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2.雲形池 鶴の噴水

■開園120周年を迎えた日比谷公園

1903年(明治36年)に開園した日比谷公園は、今年120周年を迎えた歴史のある公園である。もともとこの場所には、江戸時代には大名屋敷があったエリアだったが、明治になってからは「陸軍操練所」(のちに「日比谷練兵場」に改称)がこの地にあった。

1886(明治19)年に練兵場が青山へ移転した後、ここに公園をつくるという計画が提案された。1900(明治33)年に、ドイツへの留学経験がある林学博士の本多静六氏に設計を依頼。ドイツの公園を参考にした、花壇や噴水、音楽堂などがつくられることとなった。1902年(明治35年)4月に着工し、翌年6月1日にオープンした。

本多氏はこの仕事の後、北海道の大沼公園、福島県の鶴ヶ城公園、埼玉県の羊山公園、東京都の明治神宮など多くの公園開発プロジェクトに関わり、「公園の父」と呼ばれるようになった。

■開園後の日比谷公園

開園してすぐに、松本楼や植木屋などが公園に出店。1905年(明治38年)に野外音楽堂(現在の野外小音楽堂)が完成。1923年(大正12年)には野外大音楽堂が竣工し、こちらは今年で100周年を迎える。

関東大震災によって、小音楽堂や松本楼などが倒壊。仮設住宅が建てられ、被災者が一時身を寄せた。第二次大戦中は軍用地となり、金属回収のため外柵が徴収され、花壇でジャガイモが栽培された。

戦後、日比谷公園の一部は連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)によって接収され、雲形池はダンス場になった。1951年(昭和26年)接収が解け、その年に第1回野外創作彫刻展が開催された。

1957年(昭和32年)に日比谷図書館が再建され、2011年(平成23年)に東京都から千代田区へ移管された日比谷図書館が、「日比谷図書文化館」として開館。

現在、2033年の開園130周年に向け「グランドデザイン」が発表され、公会堂の改修、野外音楽堂の建替え、皇居周辺との連携などが検討されている。

■雲形池と『鶴の噴水』について

第一花壇、心字池、首賭けイチョウなどとともに、開園当初の姿を残している雲形池。読み方は「くもがたいけ」。ふわふわと形を変える千変万化の雲のように、歪みやたわみをもつ形を表してこの名前がつけられたとのこと。

この池にある『鶴の噴水』は、戦時中に水を抜かれた際に噴水も撤去されたが、戦後戻ってきた。ただし、台座は銅製から石造りに変わっている。公園の装飾噴水としては、日本で3番目に古いものとされる(1番目は長崎の諏訪神社、2番目は大阪の箕面公園)。

『鶴の噴水』は、開園から3年後の1905年(明治38年)頃に東京美術学校の津田信夫氏と岡崎雪声氏によってつくられたとされる。日比谷公園を設計した本多静六氏の和魂洋才の精神を感じることのできる、公園のシンボルのひとつである。

■参考資料

1.見どころ|日比谷公園|公園へ行こう!
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/view037.html
2.「日比谷公園」の歴史 ~ 日比谷・有楽町
https://smtrc.jp/town-archives/city/hibiya/p02.html
3.日比谷公園の沿革
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000029334.pdf
4.千代田区民ニュース 日比谷公園
http://hotyuweb.starfree.jp/hibiyapark/hibiyapark2.html
5.都立日比谷公園(Hibiya Park, Tokyo) 園長の採れたて情報
https://twitter.com/ParksHibiya/status/1281779875951464449


「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。