも相まった時間が過ぎていく。『僕と同じ肉体を持った人間が目の前で汗を流し、横隔膜を揺らし、ピンク色のライトの下に青色の静脈を浮かせ生きている。』 ひとりひとりに感動していたのを覚えています。  友だちが言うにはHIKARUさんは、(1日4ステージの中)3演目ほど出しているようで。今日するか分らないけど、中でも『花魁の演目』をたなかくんに観て欲しいと言う。 『どうもぼくが思ってるストリップと実際のストリップは違う。。。』そんな思いが既に強く芽生え、エンケン友だちの感性を信じて次の回も観ることにする。 次の回も、どの方も先程と違うステージを見せてくれた。 めくるめく竜宮城感。そして、次の回だったか。その次の回だったか。 HIKARUさんは『花魁』を演る。 

パッとピンスポットが当たった大きな盆の上には、ひとりの女性が立っている。HIKARUさんであって、ライトの上でそうでない、一人の女性という認識。 それが、女性の佇まいや流れる音楽によって、身売りされた少女と分る。 『花魁』はストリップ劇場で観ているんだけど、東北の少女が身売りされ、花魁になるまでの女の人生の走馬燈をその時代に実際行って見ていた感覚になった。ストリップ劇場の中にいることを忘れるくらいに彼女の居る世界にぼくも居た。 比喩とか例えでなくて、本当にそこでひとりの女の走馬燈を見たんだった。 今思い出しても、演目を見たのと違う認識がある。

その数日後、HIKARUさんが引退作を出し始めたと聞き、川崎ロック座に再び駆けて行った。  

今の僕やこの日より前の僕ならまた違うのかもしれないけど。その日『花魁』を観たことで、ストリップは特別なものになった。 女の嫌ったらしさや、下品さ。 人のたくましさも性も。 ストリップじゃないと言い表せられない美しさがあった。少なくとも僕にはそう感じた。いや、もう、また観たくて、何度も観たくてしかたがなくなっていた。たまらなくそのことばかり考えるようになっていた。

そして引退作を観た時、自分の身体中の血液がゴボゴボと沸騰して、血も内臓も身体から本当に飛び出すんじゃないのか?という体感を体験した。本当に身体が破裂して死ぬと引退作を観ている時に思った。いやマジで。体調不良とかじゃなく。明らかにHIKARUさんを観ての感動からなんですよ。それは分る。 それは新しい性の扉とかじゃなく、ただただ自分の肉体の経験として、知らない身体の反応があった。 美しいとか良いとかそういうことじゃなくて、初めてのことだからどうもこうも上手く説明ができない。 体験したことのない自分の身体の反応の怖さよ。。。そういう経験をした。  

そしてぼくが追う時間もなく、HIKARUさんは引退してしまった。


それから様々な踊り子さんを知り、劇場を知り、ストリップの常連さん、応援さんを知った。 僕の知らない場所で、こんなに少人数の観客の前で身体だけじゃない、裸を晒している女の人たちとそれを支える人たちを見た。

あの日渋谷クアトロでアンケートをびっしり書くぼくに、エンケン友だちが興味を持って声をかけていなかったら、ぼくは今ストリップ劇場に行っていなかったと思う。 そういう縁のお話。


エンケンさんは、みそ汁の中にも宇宙があるというようなことを言っていた。 性風俗も芸術もひっくるめて、誰かにとっての日常であって。この世にある全てのものは誰かにとっての自分事だもんなぁ。 そう、思う。




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