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世界の覇権国アメリカの財政と今後の世界経済の展望

 


基軸通貨ドルの歴史について

一般的に、アメリカは世界最強の国であり、現代において覇権を握っていると認識されている方がほとんどであると感じます。しかし、実際のところはどのようになっているのでしょうか。 
 まず、世界の基軸通貨がドルであるということは、一般に広く知られています。これは、アメリカが世界経済における盤石の地位を築いていくために必要なことです。では、いつからドルが世界の基軸通貨で、どのように現在の状態を作り上げていったのでしょうか。
 第二次世界大戦以降、米国がある政策を行いました。それが「ブレトンウッズ体制」です。以下はそのわかりやすい説明です。

ブレトンウッズ体制とは、第二次大戦後に米国を中心に作られた、為替相場安定のメカニズムです。1944年、米国にあるブレトンウッズホテルに連合国の代表が集まって決められたので、「ブレトンウッズ体制」と呼ばれています。
これは、第二次大戦の遠因でもあった為替相場切り下げ競争の再発を防ぎ、戦後の復興に欠かせない貿易の円滑な発展のための決済システムを作ろうというものです。基本的には、戦前の金を国際決済手段とする金本位制への回帰ですが、過去と異なる点は、各国通貨と米ドルの交換比率を固定し、ドルだけが金と交換比率を固定するという、ドルを間に挟んだ金本位制です。これを金・ドル本位制と呼ぶこともあります。

ブレトンウッズ体制と崩壊 | 公益財団法人 国際通貨研究所 (iima.or.jp)

 つまり、第二次世界大戦以降は米国が世界経済の主役であり、ドルだけが唯一「金(Gold)」と交換できるようにしました。金の単位はオンスと呼ばれ、1オンス=35ドルというのが決まられ、この時、1ドル=360円でした。

 ところが、1971年に当時のアメリカ大統領であるニクソン大統領によって衝撃的な発表がされました。それが、後に「ニクソン・ショック」と呼ばれるものです。

国境を越えた取引の決済はドルで行われ、海外各国から米国への輸出が増え米国の国際収支が悪化すると次第に米国の金準備は減少し、海外各国が保有するドルの方が多くなっていく。各国の要請に応じてドルを金と交換することができなくなったため、ニクソン米大統領は1971年8月15日、交換停止を発表した。

ニクソン・ショックとは 金とドルの交換停止、変動相場制へ - 日本経済新聞 (nikkei.com)

 これは、米国が貿易において赤字を垂れ流していたり、アメリカの財政が悪化していたため、自らで作ったルールを自らで変え、世界経済に大きな影響を与えました。なぜなら、今まではドルと金が交換できるのでその価値を担保していたのに、いきなりこの時を境にドルと金の交換が停止されたので、ドルの価値を裏付けるものがなくなった大きな転換期であると言えます。しかし、どのようにドルを世界経済の中で流通させることに成功したのでしょうか。

ドルと石油の関係

 先ほど、世界の基軸通貨ドルの歴史について説明しました。これに加えもう一つドルが強者であり続けるものがあります。それが「ドルでのみ石油を変えるものとする」というものです。これを一般に「ペトロダラー」と呼ばれています。その要因について以下のように述べられています。

原油取引がドル建てでなければならないという国際的な取り決めのようなものはありません。原油取引の歴史的な経緯を背景に、慣習上、ドル建てでの取引となっているだけなのです。歴史的な背景としては、①1960年代までは米国を筆頭としたメジャーズ(総合石油会社)が原油取引を支配していたこと、②80年代前半に原油取引のスポット取引が拡大するとともに、価格変動のリスク回避のために先物取引も始まり、その先物市場に主として米国市場が利用されたこと、などがあげられます。また、③世界最大の石油消費国が米国であることも要因と考えられます。

オイルマネーと原油取引のドル建て表示 | 公益財団法人 国際通貨研究所 (iima.or.jp)

 

 自動車や飛行機の燃料、ビニール袋やペットボトルなどの日常生活に欠かせないものをドルので交換できるというのは、それだけ世界経済においてドルの地位が最強であるということがわかります。
 こういったことから、ドルで石油を買うために世界の各国は外貨準備としてドルを保有する流れとなっています。

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