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佐藤友美ヒストリー

このnoteを開設して久しいですが、
今更ながら自己紹介を書いてみることにしました。
ぜひお読みいただけたら嬉しいです。

改めまして、
佐藤友美(さとうともみ)と申します。

佐藤という苗字も、
友美という名前も、
どちらも必ずクラスやコミュニティの誰かと被るくらい量産されているこの名前ですが、とても気に入っています。

そんな、どこにでもありそうな、
でも、わたしでしかない唯一無二の佐藤友美ヒストリーです。

さて、
わたしは一体何者なのか、ということからまずお伝えしたいと思います。

わたしは社会人3年目のときに起業を志しました。
会社員の仕事と起業準備の並行期間を経て、法人化、脱サラしました。

今は、
小売業、
キャリア支援事業、
不動産仲介業の営業代行、
飲食業、
を中心に、その他にも経営者の先輩方にお声がけいただいた事業にも関わらせていただいています。

さらに、仕事をしながら、
パーソナルトレーニングで身体づくりをし、
波がいい時を見計って湘南や千葉でサーフィンをし(冬も)、
ヨガやボクササイズに通い、
かき氷ハンター(冬も)、
月数回は親孝行の家族サービス、
年数回は仕事仲間と旅行へ、
などで充実した日々を送っています。

今となっては、この仕事スタイル、生活スタイルが自分の当たり前になりましたが、昔から独立願望があったのかというと、そうではありません。

むしろ、その対極にいたのではと思うほどです。

じゃあ、なぜ起業したのか?を紐解くためにも、わたしの幼少期から遡ってお話ししたいと思います。

妹なのになぜか姉御肌?な学生時代

父は会社員、母は専業主婦、3つ上のしっかり者の姉の4人家族で育ちました。

父は山形県、母は大阪府の出身、転勤族の父がマイホームを購入したのが千葉県流山市というところです。
わたしが幼い当時は、自然に囲まれた静かな住宅街でしたが、20年くらい前からつくばエクスプレスの開通とともに開発が進み、今では都心部有数のベッドタウンとなっています。子どもを育てやすい街として打ち出していることもあり、地元にいると世の少子化を全く感じないほどです。

さて、小さい頃から体を動かすのが好きだったので、小学校4年生から部活で陸上部に入りました。

陸上以外にも、クラシックバレエ、ピアノ、習字、そして学習塾をどれも小学校6年生まで毎日みっちり通い続けました。
学校に行きながらわたしも姉も習い事を何個も掛け持ちしていたので、かなり多忙な小学生だったと思います。
そんな多忙な娘たちのためにいつも車で送り迎えしたり家のこともすべてしてくれていた母、そして家族を支えるために一生懸命働いて稼いでいてくれた父も、同じく多忙だったはずです。その後もずっと惜しみなく時間とお金と愛情をかけ続けてくれていること、今なおありがたみを感じています。

周りからしっかりして見られていたのか、小学校時代のニックネームは、”ともねぇ”でした。
クラス委員や生徒会長になったり、頼まれてもないのに友達のお世話を勝手にしたり、そういった行動がきっかけだったかもしれませんが、自覚も、もはや記憶も、ありません。笑
今でもなぜか姉御肌と言われることも多いのですが、実は要領の良さを発揮できる末っ子次女です。

中学受験での成功体験、その先で感じたギャップ

姉が先に塾に通い中学受験をしたため、その流れでわたしも塾に通い始め、中学受験することになりました。

その塾では、毎週末のテストの成績で翌週の席次が決まるシステムになっていました。
目に見える形で評価されるのでこれが毎週の楽しみで、努力が結果に結びつく喜びを味わったような気がします。

努力が実を結び、御三家と言われる都内の中高一貫の女子校、雙葉中学校に合格することができ、毎日1時間半かけて電車で通うことに。

その学校は、幼稚園や小学校からのエスカレーターで入学しているひともいて、裕福な家庭の友達が多かったです。
まとまった休みにはいつも家族で海外に行っていたり、中学生ながら表参道の美容院で6,000円もするカットをしていたり、都内の一等地の豪邸に住んでいたり、家にお手伝いさんがいたり。
自分が今までいた世界とは全然違う世界にいる友達との関わりを通じて、とてもギャップを感じたことを覚えています。

休みごとに家族みんなで海外に行くなんて自分と自分の家族にはそんな選択肢がなかったけれど、この友達はその選択肢を持てている、この違いは何?何がこの違いを生み出しているのか?

その友達たちのご家庭は、家族みんなお医者さんという方や親が大企業の社長や役員という方が多かったように記憶しています。

いわゆる"いい会社"や"いい職業"に就くと収入が多く、お金があることによって選択肢が増える、そのほうが自分にとっていい人生になりそうだということを、その頃から薄々感じていたような気がします。

安定思考な職業選び

いわゆる"いい会社"や"いい職業"に就く、ということをなんとなく選んでいった結果、大学受験をし、早稲田大学商学部に進学しました。
バイトとサークル活動に明け暮れた大学生活、その後は大手企業に就職することを目標に就職活動をし、最終的には大手医療機器メーカーを選びました。

「なぜこの会社を選んだんですか?」
もちろん当時就職活動の面接でも聞かれていて、その場ではそれっぽい回答をしていたはずですが、
本心は
・一番最初に内定をくれたから
・誰が聞いてもわかる会社だったから
・親もいいんじゃないって言ってくれたから
・世界シェア7割以上で安定してそうだったから
・福利厚生が充実してそうだったから
と、こんな有り様です。
ただただ安定思考なとても安易な考えで就職先を決め、社会人生活をスタートさせたのでした。

将来に対する漠然とした不安

と言いながら、理由は何であれいい会社に就職したからにはここで頑張ろう、となるのがわたしのいいところ!笑

配属されたのは、会社の屋台骨となっている主力商品の販売促進の部署。その中でも、売上に直結するとても責任ある仕事を1年目から任せていただきました。
上司や先輩にも恵まれ、その期待にも応えようと必死に仕事に取り組み、充実した日々を過ごしていました。

あっという間に2年目になり、日々の忙しさに充実感を抱きつつも、”毎年同じ繰り返しがこの先もずっと続いていくのかもしれないんだな”ということにも同時に気づきはじめました。
そんな時期に、キャリアプラン面談という上司との1on1ミーティングが設定されていました。
会社として社員の活躍のために良かれと思って設定された場だったはずですが、”これから何をしたいのか”や”どうなりたいのか”を上司と改めてお話しする機会を得たことで、皮肉にも、この会社で頑張り続けた先の自分にそこまでワクワクしていないことにも気づいてしまったのです。
そこから、将来に対する漠然とした不安を感じるようになりました。

漠然とした不安を解消するために何かしなければ!と思い立ち、スキルを身につけようと仕事後に社会人向けの夜間の大学に通うようになりました。
英語力やロジカルシンキング、会計知識など、手あたり次第に講座を申込み、勉強をすることで自分を高められるんじゃないか、この不安が打ち消せるんじゃないかと期待して取り組んでいました。
しかし、半年の学習期間を経て気づいたことは、”あれ、わたしは勉強してスキルを身につけた先にどうなりたいんだったけ”という、自分の将来設計の不明確さだったのでした。

常に何かに打ち込んでいるのは好きだし、何かに打ち込んでいたいと思うものの、何に打ち込んでいいのか、どこに向かって頑張ったらいいのか自分でもわかっていないという現実でした。

カッコいい女性にあこがれて

そんなタイミングで、会社の同僚を通じて、ある女性経営者の方とお会いする機会を得ました。

初対面ながら、カッコいい!!!と一目であこがれを感じたのを今でも鮮明に覚えています。
自分の生き方に信念をもっていること。
方向性や目的が明確なこと。
一生懸命仕事に打ち込んでいること。
それでいてとてもイキイキされていること。
ステキな方々に囲まれて仕事をしていること。
誰かや何かに決められるのではなくすべてを自分で意思決定していること。
圧倒的に自由なライフスタイル。
多くの時間をいただいたわけではなかったですが、あまりに刺激的で体感1秒くらいのあっという間の時間でした。

さらに、その方のバックグラウンドも聞かせていただくと、わたしとあまり変わらないところから、努力ひとつで結果を変えてきたということにも衝撃を受けました。
そしてそれだけ違いを見せつけられたにも関わらず、年齢がたった3つしか違わないことにも驚きを隠せませんでした。
わたしもこれまで努力してきていることへの自負はある、なのであれば、わたしもこんなカッコいい生き方をするための努力をしたい、こんなカッコいい人になるために頑張り方を変えようと決め、起業することを決めたのです。

Create tomorrow

とはいえ、最初は起業の大義名分などもなく、最初の頑張る理由は、かっこいい女性になりたい、時間や経済面で自由になりたいというものでした。

そこからいろいろな人との出会い、自分自身も経験を積み上げながら、起業し、経営者として活躍していくこと、事業を立ち上げていくことの目的が変わっていきました。

今のわたしのビジョンは、
関わる全ての方々が、なりたい自分になるために挑戦し続けられる明日を創ること。いまを生きるわたしたちの”明日”、次の世代の”明日”も、より輝きに満ちたものにするために、あらゆる事業を通じて貢献することです。
そのために、すべての方々の心と身体が健康であること、持続可能な環境づくりのため地球全体の課題解決をすることにも、同時に取り組んでいきます。

歴史は続く

立ち上げ期間の泥臭い細かなヒストリーは、後の記事に譲ることにします。

手前味噌だし自己満足と言われるかもしれませんが、我ながらかなり濃厚で充実した20-30代にしてきたことに胸を張れます。
思い描いた自分になるためになりふり構わず努力していることにも、何のための人生?ということに正面から向き合っていることにも、これからも胸をはれる自分でい続けたいと思っています。

とはいえ、ここまでひとりで登ってこれる道のりではありませんでした。心から信頼できる先輩方や仲間と仕事ができていることに心から感謝し、これからもお互い理想を実現し合えるべく精進していきます。

本当の意味で自分の人生を自分のものにすると決めて、すべての意思決定は自分であることに責任を持ち、絶対理想を実現させるんだという信念を胸にこれからも挑戦し続けていきます。

ヒストリーには終わりがありません。
歴史はこれからも続きます。
自分自身がこの続きを誰よりも楽しみにしています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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